ジンジャーエールを片手に
こんにちは
読んでくれてありがとう
今度は、午前十時にかいている。
ジンジャーエールを片手に
自分は夢に実力がついてこないとある生徒だ
夢に実力がついてこないと、いつも思っているしよく言われる。
なんで、「がんばれないんだろうね」とか「皆はできているしすごい作品作れているね」と言われる。
逆に、たまたま勝手にみられた絵に友達や先生が「才能あるね」という。
そして思うこれは才能でも何でもないとね。
なんでみな、これを才能というのだろうか。
天才とか奇跡とか才能、地頭良いとかね。
何もかも努力で手に入れたものだし自分で言うのはいいと思うけど、
何も知らない他人に言われるのはあまり好かない。
ありがたいとは思う。
でも、なんか嫌だった。
この気持ちは読む人によって意見が分かれるだろうが、自分はあまり好まなかった。
このことを、一回ネットで言ってみた
予想どおり叩かれたよ
「褒められるだけありがたいと思え」などね
自分はこのコメントを消してSNSをやめた。
そこからしばらくたって、1つの絵を描いた小さな手帳に
たまたまほかの人に見られその人からは、「まだこんなん書いているのかよ!夢見すぎだろ」
と言われたまあそうだよなと思ったが、夢みたいのだから夢見てよくねと思った。
そして気付いたらそいつの胸ぐらをつかんでいた。
「夢を見て何が悪い、夢を見ないで現実ばっか見ているお前の人生は楽しいのか?」
とね。
夢を見すぎて現実を見ないのはよくないと思う。
だが、現実ばっか見てもつまらないのではと思う。
そして、我に返りすぐそいつの目の前から消えていった。
もうあいつとは、関わらないようにしようとね。
もとからあまりかかわったことはないが。
そうして、絵をかき続けた。
忙しくてかけないこともあったが。
ある日、友達と帰っているときにこんな話が出た。
「D君すごいよね天才だよね」と「私らとは違うね」と
たまたまそのD君とは面識があり話したこともあった。
やはりそのD君は努力をしていた。
だからこそ自分は思った。
なんでみんなそうやっていうのだろうかとね。
そのままの時は家に帰った。
そしてふと、昔のことを思い出した。
5年ぐらい前のことだ。
自分は引っ越す前すごく仲良しな子がいた。
夢も一緒で日々協力し合った。
でも、引っ越すことが決まってそのことをその子に打ち上げるかどうか悩んだ。
ずっと言えずじまいで、結局引っ越す前の日にそのことを言い、自分は「あんたは天才なんだからできるって」といった。
そしたら、その子は自分に向けて思いっきりぐーぱんをしてきた。
そして、その子はいった「天才じゃねえ努力だ」といった。
その時は、すぐに理解できなくて大喧嘩して終わったが家に帰って冷静になってみると自分が悪かったなと思い引っ越しの当日に「これからも頑張ろうな」と言い仲直りして、
別れた。
そして1年後再会し、一枚の絵をかきそれを2つに破ってお守りとして額縁に飾った。
あの言葉の意味が今となってはすごく共感ができる言葉だなと感じた。
最近は会えていないけど。
と思いD君の話は、その友達に「天才じゃないよ努力だよ」というのは、心の中で完結させた。
これを
読んでくれた人へ
これからも書いていこうと思う
こんなためにならない話を
次があったらまた会いましょう
では
第弐話 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます