第1話 始まりの手記

今思えば、始まりは母からの電話であったと思う。久しく連絡を取っていない母からの連絡で慌てて飛び起きたことを今でも覚えている。


 「あんた、そっちは大丈夫かい?こっちは…」

そんな言葉が寝ぼけ目(まなこ)の私の頭に響く。

 「なんやこれ、どうなってんや。」

母からの電話の向こう側から聞こえる父の声。

よくわからない状況かつ電話内容で私は適当に返事をして電話を切ってしまった。


私はその電話の意図を理解できていなかった。その電話で起きて、ふらふらとした足取りでリビングに向かいテレビをつけるまでは…。

テレビから流れる暴徒達の暴れ回る映像、見た事もないような光景に両親の言葉がやっと理解できた。


チャンネルを回すが、同じ映像が流れ続けるテレビ。携帯のメールボックスには会社からの自宅待機を促す緊急連絡が届いていた。


しかし、私の中ではまだ、その映像および緊急性に対して現実味をおびていなかったのであろう。その時考えていた事というと会社行かなくて良いじゃんラッキーという考えであった。


私は結婚もせず独身貴族を貫き、衣食住何不自由なく暮らしてきた。趣味であるホラー映画、ゲームさえあれば寂しくも何ともなかった。また、家も小高い丘の上にポツンとあるという事もあり、近所付き合いも気にする事もない。


自宅待機命令と言う甘美な響きは私の歯止めを効かなくした。俗世とのつながりを断ち、ゲーム、ホラー映画鑑賞に勤しんだ。


元々デブ症という事もあり、家から出なくても半年は暮らせるように備蓄もしている。そんな、軽い考えが今となっては悔やまれる。


それから1ヶ月くらいして、ネットゲームでの親友から「Kさん、あんたのところは大丈夫なのか?」というメッセージが届いた。俗世の情報を仕入れなかった私には何のことか全くわからなかったので、「おう!この通りよ!」とカッコつけた返事をしておいた、その親友からは何かあったら絶対に助けに行くからなと返事が届いていた。


それから程なくして、ゲームがネットに繋がらなくなった。それでも私はオフラインでできるゲームを続けた。ネットに繋がらない鬱憤を晴らすかのようにショッピングセンターに立てこもりクリーチャー相手に無双するゲームをやり続けた。


部屋も荒れ散らかり始めた頃、停電が頻発するようになった。家には太陽光発電を完備しているので昼間はそれで賄えていたのだろうか、夜に停電する頻度が多くなった。


この時に気づいておくべきであった…。


停電が頻発するので、趣味に没頭出来なくなり、渋々普通のテレビチャンネルを回した。


真っ赤な文字で”国家緊急事態宣言”そんなテロップがどのチャンネルを回しても帯に付いている状況であった。どのチャンネルも総理大臣が同じことを言っている映像がループで流れていた。


「今、この日本国は未曾有の事態に陥っております…。」そんな私たちを煽るような映像である。


 「我々は暴徒達を”あ”と名付けました。”あ”には絶対に近づかず、見かけた場合は速やかに隠れるか逃げてください。」

私はそんな”あ”などと言うふざけた名前を付けている事に対して久々に笑いが溢れた。


ひとしきり笑い終わった後、携帯で時間を確認し、1ヶ月こもっていた体に陽の光を当てようとカーテンを開けた。


ものの1ヶ月で世の中は変わっていた。眼前にはよくゾンビ物の映画で見ていた光景が広がっていたのだ。


道路にはゴミが散乱し、窓ガラスが割れた家、動かなそうな車、そして不気味に佇む複数の人影。


私は携帯を手に取った。母からの電話がようやく現実だということが私にも理解できた。しかし、もう時はすでに遅く、携帯は繋がらなかった。


私は藁をも縋る思いで、何度も何度も何度も電話をかけ続けた。しかし、希望は打ち砕かれた。


そんな時に思う事は、最悪の事態ばかりである。最悪の事態を想定してしまい、なぜもっと親孝行しなかったんだ、なぜこんな自堕落な生活を送っていたんだと自分を責める事しかできない。


それから数日が経ち、ついにトイレが流れなくなった。仕方がないので、庭に穴を掘りそこでトイレは完結させることとした。


庭に穴を掘るために久々に外に出て感じた事は喜怒哀楽の感情ではなく無であった。こんな荒廃した世界は映画の中では主人公達は恐れ慄き逃げ惑いう様なシチュエーションであろうが、現実は静かなものであった。


それから、同じルーティンを繰り返す日々。食べる、寝る、排泄、テレビから流れる同じ映像を幾度となく見続ける。そこには答えなどなかった。


備蓄していたガスが切れそうだ…これから暖かい物は食べられない、そう思うと、今まで何も考えずに消費するだけの自分が憎らしくなり、悪いことも考えた。


あの電話から2ヶ月が経とうとしたとき、ふとラジオを付けてみた。防災の際にはラジオとは鉄板の話ではあるが、俗世から離れ、気が動転しているとそんな事にすら気づけない。


ラジオからは「〇〇、私は〇〇のコミュニティにいるよ、元気だから安心してね」と言う言葉が流れてきた。


私は抑えていた感情が溢れ出した。もしかすると、両親は生きているのかも知れない、そう思えた。


一念発起、私は両親がいる大阪へ行くことを決心した。しかし、2か月の自堕落な生活で身体は鉛のように重くなっていた。


大阪へ行くには準備が必要だ…。体力を戻し、”あ”とは何なのか調べる必要がある。そう考えると生きる活力が湧いてきた。


1か月間、私は身体を鍛え抜いた。50という年齢にやはり若い時の様にはいかないなと感じるが、それなりに体力は戻り、筋力も付いたと感じる。次は、”あ”の調査に移る事にした。


”あ”の調査に乗り出しすぐに分かったことがある。”あ”は複数の種類があり個性も違う。映画でよくいる、遅いゾンビの様なやつもいれば、ゲームで出てくる様な素早い奴、クリーチャーの様な奴までいる。


一つ言える事は、映画やゲームの様に戦ってどうにかなるというモノではない。アメリカの様に銃社会でもない日本において武器となる物は包丁の様な刃物や工業用の機材くらいのものであろう。更に、救助なんてもってのほかであろう。


私は”あ”を遠目から観察したり、時には追いかけられ逃げ惑いながら生態を調査した。そして、調査して分かったことは。


”あ”は五感は人間より少し優れている程度である。犬並みとはいかないが匂いにも反応を見せる様だ。


”あ”はどうやって増えていくかは謎なままである。映画のセオリーで行くと、噛まれる、引っ掻かれるなどすると感染して”あ”の仲間入りであろうが、私には証明する手立てはない。


”あ”の調査を進めるうちに更に分かった事は、”あ”の発言により個体の識別ができるかもしれないと言う点だ。前にも述べた様に”あ”には個性がある。


シンプルな映画型の”あ”は「あ…あ…あ…」の様に単体の「あ」と発言をしている。こいつを私はシンプルに”あ”と呼ぶこととする。


次に、素早いタイプで時折四足歩行の獣の様になる”あ”は「ああ…ああ…」と発言している。なぜ、「ああ」と発言しているかは謎なままだが、こいつは”ああ”と呼ぶこととする。


最後に、一番厄介そうなパワー系っぽい”あ”は「あああ…あああ…」と発言している。こいつの厄介なところは何と言ってもボディビルダー顔負けのその体のデカさだろう。こいつも例にならい、”あああ”と呼ぶこととする。


政府が名付けた”あ”はあながち正しい判断であったと今になって思う。

発言する「あ」の数が多いほど厄介な”あ”と思って良いだろう。この町で見かけた”あ”はこの3タイプだけだ。観察すると塀を登ったりなどはできない様なので、高いところや塀に囲まれた場所に避難することで接触は避けることができそうだ。もしかすると、もっと強力な”あ”が存在し、この概念が通用しないかもしれないがそれは今は調査のしようがない。


こういった”あ”達との接触は極力避けつつ大阪へ向かわなければならない、この様子だと交通インフラは機能していないであろう。そうなると、大阪までの中継地でセーフハウスを作る必要がありそうだ…。既存の生存者コミュニティを使っても良いとは思うが、映画のセオリーでいくと、最後は人間同士の争いとなる。はっきり言って、こんな世の中で”あ”と生存者と争って生きるなんて真っ平ごめんだ。


大阪までのルートはこの地図の通りで向かおうと思う。人が多そうな都市は避け、なるべく人と関わり合いを持たない様に着実に進もう…必要最低限の物だけを持って。


この世の中では情報が生死を分けるであろう…。サバイバル知識などは無いが、ゾンビ映画で培った知識を武器に私は両親の安否を確かめる。


もし、この手記を読んでいる者が居れば、この手記は私の決意表明と遺書の両方になるであろう。ここにある物資や私が書き記した地図などは好きに使ってもらって構わない。また、もし、読んでいる者が大阪を目指す様であれば、私が作ったセーフハウスにはそれがセーフハウスだとわかる様にこの印を立てた旗を掲げておく。


どうか、”あ”の蔓延る、あの世の様なこの世界に絶望せず生き抜いて欲しい。そして、この世界に君は何を思い、行動したのか、書き留めておいてほしい。その情報が別の者に伝わり、良き世界への礎となる事を願う。


——— 〇〇年〇月〇〇日 Y.K


「Kさん、大阪に行っちゃったのか…。」

ニット帽を深々と被りジャケットと色褪せたジーパンに身を包んだ30代半ばくらいの男はそう呟いた。


「Kさんがネットゲームで使っているチームエンブレムと同じ旗が家に立っていたから、Kさんの家だとすぐに分かったけど本人がいないんじゃどうしようもないな…。」

そう言うと今まで読んでいた手記を背負っていたバッグに詰め込み、Kさんが書き記した大阪までの道のりが記された地図を眺め出した。


「Kさん、かなり険しい道で行くんだな…山越えもしないといけないのか…。」

男は険しい表情でニット帽を脱ぎ頭を掻いた。


「今は考えても仕方ないな、Kさんの言葉に甘えて物資と休憩をさせてもらうかな」

男は備蓄されている缶詰と水を貪る様に食べ、ソファーで横になった。


「Kさん、まっててくれよ…。」

そう言うと、男は手で天井を掴む様な仕草をした後、顔に脱いだニット帽を被せ目を閉じて眠りについた。

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