第19話
「お前、少し明るくなったな」
そう言ったのは、大学でできた数少ない友人の一人、森宮祐樹だった。
「ああ。そうだろうと思う。奇跡が起きたからね」
僕は言った。
表面的に見ると、はっきり言って、彼と僕との接点はほとんどない。学部が違うし、僕は部活動やサークル活動はしていない。ただ、同じ大学に通っているだけだ。それなのに、僕らは知り合った。人間同士のめぐり合いなんてものは、本当に不思議である。
彼は医学部の学生で、長身にぼさぼさの髪、黒ぶち眼鏡と無精ヒゲというなんともだらしない身なりをしているが、よく見ると整った顔立ちをしているし、中身は面倒見の良い気のいいやつだ。図書館によく出入りしていた僕に、何かと話しかけてきた。真帆の一件で死人のようだった僕に、「お前ほど不幸そうな顔をしているやつは見たことがないから、友達になろう」と言ってきた変わり者だ。最初は気分を悪くしたものだが、その気を使わない物言いには全く悪気がないことを知ると、話していてなかなか面白い人間だった。一浪しているせいで僕より歳は一つ上である。本人曰く、頭は物凄く良いが、運と間の悪さゆえ人生に失敗が多いそうだ。
「何かは知らんが、よかったな」
うちの大学内のカフェテリアは、現在のように、午後四時という時間がなぜか空く。
僕たちは小腹が空いたので、軽食を取っていた。いつもと違う雰囲気の僕を、森宮は興味深そうに観察していた。
僕がその彼にそれを話したのは、やはり浮かれていたからだろうか。もちろん、詳しくは話してはいない。死んだ人間が、一日過ぎに生き返って、半年後に目を覚まし、元通りだった。言ったのは、それだけだが、それでも軽率だったと思う。隠すことではないにしても、わざわざ他人に言うことではない。
「まあ、普通に聞いたら百パーセントあり得ない話だが、ホントなんだろ?確かにそりゃ奇跡だな」
森宮は卵サンドを頬張りながら言った。
「俺もそう思う。でも、事実だからな。奇跡でもなんでも、俺は嬉しい。こうして、事例がある以上、絶対にあり得ないことでもないんだろうしな」
僕は気楽にそう言ったが、目の前の彼は、表情を崩さずに首を捻っている。
「いやいや、あり得ないよ。死後二十四時間以上経過してから蘇生しただけでもかなり稀なのに、それから半年?昏睡状態だったんだろ?それで、全く脳に後遺症が無いなんて……どこかで何かの情報を聞き間違えたということはないよな?」
普段は見せない真面目な顔で言う。その言い方が気になって、僕は言葉を返す。
「聞き間違いは、多分ないはずだ。でも、ほら、よく交通事故に遭って、意識不明のまま何年もしてから目を覚ます人もいるだろう。その人達は、体のリハビリだけですぐに社会復帰できると聞いた」
そう言って、またあの違和感。
「お前、そりゃあ、そいつらは心停止していないからだ。していても、蘇生するまでの数分だ。脳への損傷の確率はかなり低い。今回とは、ケースが違うだろうが」
言われてみて、納得する。彼の言うとおりである。僕の中に、何か大きな靄が広がっていくのが分かった。
「いや、すまん。専攻がそっちなだけに、ついマジになってしまった。許してくれ。起きているのが現実なのだから、その事実を認めるしかないのが正論だ。すまない」
彼はグラスの牛乳を一気に飲み干して、いつもの気の抜けた態度に戻った。
「いや、べつにいいんだ。お前の言うことも尤もだ」
僕は軽く笑い流した。彼は間違っていない。今回の真帆のケースこそ、異常な事態なのだ。
「おや、こんな時間か。すまない、オレはこれから行かねばならないところがある。名残り惜しいが、今日は失礼させてもらう。またな」
時計を見るなり、驚いたように急ぎ始めた森宮は、最後に「図書館で会おう」と言い残して去っていった。確かに、夕暮れの大学図書館を三日も徘徊すれば、かなりの確率で森宮に会えるだろう。接点の極めて少ない僕たちの「またな」とは、そういう意味だ。
僕は、とっくに食べ終えていたホットサンドの皿を片付けて、カフェを出た。
僕はそのまま構内を出て、駅へと続く道を歩く。
森宮の言ったように、真帆の回復は異例だ。真帆はどこも異常はなく覚醒した。本来なら、何も思い悩むことはないように思える。しかし、僕の感じているこの微弱な不安は何なのだろう。それは、考えれば考えるほどに、大きさ、姿を確立していっている。ただ、それが非常に検討をつけにくいものなのである。
駅に到着し、僕は電車に乗る。時間帯で学生は多いが、席は空いていた。
『百パーセントあり得ない話』
森宮の言葉を思い出す。
ぽつりぽつりと、真帆が目覚めてからの出来事を適当に頭に並べる。
半年振りに会った、真帆の元気な顔。
一週間で退院した彼女。
半年間意識不明。
かえって健康体になりつつある真帆。
二十四時間以上の心肺停止。
変わらない真帆の笑顔。
病室で抱きしめた感覚。
分りそうで、分からない。
僕は諦めかけて、車内を見渡す。そこで、一枚の中吊り広告が目に入った。
きっと、その瞬間心臓は止まっていた。
それを見にした僕は、稲妻のような閃きを感じた。何の関連性もなかったキーワードは全てつながり、違和感の正体が明確になる。微塵も解けなかったパズルが、まるでズルでもしたかのように急激に完成していく、妙な達成感。
そして、その後で、とてつもない焦燥が僕を支配した。
科学雑誌の広告と思われるそれには、こう書かれていた。
『実現なるかクローン技術』
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