第3話 小さな計画
風が吹き木から枯れ葉が落ちる。その木々をとおり丘の上に来た。そこには石碑があり側には妖精の石像が建っていた。それは角の砕かれた石の台座の上で薄い布切れをまとい、目は閉じてどこか安らかな表情をしている。頭には宝石の装飾が施されたティアラをつけて、手には杖を持っている。
台座を合わせるとミレイザより頭ふたつぶんほどの高さでそこに建っている。杖を両手で握りしめて祈るような恰好をしている。が、その石像の指先や肩、背にある羽のはしなどは砕かれたように劣化している。その朽ちた姿を眺めながらミレイザはたずねた。
「ここは?」
「呼び鈴だ。いまからローゼリスを呼ぶから待ってな」
ピサリーが杖を出して石像を叩こうとしたとき、ミレイザがまた質問をした。
「この石像は誰なの?」
「あ? ああ、これは古い話になる……」
大魔王モーティアムがあらわれる前。魔王ザミアーノというモンスターが世界を支配しようとしていた。手下などを使い町の破壊や農作物を焼き払ったりして、モンスター以外をこの世から消し去ろうとしていた。
王たちは魔王の支配を阻止しようとひとりの勇者とその仲間を見つけることにした。最初は魔王軍と戦うため名乗り出る者を待っていたが誰も名乗り出る者はいなかった。
その戦いを挑む者には豪華な褒美などを約束するとのおふれも配られたが、命がかかっているためそれをもらおうとする者はあらわれなかった。そんなときひとりの妖精が王の前をおとずれた。
「わたしにお任せください。ですが、もし魔王を倒したら妖精たちが人間とともに暮らすことをお与えいただきたのですが」
人間と妖精のあいだには大きな隔たりがあった。それは妖精が魔王の仲間ではないのかと思い込んでおり関わることを避けていた。妖精は自分たちの存在を人間たちにわかってもらおうと話しかけたりするが、無視されてしまう。
妖精が町に入ると嫌悪感を抱く者がいて追っ払おうとする。そのたびに妖精たちは逃げ帰ってくるのだ。
急を要していたため王はその願いを受け入れた。そして彼女に魔王との戦いを任せることを命じる。王都はモンスターから自分の町を守るのに手いっぱいだったため、彼女に加担できないことを告げると妖精もまたそれを受け入れた。
妖精は勇者を一からつくることにした。魔法で自分の分身をつくりその者の姿を青年に変えた。名前はエゾム。ある程度モンスターたちと戦えるようになってきたら彼を旅出せてやった。そしてエゾムはともに戦ってくれる仲間を見つけて魔王を討伐した。しかし、魔王と相打ちだったためにエゾムは帰らぬ者となる。それと同時に自らそれを生み出した妖精も片割れを失い石になり果てたという。
「……そして、その妖精の名はメーティリアっていうやつなんだってさ」
「メーティリア……泉の?」
「ああ、この石像の名前を取ったんだろ」
「そうなんだ」
「あまり信用するなよ。そんなことをローゼリスのやつがべらべら話していたからな。あくびが出るほど長い話だったから、半分以上は寝ていたがな」
ピサリーは杖を出してその石像を軽く2回ほど叩いた。すると、ローゼリスがあらわれた。
「メーティリアの泉の浄化は終わったのですか? ずいぶんと早いようですが」
ローゼリスはピサリーの近くにいたミレイザに気がつくと杖を出して身構えた。
「どうしてゾンビがいるのです。いま仕留めますからピサリーは下がっていなさい」
「待ってよ、せんせー」
ピサリーはミレイザの前に出ると彼女をかばうように背を向けて両手を広げた。
「あたしがいま、あのゾンビを倒すから見ててよ」
彼女の冷たく低い声を聞いたミレイザはぞわぞわと鳥肌を立てる。猛獣でも飼っているようなその背中を見て思わず声がもれた。
「へっ?」
ピサリーは振り返った。その顔は狂気にゆがんだようなほほえみを見せている。
「泉の近くでゾンビに襲われてさ、それで先生に助けを求めてここまで逃げて来たんだけど、やっぱりあたしが戦うことにするよ。少しでも先生の手を借りなくてもいいように。だから先生、そこで見ててよ」
そう言ってピサリーは杖を構える。
ミレイザは無抵抗のように両手を前に出し手のひらを見せてあわてながら言った。
「ちょ、ちょっと、待って。わたしの体をローゼリス先生に治してもらえるかもしれないからと、ピサリーが言っていたので、それで彼女について来ただけなんです」
ふふふと笑うとピサリーはローゼリスに言った。
「先生、だまされちゃダメですよ。あいつはあたしたちをだまそうとしているんだから」
「ま、待って」
「だまれ!」
ミレイザはがくがくと震える足をあとずさりさせながら振り返り走り出した。彼女の背中が遠ざかっていく。
「逃がすか」
ピサリーはミレイザに向けて杖を振った。杖からは火の玉がふき出して彼女の無防備な後ろ姿を襲う。それが背中に当たり彼女を吹き飛ばした。うつ伏せに倒れてその背中が燃えている。しばらく経って火が消えると、ピサリーは杖を向けたままミレイザのようすを見にいった。
「まだ動くかもしれませんよ」
ローゼリスは気を許さず、そのまったく動かない者に杖を向ける。
「わかってます。大丈夫ですよ」
そう答えながらピサリーはゆっくりとミレイザに近づいた。数歩ほど歩いたところで彼女はふと思った。半分ゾンビだから、もしかしたら襲ってくるかもしれない。さっきまでは抵抗のない意思を見せてはいたが……。
彼女の体を注意深く眺める。顔が髪に隠れて表情をうかがうことはできない。ミレイザの背中は服が多少焼けているが皮膚の部分は焼けていない。足音をできるだけ立てないようにして彼女のとなりまで来た。恐怖心を払うためピサリーはひとつ息をつく、それから屈んで彼女の耳元でささやいた。
「おい、聞こえているか? このまま聞いてくれ」
ミレイザはそれを聞かずに逃げようとして手を引きずる。
「手を動かすな、ローゼリスにバレるぞ」
それを聞き入れてミレイザは手を動かすのをやめた。抵抗しようとする力を体から抜き目を閉じる。
「悪かったよ、でもそうでもしないと、すぐローゼリスのやつに見抜かれるからなぁ。安心しな、おまえをやったりはしないよ。ただちょっとこうしないといけなかったからさ。もう少しそうやってて、あたしがいいって言うまで、お願い」
彼女が動かないこと確認するとピサリーは杖を消して体を起こした。
「どうです? 仕留めましたか?」
ローゼリスが聞くとピサリーはわざと疲れたようにほっと息をついて振り返った。
「ええ、仕留めました。もう動きません」
「そうですか……」
ローゼリスは杖を消して屍のような彼女に疑いをはさむ。
「しかし変ですね。勇者御一行が大魔王を倒したというのに、ゾンビがあらわれるとは」
ピサリーはローゼリスに歩み寄り、熱の冷めないうちに小さな計画を実行した。
「先生、ゾンビを仕留めたんでそのー、新しい魔法を……」
その言葉にローゼリスは眉根を寄せて疑わしそうにピサリーを見た。それからふっと肩の力を落とした。
「仕方ありません。逃げていたとはいえ、こうしてゾンビの生存を知らせに来てくれたことはよいことですよ。勇者御一行が大魔王を倒してこの世からモンスターがいなくなり平和になったと聞いていたのですが、まだ、その残党が生きていたということですね」
「はい」
「ほかにもまだその残党がいるかもしれませんから気をつけるという意味も込めて、ピサリーには特別に新しい魔法を授けましょう」
ローゼリスは手をピサリーにかざした。手のひらから光の雫が流れていき彼女の中に入っていく。そうしてピサリーはレベル2の魔法、回復と透明が使えるようになった。本来ならレベル2のテストをしてそれに合格して得るものなのだが、異例ということで今回は直接ローゼリスから魔法を授かることができた。
レベル1は火の玉と氷のつぶてで、その魔法も同じようにレベル1のテストを受けて合格すれば得られる。どうしても欲しかったその魔法を手に入れるため、ピサリーは嫌いな勉強をしてテストに合格し得たものなのだ。
「さあ、これでピサリーにはレベル2の魔法を使えるようにさせました。くれぐれも残党には気をつけてくださいね」
そう注意してローゼリスがその場を去ろうとしたとき、「そうそう」と言って、忘れていたことを話してきた。
「メーティリアの泉の浄化はつづけてくださいね。それが済むまではいくらゾンビを倒したからといって、料理の魔法を返すわけにはいきません。いいですね」
「えっ!?」
「生徒たちにもこのことを伝えなければなりませんから、わたしはこれで」
ローゼリスは杖を振りその場から姿を消した。その場に一陣の風が吹く。さっきまで立っていた彼女のいない空間をピサリーは恨めしそうに見つめた。
「ちっ、あのババアけちりやがって」
ピサリーはどうにかしてミレイザを活かそうと考えた。
痛みを感じない体ならなにかできそうだ。さっき試したとおり彼女は痛みを感じない。だけどゾンビじゃない。これを使わない手はない。
「おい、もういいぞ。起きろ」
そうしてピサリーは彼女に近づく。声に反応してミレイザは体を起こした。それから立ち上がって体についている汚れを手で払い落す。
「おまえ、腹減ってないか?」
唐突にピサリーは言った。彼女がハーフゾンビだとしてもまだ半信半疑な部分がある。授業でやったことのすべてを信じていない。ひょっとしたら空腹かもしれないと思いわざとそうたずねた。
それに対してミレイザは首を横に振り「のどが渇いたわ」と返した。空腹を感じない体やさっき背中に受けたものに対して痛みはなかった。温かい物が背中を押した程度にしか感じない。
自分の体がハーフゾンビだということをピサリーから教えてもらっても、体の色や心臓が動いてないことなどをのぞけば、いつもと変わらない体でいてくれる。それならなにも気にすることはないとミレイザは思った。
ピサリーはにぃっと口のはしを上げる。
「そうか、じゃあいまから城へ行くぞ」
「お城?」
「ああ、ダリティア城だ。知ってるだろ?」
「え? ええ、勇者リーブスの地元でしょ」
「そうだ、本当はここで食事をしたいところだがあいにく魔法を封じられていてな、しかたないからそこまで歩くぞ」
「うーん、でも……」
ミレイザは下を向いて唇を噛みしめながらあちこちと首を動かしている。ピサリーはそれを見て首をかしげた。
「どうした? ……ああ、ゾンビの体だからそれを誰かに見られたら嫌なんだろ。あたしがいま透明にしてやるよ」
ピサリーは杖を出して彼女に振ろうとした。が、途中で止めた。ミレイザを引き連れて歩いていけば道端で誰かと出会うかもしれない。そこでミレイザにそいつを襲わせて自分があとで出ていってそこを救ってやれば金が稼げるかもしれない。そうたくらみピサリーは杖を消して腕を下ろした。
ミレイザは横目で見ながら魔法をしてこない彼女の行動に疑問を感じた。するとピサリーは気だるそうに声を出した。
「ごめん、あたしじつはさっき魔法を使って疲れているんだ。だから新しい魔法は使えない」
「歩くの?」
「あ? そうだが……ああ! 刹那で一気にダリティア城まで飛べばいいじゃんって思ってんのか? それもできない。なぜなら、あたしは疲れているんだ。悪いけど嫌でも歩いていってもらうからな」
そう半ばまくし立てるように言ってピサリーは歩き出した。ミレイザもしぶしぶといったようにそのあとを追う。
森を抜けて平原に来た。風がときどきうなり、ところどころに生える木々を揺らす。遠くのほうには城の屋根が薄く見えている。
ふたりとも無言で歩く。草を踏む足音がふたりのあいだを行き交っていた。しばらくしてピサリーはあくびをした。彼女は両手で頭の後ろを支えるようにして歩いていく。
以前はこの平原にもモンスターがはびこっていた。人々を襲い、その肉を食べたりしていたという。ミレイザはぶるっと震えて生前のことを思い出していた。両親とこの場所をとおってダリティア城に向かったときに起きたことを。
ミレイザが12歳の誕生日になり、そのお祝いでダリティア城の城下町にある服屋に行くことになった。そこの服屋は高級で品のよいものを取り扱っている。ミッドラビッドの町では手に入らないものが売っているため、家族3人で出向くことになったのだ。
本当は酒場で冒険者を雇い護衛をつけるのだが、貧乏だったため雇うことができなかった。両親は少しでもお金の節約をして、よりよいものをミレイザにプレゼントしようと考えていた。
それが、悲劇のはじまりだった。
ダリティア城の近くまで来て、もう少しでその町に着きそうだったとき、それを妨げる者があらわれた。牙を剥き出し、ごつごつした巨体、それを覆う短い灰色の毛。両手から鋭く爪が伸びていて、ムチのような尻尾をくねらせながら待ち構えている。人が獣に化けたような格好でいまにも飛びかかってこようとしていた。
頭にある鋭くとがった両耳につり上がった両目。その目は赤く正気を失い、鋭い牙を光らせている。
「逃げるんだ!」と父親が言った。その手には剣が握られている。
ミレイザは足がすくみ震えて動けなくなっていた。母親のほうはミレイザを抱いてダリティア城まで引きずっていく。
そして、引きずられながら父親がモンスターと戦っている姿を目にする。
「お父さん!」
ミレイザは叫び、母親の手を払いその場に行こうとした。でも母親はその手を離さなかった。ミレイザの腹を両手で抱えながら必死で止めている。
それから目にしてしまった。父親がモンスターに八つ裂きにされる姿を。
「いやああああー!」
ミレイザの悲鳴に反応しても母親はそのほうへ振り向かずに彼女を引っ張っていった。ミレイザの両親はこうなった場合のことを考えていたのだ。誕生日になり娘になにかプレゼントをしたいと思った両親は、ダリティア城にある服屋へ行こうと決めた。
道中でモンスターがあらわれても退治できるように剣を持っていった。
父親はミレイザが寝静まった夜中にひとりで剣を振って、どんなモンスターも退治できるように訓練をしていた。
「もし俺がやられたら、ミレイザを頼む」
父親は母親にそう告げた。母親は強くそれを受け入れた。いつでも娘のために犠牲になる覚悟を。本当はずっと娘の側にいたいがいつか別れの時がくる。その前に好きな物を買い与えてやりたい、どうにかしてミレイザを笑顔にさせたかった。それだけが後にも先にも両親の願いだった。
そんな想いでダリティア城に母親はミレイザを引っ張っていった。そのあと母親がミレイザに父親のことを言い聞かせ、誕生日の祝いだと納得させて服を買わせた。
「いらないわ」と何度も何度もミレイザは言った。「どうして命を懸けてまで、こんな……」と言葉を失いうずくまり泣き出す。
「わたしたち夫婦の願いなのよ。だから買って」
母親はそう言って悲しげに苦笑をもらす。ミレイザはその耐え忍ぶなかのほんの小さな温もりを感じとり服を買うことを決めた。その服はもっと大きくなってから着ようと大人用の服を買うことにした。
それから、子どもの足では疲れる距離であることも考えて、その町で宿を取り一泊することに決めていた。
ミレイザは夜中ふと目を覚まして母親の寝顔を見た。その顔には目から頬にかけて一筋の涙が月夜に光っていた。彼女の紅涙をしぼる姿を見ると、ミレイザは胸がきゅっとしめつけられる思いだった。
そして、帰りはあまったお金で冒険者を雇った。帰りだけ冒険者を雇うお金は残しておいたのだ。帰る途中で平原に剣が突き刺さっているのが見えた。ミレイザと母親はそれを見て、はっと胸を押さえた。
それ以来、ダリティア城には一度も行かなくなった。この平原の道を見るとミレイザはそんな昔のことを思い出してしまうのだ。目にはうっすらと赤い涙を浮かべながら。
風に乗って落ち葉がミレイザとピサリーのあいだをとおり抜けた。それに気をとられてピサリーはその葉を見送ったあとミレイザをなんとなく見た。
「あ! おまえ、目が赤いぞ。どうした?」
彼女の涙に気づきピサリーは人差し指を向けた。ミレイザはむりやり笑顔をつくり「なんでもないわ」と返した。
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