前日
* * *
ナイトが“
異世界転移者として、最上位者クラスの待遇を約束されたナイトは、
無論、ナイトは慣れはしなかった。
元の世界で言うところのロイヤルスイートルーム(天井まで高さ五メートルはある)を十室、風呂トイレが四つずつ、シャワールームが二つ、書斎が五つ、ダイニングルームを二十室、おまけに全周囲バルコニーやプライベートプールも完備と来た。こんな住環境など、ナイトの元の生活基盤からしても程遠いレベルである。
そして何より、
「……」
「……」
各部屋に必ず常駐している召使いの
無論、彼女たちが
彼女らいわく、
(“儀式”までの間、世の不浄なるものから遠ざける為の措置です、か)
そう言われたら反論のしようがないナイトである。
聖地の街に降りてみたいという主張も叶わず、この広く豪華な
(『不便をかけることになると思うが』って、こういうことだったのかよ)
せめてカナイやカアスたちと会いたいと要求したこともあるが、こちらも別の理由で却下されている。
(聖徒の皆様は“儀式”の準備で忙しい、か……)
本当にそうなのだろうか。
せめて顔を合わせて茶飲み話に
そんなにも儀式とやらの準備というのは入念に行われなければならないことなのか。
(いやいや当然だろう。俺を元の世界に帰してくれるためにやってくれていることだぞ)
本当にそうか?
疑心暗鬼の芽は、ナイトの心の土壌に、幾重にも根を張っていて取り除けそうにない。
すべてはシホン大司教、彼から聞いた予言の話──彼の瞳に感じた不信感が根底にあった。
一言一句、あやまつことなく思い返すことができるのは、ナイトのステータス画面にある“
(『この三匹の獣は、世界終末の時に
そして、
(『三匹の獣の
聞いた瞬間を何度も思い出してみては
自分が何か、食物連鎖の底辺に位置する存在だと断じられたような、薄気味の悪さが
ステータスウィンドウを横に振って消し去る。メイドたちの眼には見えていないとしても、それを確認する作業はどこか危険を
「どうかなさいましたか?」
「なんでもありません、水を一杯いただけますか?」
ベッドで仰向けになる少年を心配してくれるメイドに、ナイトはぶっきらぼうな声音で返答するしかない。
かしこまりましたと答礼して退室するメイドが扉の奥に消えるのを眺め、改めてアイコンを手際よく操作する。
(シスター・カナイが隠してたのも納得だよな)
あんな気味の悪い予言を聞いて、果たしてそれでも、ナイトは聖地へと足を運ぶことができただろうか?
今では彼女の優しさが身に染みてわかる。
わかるが「何故もっと早く話してくれなかったんだ」という理不尽な問いが、ナイトの脳内を
(考えても
とにかく。儀式は明日に
明日の儀式とやらで、ナイトは機神ジズを教団に献上もとい提供することで、元の世界へ帰れる。
(はず)
確信はない。
確証もない。
何より、あの大司教、シホンという男が見せた笑顔の底にある感情が、ナイトには大きな気がかりとなっていた。
(あの
あれは、憐れな年下の少年へ、世界の迷い人たる子供へ、恩人だのなんだのと
巧みに隠された、純粋な“敵意”の
(あの寒気……まるで、……)
そう、まるで──
(
あまり考えにくいことだが。
あれは、
本当に、
人間なのだろうか?
「失礼いたします、ナイト様」
「ああ、どうぞ」
ナイトはウィンドウを手早く閉じた。
メイドが扉を開け、水を入れたガラスピッチャーを持ってきた。部屋に備え付けの、よく磨かれたグラスに透明な液体が注がれる、その時だった。
「? なにやら騒がしいですね? 少し見てまいります──ナイト様は
水を受け取ったナイトには聞こえないが、メイドの長力では何やら変事があったらしい。
止める理由もないため、ナイトは頷いて待った。
すると五分後。
「だから、ちょっとだけでいいんだって!」
「こ、困ります! このようなことが、大司教猊下の御耳に入ったら!」
「大丈夫! 黙っててくれりゃいいから!」
「……なんだ?」
部屋の外が、にわかに騒がしくなった。
そして、ノック音もなしに、ロイヤルスイートの寝室の扉が押し開けられる。
「よっ。ナイト」
「し、シスター・カナイ!」
どうしてここにという疑問符と、来てくれたことへの感嘆符が、同時にナイトの頭上に現れる。
* * *
「話には聞いてたけど。本当に最高級の部屋だな、ここは」
二十室もあるダイニングのひとつへ場所を移し、二人は平然とお茶を
カナイは首元に
「茶葉も特級と来たか~。いい生活してんな~、ナイト」
「えと、すいません」
「謝ることねえよ……むしろ謝るべきなのは、私の方だ」
ティーカップを皿に戻し、カナイは組んでいた足を解く。
「聞いたんだろ。予言の話」
「あ……はい」
「悪かったな──黙ってて」
ナイトは慌てて手と首を振った。
「そんな。むしろ感謝すべきですよ!」
「……感謝?」
「俺を
「感謝されるようなことなんて、私は何もしちゃいねえよ」
カナイは
「私は言うべきことを言わず、教えるべきことを教えず、おまえを聖地にまで案内しちまった。その罪は重い」
「罪だなんて」
「いいや、これは私の罪だ」
カナイはティーカップの中身を飲み干すと、やおらナイトの肩を掴んで顔を口づけできる勢いで引き寄せる。
そして、額と額を突き合わせ、ひそめた声で告げる。
「ナイト、ここから逃げるか?」
「逃げ? え? なん……で?」
「私がおまえを逃がしてやる。儀式なんて、んなもの受ける必要ねえ──とにかく、ここから逃げるんだよ」
「……カナイさんは、どうするんですか?」
「そこ気にするかー」
気にするに決まってると同じく声をひそめるナイト。
ナイトの強権で、このダイニングルームには二人しかいない。
が、部屋の外には戦闘訓練を積んだメイドや聖騎士が待機している。
逃げ道は全周囲を
「私のことは気にするな。って言ってもムダなんだろうな、おまえは」
「あたりまえですよ、だって……」
ナイトは
「だって、カナイさんは俺の恩人です。置いていくなんて、考えられません」
「……それじゃあダメなんだよ、ナイト」
何が駄目なのか本気で理解できない様子の少年に、カナイはこめかみをおさえて状況を説明する。
「移動手段を持ってる私が
「ふ、二人で逃げれば!」
「私が使徒であり聖徒である以上、位置は必ずバレる。この十字架は、秘匿モード以外だと、全自動で教団に居場所を
そもそも論として「何故、儀式を受ける必要がないのか」の説明を求めるナイト。
カナイは非常に言いにくそうに五秒ほど沈黙して、口を開いた。
「あれは、ナイトを元の世界に戻すなんて儀式じゃあない」
「そ、そんな!」
大声が漏れかけるのを必死に抑え込むナイト。
「じゃあ、いったい、俺は何の儀式を?」
「終末期の再現。それによってもたらされる世界の安寧。三匹の獣を殺し合わせ、その残された
ナイトは膝から崩れそうになって、ダイニングチェアに背中を預ける。
「殺し、合う……俺が?」
「そうだ」
「そんな、……まさかっ」
「嘘じゃない」
かすれ声にノック音が重なった。
カナイは立ち上がった。聖騎士やメイドたちに言い含めておいた残り時間的に、今すぐナイトを連れだすことは厳しいと判断できた。
「逃げ出す気になったら、いつでも私の十字架の秘匿通信にアクセスしな。やり方はジズに乗った時にわかっただろ。私はもう行かないと」
頭をかかえ
「帰れるって──そう言ってたのに──」
少年の涙声を残していく事が、つらい。
カナイは本気で このどうしようもない状況に嫌気が差していた。
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