第1話 よみがえる死生者
枯れ葉の舞う秋の日。ミッドラビッドの町でひとりの若い女性が死んだ。転んで打ちどころが悪かったために命を落としたのだ。その町は土葬で彼女も親族たちに囲まれて花とともに埋葬された。湿り気のある土に棺もなくそのまま埋められるやり方で、そこに墓石を置き親族たちは解散したのである。
それから1年ほど経ち、その女性は土の中からよみがえった。覆っている土を手でかき分けながら外に出る。
立ち上がり弱い日差しに目を細めながら、ぼやーっと夢の中にいる感覚が頭を真っ白にさせていた。
あれ、なんでわたし土の中にいたの?
ミレイザは土を払うため自分の体に目を向けると驚きを見せた。それは、大事な服を着させてもらっていたからだ。
紐の取れたかかった黒ブーツ。横に引き裂かれている黒タイツ。青いフリル付きのワンピースのスカートにはスリットが入ったみたいに破られている。
「どうして服が……こんな」
ミレイザは眉根を寄せて悲しそうな表情をする。顔や服についた土を手で払い落して、取れかかったブーツの紐を結び直そうと屈んだ。結んでいる途中で手に違和感があるのに気がついた。土で手が隠されていたからわからなかったが、なんだか色が違う。結び終えて自分の手についている土を払ってよく見てみた。
「え?」
手があざのように青い。袖口からのぞく手首のほうにもその色はつづいていた。それに気づいてミレイザは袖をまくり上げた。彼女は目を丸くして驚きを見せる。腕は全体的に薄青い。ところどころ青黒かったり、赤く腫れているように見える箇所もあった。
ミレイザはその死んだような薄気味悪い自分の腕に恐る恐るふれてみた。するといつものやわらかい感触が返ってきた。いつまでも見ていたくないその痛々しい腕を隠そうと、まくり上げた袖をすばやくもとにもどした。
……わたしどうなっちゃったの?
立ち上がって服に残っている土をふたたび手で払い落とす。ふと不安を感じ周りを見てみると、そこはミッドラビッドの森の一角にある墓地だった。夢? と思い数歩足を進ませる。土を踏む音、緩い風が体をなでる感触に、これは現実であると確信させた。
鉄の柵で辺り一帯は覆われている。その中にいくつもの墓石が置かれていた。振り返ると掘り起こされた土がある。その奥に見知らぬ墓が置いてありとなりには父親の墓があった。
「なんでお墓に?」
ひとつ増えている墓を見ながら、ミレイザはその真新しい墓に近寄ろうとした。
そのとき、上空から黒鳥の鳴き声が響き渡り羽ばたいていった。その生き物が鳴くと不吉を暗示させるといわれている。まさか、お母さんのお墓? とミレイザは思いその場に立ち止まった。見たくない知りたくないという気持ちがあらわれ墓石を確認するのをやめた。母親の元気だった姿は覚えているが、それが昨日だったか一昨日だったか思い出せない。
ミレイザはそれを確かめるため、自分の家があるミッドラビッドの町へと向かった。
記憶のないあいだに一体なにがあったのか、どうして服がボロボロなのか、どうして肌の色が青黒いのか、母親は元気なのか、そんなことを考えながら歩いた。思い出そうとしても思い出せない以前のできごと。いつの間にか土の中にいたのは事実で、そうなった理由を考えても考えても、頭の中が空洞のように風がとおるだけだった。
気がつけば走り出していた。弱々しい体に対して足取りは軽く疲れを感じない。前よりも体が元気になっているように感じた。どこまで走っても疲れないし体の重みも感じない。
本当にどうしたんだろう? わたし……。と、拭いきれない疑問を片付けられずに、胸の奥底から這い出そうな不安をむりやり飲み込んだ。
道は木やがれきなどがところどころに横たわっている。モンスターとの戦闘により、いまだに手がつけられていない状態がどこもかしこも存在しているのだ。
そんな道を目印に難なく町へとたどり着く。
それから町の門に近寄り辺りを見まわした。レンガ造りの町並みで、そこを町の人たちが行き交っている。いつもどおりの町の賑やかさにミレイザはほっと胸をなでおろす。が、どこかようすがおかしい。
町の人たちは恐怖におびえた目や怒りに燃えたような目で辺りを見ている。それはなにかをさがしているような行動だった。手には剣や斧などの武器を持っている。それを見たミレイザはいぶかしい顔しながら門をくぐり町の中に入った。
その瞬間「あそこよ!」と、どこからか叫び声が上がる。それはミレイザを指さして驚いている婦人だった。
「モ、モンスターよ!」
その声に反応して町の人々が一斉にミレイザを見た。最初はなにかの見まちがいや注意深く見ている者もいたが、やがて、その悪魔のような風貌や不気味な雰囲気からただならぬ恐怖を感じてあとずさりをはじめる。
「ほ、本当だ。モンスターだ。モンスターがいる!」
肥った男が声を荒げて周りをあおると、あわてて建物の中に逃げ込んでいく子どもや物かげに隠れてそこからのぞき見たりする者もいた。酒場の店主が叫び声を聞いて開いている窓から外のようすをうかがうと目を見開きすばやくその窓を閉じた。
町の人たちの豹変に驚いてミレイザは後ろを振り返ってみるが、そこにはモンスターなどはいなかった。わけもわからず当惑しながら町の人たちを見ていると、その目が自分に向けられていることに気づき、震える口をむりやり動かした。
「わ、わたし。ここの町に住んでいるミレイザよ。ミレイザ・ロティ―リスよ」
それを聞いて短剣などをそこへ投げつようとしていた町の人たちは黙った。それから疑い深そうな顔をお互いに見合わせて首をかしげる。その名前は知っているがなぜそれをモンスターが知っているのかというような、鵜呑みにできない疑心が声を止めさせた。
人の言葉を話すモンスターがいるのは世界で知られているが、人々はそれらと会話などは絶対にしない。大魔王に立ち向かえる勇者といったかぎられた者だけがモンスターと会話することを許されている。女王の命令でそれは守られていた。だが、いまそれを破り、腕力のある体格のよい男がその言葉に反応し聞き返した。
「ミレイザ・ロティ―リス? 彼女は死んだ。彼女を侮辱するなこのモンスターが!」
「死んだ? どうして? わたしはここにいるわ。ほ、本当よ。お母さんに会わせて」
「出ていけ! モンスター!」
その騒ぎを聞きつけて戦士ブレンチ(25歳)が駆けつけてきた。彼は先ほどこの町に着いたばかりだった。町から町へと移動し、なにかその町で問題が起こればすぐにそれの対処に向かう若者。筋肉質の体にチタン製の鎧を着ていて背中には弓矢を背負い腰に剣を備えていた。以前は勇者とともに戦っていたがいまは単独で活動をしている。
「どうしました?」
「ああ、これは戦士さん。モンスターが町に入ってきたんですよ」
「モンスター?」
ブレンチはミレイザを見て一瞬目を丸くした。あせりながら弓矢を取り出して弓を引きながら矢の切っ先を彼女に向ける。
「いま仕留めてやる!」
そう言って矢を放つ。彼女の頭に当たりそうになった瞬間、矢はわずかにそれて彼女の頬にかすり傷をつくった。ミレイザは足を震えさせながら恐々と訴える。
「し、信じてください! お願いです! わたしはミレイザ・ロティ―リスなんです!」
「ミレイザ?」
ブレンチは弓を引きながら眉根を寄せて疑い深そうにミレイザを見た。あたふたしているしぐさを注意深く確認すると、モンスターにしてはびくびくしているし逃げようともしない。それに襲ってくる気配もない。なのになぜそこにいるのかというそんな疑問を抱いて弓を引く力を緩めた。
「ミレイザとはこの町に住んでいた女性です。1年ほど前に不慮の事故でお亡くなりに……。だからあのモンスターがその名前を言っているだけなので、だまされてはいけません。あれはわたしたちをだまそうとしているんです」
町の人に言われて、ブレンチは目を細めながらミレイザの頭に矢の狙いをさだめる。
町の人たちの怒りがミレイザをあとずさりさせる。ブレンチがあらわれてから彼らは強くなったみたいに外に出てきて、彼女を追い払おうと罵声をあびせる。
「ほ、本当よ。わたしはミレイザ・ロティ―……」
するとそこにミレイザの母親がやじ馬に交じり前に出てきた。ミレイザはうれしさと安堵感にあふれてすがるように助けを求めた。
「はっ、よかった。お、お母さんっ、わたしよ。ミレイザよ!」
ミレイザは手を上げながら母親を呼んだ。聞き覚えのある声がして母親は辺りを見まわした。「ここよ」とふたたび声がする。その声のするほうへ目を向けた。
「みれいざ?」
母親は目を見開きながらその風貌を見つめた。とたんに胸が潰れるような悲しみに襲われて顔をゆがませる。
「そうよ! わたしよ。なんだかわからないけど、土に埋められていて!」
そう言いながらミレイザは母親に近寄ろうと足を前へ踏み出す。
「それ以上動くな!」
ブレンチの声にミレイザは足を止めた。
彼はいつでも矢を放てるようにしている。だがそれは震えていた。モンスターがここまで演技をするものなのかと、その人間味あふれる行動が矢を放つのをためらわせていた。
勝ち目がなかったらモンスターどもは逃げ去るのになぜあいつは逃げない。そんなことを思いながら、ブレンチはいつ放てばいいのかそのときを見極めようとしていた。
町の人たちは剣や斧で彼女を仕留めようとしたが足が動かなかった。おどおどしているのは、そうやって油断させて隙を突こうとしているのでは? もしかしたら、本当にミレイザなのか? などの考えがよぎり、体が言うことを聞かなかったのだ。
本当はミレイザかもしれない。と思っていても、声にすることはできなかった。もし間違っていたらモンスターに肩入れしていると思われてしまう。それほどモンスターがあたえてきた影響は癒えない。
できたことといえば、彼女を追い払うために武器を変えることくらいだった。
母親は目を見開いて首を横に振った。それから生前のミレイザの姿を思い出しながら言った。
「ミレイザじゃないわ。あの子はもう死んだの……う、うう」
手で目を覆い隠し、母親は崩れるように膝をついた。あのモンスターが娘と同じ服を着ているのに耐えられなく、もう見ていたくないと思い震える指先を実の娘だった者に向けた。そして、恐々言い放つ。
「戦士さん、あれを倒して。あのモンスターを」
その言葉にミレイザは息が詰まりそうになった。真っ白になりかけた頭の中を回転させて意識を集中させた。聞き間違いではない母親の言葉をつぶやきながら、足を後ろへ引きずるようにゆっくりと下がる。
「し、死んだ? わたしが? そんな……本当に死んだの?」
ミレイザは震える足を後退させながら自分をにらみつけている母親を見つめた。
そのとき、矢がミレイザの足元に突き刺さる。その振動が彼女の足に伝わり体がよろけて尻もちをつきそうになった。
「次は外さない!」
それをきっかけに町の人たちが石や瓶などをミレイザに投げつけてくる。それは足、腹、肩、顔に容赦なく当たった。
「や、やめて。ど、どうして? お母さん助けて」
ミレイザはいたたまれずにその場から逃げた。後方で矢が放たれる。彼女の背中に当たりそうになった瞬間、石に足を取られて彼女は転んだ。
あせりながらその矢が飛んできたほうを振り向くと、ブレンチがまた弓を引き矢を放とうとしていた。ミレイザはあわてて立ち上がり駆け出す。ふたたび矢が放たれる。それが体をかすめて服を引き裂く。
逃げていく彼女の背中に矢を向けながらブレンチはつぶやいた。
「逃げたか。勇者リーブスとともに大魔王を退治して世界は平和になったはずなのに、なんでモンスターがあらわれたんだ?」
ミレイザは追手が来ていないかときどき振り返りながら足早に歩いていた。
「わたしが死んでいる? どうしてよ」
それを確かめるためにミレイザは自分の胸に手を当てた。が、反応はない。そこにあり、絶え間なく動いているものを見つけることができなかった。
「えっ?」
それからほかの場所も手を押し当てながら鼓動を確認していった。
「どうして動いてないの?」
驚きながら頭を抱える。そうしているうちに墓の前に来た。恐れて確認するのをやめたもうひとつの墓にゆっくりと近づく。なんとなく思い描いていた光景がそこにはあった。
墓石には『ミレイザ・ロティ―リス』という名前が刻まれいる。
「わたしの名前だわ。わたしは死んだ。だけど生きている。生きているけど死んでいる?」
ミレイザはいつの間にか死んでいることに対して、どうやって死んだのかということが思い出せないでいた。
「どうして、わたしをモンスターっていうの?」
突風が落ち葉を舞い上げて灰色の雲間から光がさした。それが墓石に反射して鏡のようになりミレイザの顔が映し出される。
「はっ!?」
そこには別人の顔があった。全体的に血の気がなく薄青い。頬や鼻の頭などが赤黒く刻まれている。以前はストレートで長かった黒い髪の毛はボサボサ。瞳はあるがひどく充血している。目の周りは薄黒く塗りつぶしたようになっている。唇は青く、赤黒いよだれのような傷があった。
「……これが……わたし?」
震える手で自分の顔をさわりながらそれが自分であることを確認する。怖気を震い、胸の奥からなにかがこみ上げて吐き気をもよおしそうになる。その場にいられずにミレイザは駆け出した。
「どうしてこんなことに」
涙が頬を伝う。それは赤い血の涙だった。
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