避難





   * * *




 砂埃に満ちた貧民街は、パニックの坩堝るつぼと化して、いなかった。


「避難誘導、急げ!」

「護送バスの手配完了!」

「迎撃部隊を編成! 聖女様に後れを取るな!」


 住人らは意外と言っては何だが、規律正しく行動し、恐慌に陥るものはなかった。少なくとも表面上は。

 鉄板で防御された護送バスの一台に乗り込んだナイトは、車内のうすぼんやりした照明の中で、女性や子供たちの声に耳を傾ける。


「ねー、おかーさん。おとーさんとおにーちゃんは?」

「父さんたちは、聖女様と一緒に悪い怪獣をやっつけにいってくれてるんだ。心配ないよ」

「そーなの?」

「……」

「──」


 家に帰りたいとぐずりだす子もいれば、機属なんて大人になったらおれが全部やっつけてやるという勇ましい声も聞こえてくる。

 そんな中で、ナイトは一人、懊悩おうのうする。

 自分がこの土地、この世界に転移された理由を必死に探すナイト。

 だが、それとは相反するように、「自分ではどうしようもない」と強く叫ぶ己も実感する。


(あれが、ただの斥候──ただの雑魚)


 見上げた白亜の巨獣。鋼鉄のバケモノ。

 それに感じた、純真無垢な畏怖の感情は、ナイト自身も隠しようがない事実であった。 


「お若いの」


 ふと、隣の席の老人が優し気に声をかけてくれた。


「不安がることはない。聖女様──カナイ様は幾度となく、この街をお救い下さった。儂らのような不適合者も、分け隔てなく守護してくれる優しい御方だ」

「ふ、不適合者?」

「ん? 不適合者を知らんのか? おまえさん、ここいらじゃ見ないナリをしとるし、知らんのか?」

「ええ、まぁ」


 ナイトは話を合わせた。

 老人が説明するには、不適合者とは機属たちと戦う装具──第一から第八までの戦装せんそうに適合しえなかった者のことで、その適合率は最も高い第一戦装でも50%程度だという。この適合率は第二、第三と段階を踏むごとに減衰していき、最終段階の第八戦装〈ミソパエス〉では、「一万人に一人」という最悪の数字だという。

 つまり、


「聖女さま──シスター・カナイは、一万人に一人の逸材?」


 そういうことだと誇るように頷く老人。

 と、そのとき、バスの乗降口が閉じて、エンジン音がうなりを上げる。


「収容人数に達した! シートベルトは付けたな! では西の谷に避難するぞ!」


 誘導役の男が、右腕にはめているのが第二戦装〈ヒュポクトニア〉だと老人は教えてくれた。鉱山作業用の戦装で実戦闘力はほぼないが、こういった避難誘導員としては最低限の護衛戦力として随行することになっている。


「よし、出


 せ、という言葉が響く前に、轟音と衝撃が護送バスを強襲していた。ついで、吹き飛ばされるオモチャのように、バスの中身が二転三転する。


「ぐ……うぇ……」


 ナイトは手放しかけた意識をどうにか繋ぎ止めて、瞼を押し開ける。

 嬰児の喚き声がゆっくり響き、母を呼ぶ叫び声が遠くに霞む。

 奇跡的に無傷だったナイトは、隣の席を見た。


「おじい、さん?」


 老人はいなかった。

 バスの鉄板が無惨にも引き裂かれ、──


「う」


 ここまで耐え抜いてきた吐気はきけが、一挙に暴発した。

 ナイトは自分の掌の上に吐瀉物としゃぶつを撒き散らし、何度となく、えづいた。


「っ、っ、っ…………ふ、ざ、けんな」


 ナイトの中で、激情が渦を巻いた。

 それは燃えたつような色彩を帯びて、彼の心の何かを変革させた。

 ナイトはシートベルトを外し、横倒しになったバスの亀裂から外へと転び出た。

 眼鏡を失った視界を睨み据える。陽炎のように揺らめく黒煙。鋼鉄の獣に対し、逃げ惑う人々の悲鳴と悲鳴。

 むせかえるような燃料の臭い。

 燃え焦げていく鋼鉄の臭い。

 初めて嗅いだ硝煙の臭い。

 死を吸った汚泥の臭い。


 内藤ナイトは、ぼやけた世界を睨み据えつつ、血と泥と鋼の山に一歩を刻む。

 彼の視界の端っこで、灰色だったアイコンが赤色の点滅を繰り返していた──




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る