第13話 善意と悪意のはざま
2人を見送った後、重いリュックサックを再び背負い、立ち上がろうと足に力を入れたが、立ち上がる際に少しよろけてしまい慌てて地面に手をついた。手に感じる砂の感触、手に食い込む小石による痛み、やはりこれは現実なのだと再度認識する。
「これからどうなるんだ…。」
特に何も考えず普通の生活を送り、普通に死んでいくのだろうとと考えていた。しかし、ここにきて知らないうちにその普通という梯子を外されていのだ。この国には秩序、縛る法律ももうない、すべてが自己責任、これから無法地帯と化していくのだ。
この避難所の自衛官たちは善意にあふれている方なのであろう、決して見捨てず、秩序を取り戻そうとしてくれているのだから。それが、悪か善かは現時点では判断できないが、先ほどの話を聞く限りでは私は善意であると感じられた。しかし、善意は時として、その善意を向けられる人間の状況や立場によっては悪意ともなる…。
そんな哲学的なことを考えながら、個人スペースに戻るために蛍光灯の光さす道をゆっくりと歩いた。
次の日の朝、朝日が昇るか昇らないかか狭間の時刻に土嚢の入ったリュックを背負いグラウンドのある校庭へ急いだ。まだ秋口だが日が差さない朝は少々肌寒く、吐息が白くなった。そして、その吐息の向こう側に4人の自衛官が見えた。
「中西君、来られましたか。では、我々と一緒に今日から始めましょう。」
丸尾隊員の不敵な笑みが次第に他の隊員たちにも伝染していく。樫木隊員だけはなぜか申し訳なさそうな顔をしており、一向に目を合わそうとはしない。
「よろしくお願いいたします、中西と申します。」
「中西殿、初めましてよろしくお願いいたします、私は鈴木と申します。」
「よろしくお願いします、私は相村と申します。」
軽く挨拶と自己紹介をかわし、丸尾隊員が何かを話そうとしていたので、そちらの話に耳を傾けることにした。
「では、いつものトレーニングとまいりましょうか。えーと、中西殿は初めてだと思いますので、説明しますね。そのほかは各自はじめておいてください。」
「「「訓練始めさせていただきます。」」」
丸尾隊員の掛け声に呼応するように、隊員たちの訓練が始まった。私の持っているリュックサックを背負い、グラウンドに描かれているトラックに沿って一定速度で走っている。
「中西君、いや中西隊員。これらは一切手を抜きません。あなたの話は樫木から聞きました、我々はあなたの心意気に必ず答えて見せますので。これからは訓練中は私はあなたの上官です。」
「丸尾上官、よろしくお願いいたします…。」
樫木隊員は丸尾上官に何を言ったのだろう…、確実に正確に伝わっていない感が否めない。鍛えてもらうも何も私はずぶの素人で社会人になってからというもの、運動という運動をしていない。
「では早速、中西隊員まずはリュックを背負って倒れるまで走りましょうか!」
笑顔から発せられる鬼のような発言、はっきりいって甘えていた…。自衛隊式の護身術のようなものを教えてもらって、ゲームのように敵を可憐になぎ倒せるものだと思っていた自分が恥ずかしい。
丸尾上官の後についてくるように指示され、そのあとをついていくように走り始めた。言わずもがな結果は散々だった、5回程度隊員を見送ったのちに、私の足は限界を迎えた。
生まれたての小鹿のように足は震え立ち上がることすらできない。そして、呼吸がうまくできず、喉から酸素が出てこない。倒れこんだ場所の砂が汗をかいた体にへばりつく、泥まみれの体に対しての不快は感じず、ただただ辛いという感情しか出てこない。
「中西隊員、足の鍛錬はここで終了としましょう、ここまでとは思いもよらなかったですが、気長にやりましょう。次は、我々と一緒に腕立て伏せですね、これも腕が上がらなくなるまでやりましょう。」
丸尾隊員はそう言うと、仰向けで倒れこんでいた私の体をひっくり返し、腕立て伏せの体勢を取らせた。鬼だ…、休憩の時間も与えてくれない、悪意すら感じる…。
「では声を出して、数えながらやりましょう。制限時間は2分間です。」
「上官、今日はずいぶんと優しいな…。」
「あぁ、いつもとは大違いだ。中西殿のおかげだな。」
「…。」
隊員たちのいう優しさが私にはまったく理解できない、何が優しいんだ?理解に苦しんだ。
「では、はじめ!」
「「「一。」」」
「ぅぁーちぃ。」
思いのほか腕の力は残っていた、足はおぼつかないが腕は上がる。自分が醜態をさらしていることはわかる、しかし垂れる涎にかまっているほどの余裕はない。必死で声を出し、食らいつく。
「「「七十六。」」」
「じゅぅぅゅゅゅご。」
私は力尽きた、たった十五回で腕は上がらなくなった。それからというもの私は声だけは立派で2分が過ぎるまで数を数えた。決してやっているふりをしたわけではなく、地面に突っ伏している自分が恥ずかしくなったため声を出して紛らわせた。
「そこまで、皆様お疲れさまでした。見学者も増えてきたので、次は腹筋いきましょうか。」
朝日がグラウンドを照らした。しかし、それはまるで私の醜態へのスポットライトのようであり、ギャラリーが私に注目しているように感じる。
「今回も2分でやれるところまでやりましょう。では、はじめ!」
「「「一。」」」
「ぃぃち。」
みんなが見ている、そう思い必死で踏ん張ったが、運動不足の中年には酷な話であった。走り込み、腕立てと違いリュックがない分、腹筋はまだ楽であったが、贅肉のついた腹には関係がなかった。隊員たちとみるみる数字が離されていき、挙句私は天を仰ぐしかできない。
「そこまで。お疲れさまでした。」
「「「「お疲れさまでした。」」」
「お、つかれ、さまでした…。」
満身創痍だ、もう動けない。そこに追い打ちをかけるように丸尾上官による公開処刑が行われた。
「ここにいる中西君は今日この訓練に参加してくださいました。見学してくださっている方もご関心あれば毎朝ここで訓練を実施しておりますので、参加してみてくださいね。中西君に拍手をお願いいたします!」
訓練の様子を見ていた観客は大きな拍手を私に向けて送ってくれたが、その善意は私にとっては最大の羞恥行為であった…。顔中砂まみれで口の周りは砂が泥になっており、服は元の色が何色かわからないくらいに汚れていたが、必死に拍手にこたえるように手を振った。
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