第20話
僕は一目散に真帆の父親のもとに向かった。現在、真帆の父は、内科医の職を少し離れ、人体の部分複製技術専門の国立医療研究所で研究に専念している。よって、その研究室に行けば必ず会える。そもそも、真帆が死んでから急に研究所に移った時点で、疑うべきだった。
常識的にはない。だが、もしかすると、と思う。
僕は暴れて仕方がない心臓をなんとか落ち着かせて、受付に頼んだ。
丁度時間が空いていたらしく、真帆の父親はすぐに僕を研究所の私室に招き入れてくれた。
「どうしたのかね、巧生君。君がここに来るなんて、よほど急ぎの用だったのかい?」
相変わらずの優しい口調で、コーヒーなんかを入れてくれている。
「お聞きしたいことがあります」
「なんだい?あ、まあ、座ってくれ」
僕は立ったまま続けた。
「病床生活において、点滴のみの栄養補給で、太ることはあり得ますか?」
僕は冷静に、いつもと変わらないように心掛けて聞いた。
「それはないな。痩せることはあっても、太ることはない」
「そうですか。では、半年の昏睡から覚めた人間が、日常生活を送れるようになるまでに必要なリハビリ期間はどれくらいですか?」
「ちょっと待ってくれ。それを聞いてどうするんだい?真帆に何か疑問な点でもあるのかい?」
警戒したような表情を見せ、コーヒーをくれる。僕は受け取って、真帆の父がソファに座るのを確認してから続いて腰を掛けた。
「いいえ」
僕はそう答えただけで、見つめたまま黙っていた。
彼も僕を見ていたが、やがて、目の力がふっと抜けて首を振る。
「巧生君の聞きたいことを聞いてくれ。わたしに気を遣うことはない。聞かれたことにはきちんと答える」
真帆の父は言った。
「僕は、意識の戻った真帆を見て、嬉しいと同時に、何か違和感を覚えました。ずっと、悩んでたのですが、先程分ったんです」
僕は真帆の父親をしっかりと見据えて話す。
「観覧車の中で、最後に見た彼女は、可哀想なくらい痩せてしまっていました。そしてそのまま死亡し、次の日に蘇る。さらに半年間寝たきりの生活。なのに、僕が見た彼女は、元気な時の姿そのままでした。それだけじゃないです。そんな彼女は、一週間と経たないうちに退院。僕はずっと見ていましたが、とりわけ厳しいリハビリはしていません。これも妙なことです」
僕は、直接は聞かず、まずは自分の感じたことを述べた。核心的な答えが出るような質問を意識して避けた。
「全部、考えすぎですか?」
真帆の父は、黙って俯いていた。
「気のせいだ、と言えば、君は納得するかい?」
「えっ?」
「君はもう、結論を持っているのだろう。それを確かめに来た、違うかい?」
彼は僕を見て、悲しそうな顔をした。
「分かりました。それでは聞きます。今の真帆は、クローンですか」
僕はそれを口にした。
僕たちは、真帆の父に呼び出されたあの時から、真実を偽られていたのだ。
クローン。
クローン人間は存在し得ないとされている。しかし、今目の前に居る真帆の父、麻生卓磨は世界が認める複製臓器研究の第一人者で、人体からの部分複製を専門に国立医療研究所で研究をしている。彼がこの短期間で、もしくはもっと前からクローン人間を作ることに成功した可能性は極めて高い。もちろん、仮説の域を全く出ないこの推測は、なんの信憑性も根拠もない。それでも、疑惑が浮上した以上、僕はそれの真否を確かめたかった。答えによっては、重要なことだと思う。
「君の賢さが恨めしく思えるね。その通り、今のあの子は世界初のクローン人間だ」
僕は頭を思い切りぶん殴られたような気がした。些細な疑問から出た、突飛でもない僕の仮説は、奇しくも当たっていた。今更になって、聞かないほうが良かったかと少しだけ後悔する。
「真帆が死んでからね、泣き崩れる妻を見て、そして薫ちゃん、巧生君を見て、わたしはクローンを造ることにした。あの子が生き返れば、全て元に戻る。もちろん、国の許可は下りていない。それ以前に、わたしとごく数人の研究チームの人間以外、わたしがクローン人間の完璧な製造方法を発見したことは知らせていない。真帆が危ないと分かってから、なんとかあの子の命を繋ぎとめようとわたしは研究に明け暮れた。一ヶ月や二ヶ月は、ろくに食事を取らずに研究した時期もあった。でも間に合わなかった。だが、そのかわりにクローン技術の確立に成功した」
真帆の父は話し続けた。
「どこをどうしたのか、わたしはよく分からない。浮かんできたのだ。唐突にね。もともとは人間の部分的な複製を作るための技術だ。わたしはこの研究を発表するつもりは無い」
僕は何も言えなかった。
真帆はクローンである。その事実が何を意味するのかまでは、考えていなかった。
「嘘については、本当にすまないと思う。でも、あのように言って信じてもらうのが一番だったのだ。それに、疑問を抱かれた時点で事実を語ろうと決めていた。変に隠して、それがあの子の耳にでも入ったら、大変だ」
「それは、どういうことですか?」
僕はやっと言葉を発した。
「真帆には、自分がクローンだということを話していない。話すつもりもない。だから、これは決して言わないで欲しい。あの子に話した内容は、君たちの聞いたことと一緒だ」
それを聞きながら、僕の頭の中はグルグルと回っていた。
真帆は、事実を知らない。それもそうだ、自分が、造られたクローンなのだと知ったら、ショックを受けるに違いない。僕だってそうだ。自分は本物でありたいと思う。
本物?
では、クローンである彼女は、偽者なのだろうか。
分からない。
僕の知っている真帆と、今の真帆は何も変わらない。本人そのものだ。しかし、事実彼女は本物の彼女からそっくりそのままに造られた、クローン人間なのだ。
僕は考えた。
真帆の魂は、半年前にこの世から消えた。
そして、クローンである真帆が生まれた。
これは、魂の生まれ変わりではない。二つは別個のものなのだ。なぜなら、仮に真帆が生きていたとしても、クローンに成功すれば、今の真帆も存在する。全く同じ人間が二人いることになる。魂は二つ。同一ではない。
そう考えられる事実が、僕を悩ませていた。今の彼女を今までのように愛することに異存はない。しかし、それは同時に、死んだ彼女への冒涜にならないだろうか。
彼女は、生き返っていない。新しい個体として、新たに生まれたのだ。
僕はしばらく呆然としていた。
「……これは、死者への冒涜ではないのですか」
僕は言った。
そうだ。生前真帆は言っていた。自分の代わりのクローンなんて作ってほしくないと。それは死者の魂を蔑ろにすることだと。
「死んだ真帆への冒涜ではないのですか!」
僕は真帆の父親に掴み掛かった。
「君は分かっていない。死んだものは何も喋らない。何も感じない」
「そんな!」
僕が更に迫ると彼は強引に僕の手を払いのけ、ドンッと突き放した。
「葬式は何のためにやると思う?墓は何のために立てると思う?全部生きている人間のためだ!成仏してほしいと願う生者のための慰めだ!」
真帆の父は声を荒げた。こんな風にものをいう彼を僕は始めてみた。
「巧生君。君にだってわかるだろう。あの子を失うという耐え難い痛みが」
そこまで言われて、僕はまた黙ってしまった。
「わたしは娘の死を無かったことにする。クローン技術の成功も、全て無かったことにする。名誉も、何もいらない。真帆が戻ってきた。それでいい。いいか、巧生君。これはすべて、二文字で解決できることなんだ。真帆は生きていた。『奇跡』だ。それ以上でも、それ以下でもない。わたしにはそれで十分すぎる」
彼は言い切った。何も言わせない圧力と、とてつもない覚悟をその言葉に感じた。それ以上、僕は反論することは出来なかった。
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