儀式





   * * *




 ナイトは前日から、一睡もできなかった。

 寝具の柔らかさ温かさも無意味。周りにある世界のすべてが、砂漠の夜風のように、少年の心を凍てつかせる感覚がある。


(どうする……どうする──)


 枕と布団を頭にかぶり、幾万回も自問自答を繰り返すナイト。

 カナイが言っていた儀式内容を信じるならば、逃げ出す以外の処方がない。

 だが、その時はカナイのみに危害が及ぶ可能性が高い……どころか、彼女はそうなることを覚悟のうえで、“囮役おとりやく”まで買って出てきている。


(そんなのはダメだ!)


 ナイトは承服できない。納得も理解もできるが、心の奥底で、カナイを犠牲の仔羊にしてしまうことを少年は拒絶していた。拒絶するしかなかった。

 しかし、だからといって、他に処方があるわけではない。


(何か、何か方法はないのか?)


 思考の渦は、いとも容易にナイトの精神を溺れさせる。

 出口のない迷路に迷い込んだ感覚を覚えつつ、朝の光がカーテンの隙間から差し込むのを視界の端に感じる。

 夜が明けた。

 五日目の朝が来たのだ。

 ノック音がナイトの思考をさえぎる。


「ナイト様、朝の支度したくを」

「…………」

「ナイト様?」

「いえ、今いきます」


 この部屋に籠城ろうじょうしたところで、探し出されて即終了だ。

 それに、すべてを投げ出すには、まだ早いではないか。


(そうだ。俺には機神ジズがいる)


 この世界で、幾多の機属を相手に善戦してみせた実績がある。

 カナイがいう“三匹の獣の殺し合い”とやらにだって、ナイトが、ジズが勝ち残れば済むだけの話だろうに。


(シスターの、カナイさんの迷惑にだけは、なりたくない)


 この世界ではじめて出会った恩人であり、ナイトをここまで導いてくれた案内人であり、昨日は逃がそうとまでしてくれた相手だ。

 何より、カナイはナイトの名前を聞いて、はじめて「いい名前だ」と言ってくれた、かけがえのない人だ。

 ナイトは吐きそうなほどの不安と怖気おぞけを我慢しつつ、部屋の扉を開け、メイドたちが朝食を準備して待つダイニングの方へ。





   * * *

 



 カナイは夜を徹して、待ち続けた。

 だが、望んだ連絡は入らなかった。


「…………あの──バカ」


 悔しさをにじませた声で、彼女は自室の壁を殴りつけた。硬い金属音が反響する。


「先輩、そろそろ時間です」


 鋼鉄製の自動扉の奥から、ノック音と共に後輩の声が聞こえる。

 カナイは使徒として、一足早く儀式の会場に向かわねばならないのだ。


「……いま行く」


 カナイは漆黒の十字架を背負い、荷物も何もない自室を後にする。


(まさかナイトのやつ、「勝てばいい」なんて、そんな甘いこと考えてるんじゃねえだろうな?)


 それは、万に一つ──おくに一つ──ちょうに一つもない可能性であった。




   * * *




 朝食を少量だけ胃の中に落とし込んだナイトは、体調の不良を心配されたが「儀式を前に緊張しているだけです」とメイドたちに言い含めた。実際のところ丸きり嘘というわけでもない。

 そして、メイドたちから聖騎士団に管理権限が委譲いじょうされ、ナイトは多くの少女兵に導かれるままロイヤルスイートの階層フロアを離れる。

 昇降機エレベーターで一階へと降りると、大司教シホンが聖騎士団を率いて一礼してくる。


「おはようございます、転移者殿。お身体の調子はいかがです?」


 実直な物腰と態度で気遣ってくれる大司教の態度が、ナイトは空恐そらおそろしかった。


「だいじょうぶ、です」

「ですが。召使いの報告では、あまり朝食をいただけていない御様子」

「ぎ、儀式というのがなんなのか気になって、すっかり緊張してしまって」


 それっぽく誤魔化すナイトに対し、「なるほど」と鷹揚に首肯する大司教。


「あの、大司教」

「はい、なんでしょう?」

「シスター・カナイたちは、どちらに?」

「ああ、彼女たちであれば先に儀式の準備のため、現地に向かっているところですよ」

「そう、ですか」


 出来れば直接会って逃げ出さなかったことを謝ろうと思っていたのだが、それは儀式の場とやらにまで持ち越しになりそうだった。


「それでは参りましょう、儀式の場へ」

「そ、そういえば、儀式の場って、どこにあるんですか?」


 この“神の御柱”ではないとしたら、聖地のどこかになるのだろうか。

 シホンは、移送用のヘリを降下させつつ、丸眼鏡を朝日に輝かせニッコリと微笑む。


「聖地エブスからさらに北上した地──カーメル山の南東──通称“闘争の地”メギド」

「メギド?」


 ナイトはその名に、どこか聞き覚えがあった。

 大司教は意気揚々と説明を加えていく。


「そこに、三匹の獣のうち、君以外の二匹・・が封じられているのですよ」





   * * *




 ヘリコプターによる空の旅は、あっという間に広大な砂漠地帯を縦断し、荒廃した街々を通過していく。


「この儀式が成功した暁には、大地には実りが、街々には永遠の幸福が約束されることでしょう」

「はぁ」

「私の、長年の悲願でもありました」

「長年……いったいどれくらいの期間を?」

「そうですなぁ──ざっと三千年ほどです」

「ご、ご冗談を……」


 返事をするナイトには目もくれず、大司教シホンは本気で、荒廃した世界の有様を憂えている様子だった。


(だからといって、人に殺し合いをさせるのはどうかと思うけど)


 ナイトは切実に、自分の置かれた状況の理不尽さを呪う──人を助けようとして死ぬ思いまでしたのに、その上さらに殺し合いの場へ──これといった説明もなしに連行されているわけだ。カナイが前日に話してくれていなかったら、本当に状況変化についていけなかったと断言していいだろう。


「さ。着きましたぞ」


 ヘリが砂塵を大いに波打たせつつ地上に降下する。

 そこは、丘の上に築かれた、鋼鉄の楕円形闘技場であった。

 観客席までの高さが異様に高いことを無視すれば、実に近代的な建造物と見てよい。


「お待ちしておりました、大司教猊下、異世界転移者様」

「ハムダンさん」


 一行を真っ先に出迎えてくれたのは、闘技場で何やら聖騎士たちと共に準備を進めていた金髪の童女であった。

 ナイトは思わずあたりを見渡してみる。しかし、目当ての人物は見当たらない。


「ハムダンさん、シスター・カナイは?」

「カナイは地下で準備作業中です。お会いになるのは難しいかと」

「そう、ですか……」


 謝罪と感謝を送りたかったのだが、これでは諦めるほかにないのか。


(いや、儀式が終わりさえすれば)


 そう思いはするが、心浮き立たないのが正直なところ。

 そんな少年の様子をおもんばかって、ハムダンが大司教に意見具申する。


「猊下。教皇聖下のご到着までは時間がございます。転移者様を、カナイと合わせてやる程度の時間はあるのでは?」

「そうだな。意見具申を認めよう──転移者殿。カナイをここへ連れてくるように命じましょうか」

「あ、いえ。大事な儀式の準備を邪魔しちゃ、あれですから」

「そうですか。では、転移者殿は別室で待機を。教皇聖下が到着次第、儀式を始めるとしますので」


 大司教の丸眼鏡と、ハムダンの縋るような眼差しに見送られ、ナイトは灼熱の太陽照り付ける闘技場中央を後にする。

 聖騎士に案内された闘技場の待機室は広々としており、とても一人では落ち着ける環境ではなかった。

 時間だけが刻一刻と過ぎていく。


(ここまで来ても、儀式内容について語らないのは、やっぱり俺に知られるとまずい内容だから?)


 カナイが教えてくれた内容がアタリだとすれば、辻褄つじつまは合う。

 部屋に備え付けの水を一杯口に含んで、“記録ログ”をたどり自分の考えを整理する。


(シスターが言うには、儀式は、三匹の獣による殺し合い──それによる終末期の再現)


 三匹の獣とはベヒモス、レヴィアタン、そしてナイトの顕現するジズ。


(でも、シホン大司教は、ジズを提供すれば元の世界に帰れるって)


 あれは噓っぱちだったのか。“記録”では相手の感情や真偽情報までは解読できない。


(ジズは、俺は、いったい何なんだ! なんでこんな異世界に来なければいけなかった!)


 寝不足の頭で考えるが、答えが得られるはずもない。

 待機質の備品や椅子に八つ当たりしそうになるのを手際で食い止める。


(落ち着け。落ち着くんだ、ナイト)


 ステータス画面を開いて、ジズの状況・状態を再確認するナイト。

 そうとも。

 戦いとやらに、殺し合いに勝てばそれでいいのだ。それで、儀式とやらは無事に終わるはず……

 そこまで思って、悪寒が背筋を這う。


(本当に勝てるのか……俺一人で?)


 いくら機神ジズがあるとはいえ、相手は同格とされる存在が二体。それに勝てなければ、ナイトは、いったいどうなる?

 むくろとなり……

 にえとなる……


(そんなのは嫌だッ!!)


 恐怖心が臨界点を突破しかけた時だった。


「転移者様」


 ノック音と共に聖騎士の声が待機室内に響く。


「お時間でございます。どうか闘技場の方……へ?」


 ナイトは椅子いすを掴んで聖騎士の兜に思い切りブチ当てた。

 昏倒こんとうさせることまではいかずとも、意表を突かれた聖騎士二人が泡を喰ったように廊下の床に尻餅をつく。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 ナイトは謝り倒しながら、全力疾走で待機室から逃げ出した。

 薄暗い廊下の角を右へ左へ曲がり、階段を下りながら、追ってくる聖騎士たちをく。


(よし)


 だいぶ引き離せた。

 ナイトは一呼吸つき、ウィンドウを開く。

 ジズの顕現コードへアクセスして、カナイから渡されていた秘匿通信への回線を開こうと試み、




「どこへ行こうというのかね?」




 降って湧いたような存在感の奔流に首を掴まれ、異様な力でその場に垂直に持ち上げられてしまう。


「な、が、あっ!」


 ナイトがウィンドウを操作していた一瞬のスキを突いて現れたにしては、タイミングが最悪すぎる相手が、そこにはいた。


「これから君が向かうべき場所は、神聖なる儀式の場だ。それで、君は元の世界へ帰れるのだぞ?」

「っ」


 嘘だ。

 そう叫びたかったが、首を万力のような力で締め上げられ呼吸すらままならない。空気を求める喘鳴ぜんめいと、ミシミシと悲鳴をあげる筋肉と血管と頚骨の音色が廊下の天井に反響する。

 シホン大司教の明朗な笑みが、ナイトの苦悶の表情をにこやかに睥睨へいげいする。


「それとも。誰かから入れ知恵でもされたかね? 君がこれから行うのは、儀式の名を借りた殺し合いだとでも?」


 シホンの握力が弱められた。が、それでも、ナイトは一切の反撃が封じられる。蹴っても殴っても爪を立てても、大司教の腕と体は鋼のごとく頑健がんけんだった。


「ああ、ほんとうに困ったものだぁ。いったい誰がそんな嘘八百を君に吹聴ふいちょうしたのか、教えてはくれないかね?」

「なんの、こと、だ!」


 精一杯の虚勢だった。

 ここまで来て、カナイの迷惑になる情報は流せない──流してなるものかと自分を鼓舞こぶする。

 シホンは丸眼鏡の位置を整え、呆れたように鼻を鳴らす。


「では、行こうではないか。──最後の儀式の場へ」






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