ひとやすみの灯り

雪待ハル

ひとやすみの灯り

ふと見かけた看板。

わたしの足は自然に動き、吸い込まれるようにそのお店のドアへ向かった。

ドアを開けるとそこは穏やかな雰囲気のカフェだった。何人かのお客さんがゆったりとコーヒーを飲んで過ごしている。


「こんにちは」


カウンターの向こうから幼い声がした。

見れば長い黒髪を赤いリボンで結ってポニーテールにした全身黒ずくめの少年がこちらを無表情で見つめている。

彼の琥珀色の双眸は、ただ静かだった。


「・・こんにちは」


わたしは会釈をして挨拶を返す。


「空いているお席へどうぞ」


少年はあくまでも淡々と告げる。

わたしはその声に従って、壁際の端っこの席に座った。

すると、すぐに少年が透明なグラスに入ったお冷を持ってきた。

カラン、と氷の音が清涼に響く。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


テーブルにお冷が置かれ、少年はカウンターの向こうへと戻っていく。


「・・・・」


何だか、不思議。

今までの人生では、わたしがお店に入ると他のお客さんにチラチラ見られたり、見ず知らずの赤の他人のはずなのに聞こえよがしに悪口を言われたり、したものだけど。

ここのお店は、店員さんも、お客さんも、わたしに興味ないみたいだ。

その事が、すごくホッとした。


(―――さて、じゃあ注文するコーヒーを選ぼうかな)


メニュー表を手に取って眺める。

わたしが好きなのは程よく酸味を感じる種類。

例えば、モカやキリマンジャロがそう。

あとは、浅い焼きのものも酸味が強い。

深く焼けば焼くほど酸味は消えるから。


(・・・でも)


今日は何となく、その知識にこだわらなくていいかなと思えた。

当てずっぽうで、カンで、自由に選んだっていいんじゃないかなって。

だから、


「すみませーん」


片手を挙げて店員さんに合図をする。

ポニーテールの店員さんが「はーい」とすかさずこちらへやって来る。

わたしはテーブルの脇に立った彼を見上げて、メニュー表を指さして、


「エチオピア深煎りをお願いします」


と伝える。


「かしこまりました。・・・当店おすすめのスイーツもございますが、いかがでしょうか?」


「スイーツ・・」


わたしは再びメニュー表を見やる。

ベイクドチーズケーキにガトーショコラ、アフォガート・・・。

おお、どれも美味しそうだ。

わたしは甘いものも大好きだ。せっかくだし食べていこうかな。


「・・じゃあ、プリンで」


「プリンですね。かしこまりました」


店員さんはわたしの注文を紙に書き留めて、カウンターへ戻って行った。

その後ろ姿を見て、また不思議、と思った。

店員さんでも子どもでも誰でも、わたしは人と接する時、必要以上に緊張してしまう。

それは、今までわたしと接してきた人の多くがわたしの事を奇異の目で見てきたからであり、その目つきをわたしは怖いと思い続けてきたからである。

どうして?

どうしてわたしをそんな目で見るの。

どうしてわたしにそんな敵意を向けるの。

どうして――――。




「大丈夫?」




突然かけられた声に、物思いにふけっていたわたしは肩をびくっと震わせてしまった。

慌ててそちらへ顔を向ければ、カウンター席に座っていた女性がこちらを心配そうな表情で見ていた。

50代くらいに見える。短い髪をアッシュに染めて、品のあるゆったりとした服に身を包み、ラウンドフレームの眼鏡をかけている。

わたしへ向けるレンズ越しの眼差しは、少なくとも奇異の目とは違うと感じた。

彼女は声を出せずにいるわたしにちょっと首を傾げて、席からすっくと立ちあがった。

そのままわたしの元へ近寄ってきた彼女は、内緒話をするように、片手を口の横に添えて、


「泣きそうな顔してる。よっぽど辛かったのね」


とわたしにだけ聞こえる小声でささやいた。

わたしはそれを真っ向から指摘されて、思わず本当に涙をこぼしそうになったけれど、とっさに天井を仰いでぐっとこらえた。


「・・はい。実は。心配してくださって、ありがとうございます」


泣くのを必死にこらえながら話すのは大変だったけれど、優しいこの人にお礼を伝えたかったから、何とか声を出した。

すると、彼女はふわりと微笑った。

女神さまみたいだと思った。


「大丈夫。辛かったら休んで、力を蓄えればいいのよ。そうしてまた歩いて行くの」


「え・・」


「ここのお店のコーヒーは美味しいわよ。じゃあ、楽しんでね」


彼女はそう言うと、すっとわたしから離れて、


「マスター、お会計お願い~」


とポニーテールの店員さんの方へ歩いていった。

そうして女神さまみたいな彼女は、お会計を済ませて「また来るわ~」と店員さんへ明るく声をかけて軽やかに店を出ていった。

なんて素敵なひとだろう。

わたしもこれから歳を取ったら、あんな風になりたい。

落ち込んでいた心に、ぽっと灯りがともった気がした。




“ここのお店のコーヒーは美味しいわよ”




彼女の言葉がよみがえる。――――そうなんだ。楽しみだな。

そう思っていたら、さっそく店員さんがコーヒーとプリンを運んできてくれた。

慣れた手つきでカップとお皿がテーブルに並べられる。


「ありがとうございます」


「どうぞごゆっくり」


まずは、コーヒーから一口。

あ、美味しい・・・。

深煎りでも、さわやかな酸味があって、ただ苦いだけじゃない深みのある味わいだ。

じゃあ、お次はプリンを。

ぷるぷるの黄色、てかてか光るカラメルの茶色にスプーンをそっと入れる。

口に含めば、――――ああ、美味しい。

やわらかくとろける舌触りにやさしい甘さ。

さっきまで危うく泣きそうになっていた身には、コーヒーもプリンも心癒される一品だった。

落ち着いたBGMが流れる店内で、わたしは幸福なひとときを過ごした。
















「すみません、お会計お願いします」


全身黒ずくめの店員さんはレジの前までやって来たわたしを琥珀色の瞳でじっと見た。

何だろう。わたしが彼を見つめ返すと、


「・・・ボクはこう見えて100歳を越えているのですが」


口を開くなり彼はそう言った。


「え」


「暗闇のどん底に落ちた時もありました。けれど、そんな時、自分が『いいなあ』と感じたヒト、ものが助けてくれました」


「・・・」


「だから思ったんです。助けてもらったから恩返しをしようと。手渡されたものを次のヒトへ繋ごうと」


だからボクはこの店を開きました。

少年の姿をしたマスターは一方的にそう言い切ると、「1050円です」と事務的に告げた。
















「ありがとうございましたー」


「ごちそうさまでしたー」


会計を終えてから彼と言葉を交わし、わたしは店を出た。

振り向いて、改めて店を見上げる。

看板に





“Polaris”





とあった。


「・・・・」


それを見てふっと微笑むと、今度こそわたしは店に背を向けて歩き出した。

世界はまだ怖いし、これからもおびえながら生きるのだろうけれど。

それでもどうにかこうにか生きていくのだろう。

疲れ切ってしまったら、こんな風に一休みして。元気が出たらまた歩き出して。

たまに素敵な出会いと別れを繰り返しながら。

そうやって顔を上げて生きていくのだ。

たぶん。





おわり

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ひとやすみの灯り 雪待ハル @yukito_tatibana

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