笑顔の価値
雪待ハル
笑顔の価値
他者を傷付ける事が怖くて、口を閉ざし、笑わなくなった少女がいた。名を早苗という。
それは、過去に友達を言葉で傷付けてしまったからだった。
早苗の元に次から次へと人が来る。家族が、友達が、恋人が。彼女の事を心配して。
けれど早苗は心を閉ざしてしまい、皆の声は届かない。
そんなある日、小さな男の子が道端で転んで泣いていた。その様子を早苗は目にした。
自分が近付けばまた傷付けてしまうのではないかと怖くなったが、周りには誰もいない。
早苗は勇気を振り絞り、そっと近寄って手を差し出した。
すると男の子は泣き止んでその手を取った。
「ありがとう。」
にこっと、笑った。
早苗は固まった。息が止まった。
(どうしよう。)
すると、無表情、無反応の早苗が怖くなったのか、男の子はみるみる内に不安そうな顔になり、また泣き出してしまった。
「おねえちゃん、怖い!」
早苗の手を振り払い、脇目も降らず走り出した。まるでお化けから逃げるように。無我夢中で。
その先には赤信号の横断歩道が―――。
「危ない!」
叫び、早苗は走った。
(私のせいでまた誰かを傷付けちゃいけない!)
男の子が車の前に飛び出す直前、早苗はその手を掴み、自分の元へと引き寄せて抱きしめた。
車が目の前を猛スピードで横切っていく。間一髪だった。
早苗は腕の中で泣いている男の子に、
「怖がらせてごめんね。ありがとうって言ってくれて、ありがとう。」
と言った。
その声を聞いた男の子は、きょとんとした目で早苗を見上げた。
早苗は精一杯笑ってみせた。
すると男の子は、今度こそ安心したようにとびきりの笑顔になって、
「うん!」
と言った。
男の子は母親とはぐれて迷子になっていたのだという。その為、早苗は男の子と一緒に歩き回って母親を捜し、男の子を捜し回っていた母親を見付けて男の子を帰した。
別れ際、母親は何度も早苗にお礼を言い、男の子は何度も何度も早苗に手を振った。
「おねえちゃん、またね!」
と、笑顔で呼びかけながら。
早苗もまた、「またね」と笑って手を振り返したのだった。
家への帰り道、早苗は一人考えた。
言葉は人を傷付ける。けれど、心を閉ざしていてもまた、人を傷付けてしまう。
何故ならそれは、相手を見ようとしないという事だから。
相手の姿を目は捉えていても、相手の心まで見ようとしていない。相手の心によって、自分の心を動かす事がない。―――まるでお化けのように。
だからあの男の子は恐怖し、逃げ出したのだろう。
(それはあの男の子だけじゃない。私を心配してくれた皆も感じていたはずだわ。)
皆の事を見ようとせず殻に閉じこもっている早苗を見て、皆はどれだけ傷付いただろう。それを思うと、胸が痛んだ。
100%人を傷付けない事が不可能だというのなら、少しでも傷付ける事が少ない方を。少しでも相手に笑ってもらえる事が多い方を選ぶべきなのかもしれない。そう思った。
だから―――。
早苗は自分の家の玄関の前で立ち止まる。
一つ、大きく深呼吸。
ゆっくりとドアを開けて、
「ただいま!」
そう、笑顔で言った。
おわり
笑顔の価値 雪待ハル @yukito_tatibana
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