第12話

伊瀬の叔母の家、ここ『双樹庵』は旅館なので各部屋で食べることも可能だったが、僕たちは打ち合わせすることもなく大食堂に集まった。最初から誰一人として、部屋ごとで食べるなどという選択肢は持ち合わせてはいなかった。言えば当然である。

 大食堂は、和、洋、中の何でも揃うバイキング形式であり、団体客や子供の多い家族連れには人気のあるシステムだ。双樹庵はさほど格式高い旅館ではないそうなので、時代の流れと共に早い段階でこの形式を同時採用しているらしい。昨今の宿泊施設事情も大変そうだ。

 少しずつ全般的に食べてみたが、なかなか美味しかったと僕は思う。こういうところの味付けは万人向けを重視するため、妙にうすかったり甘かったりするものだが、今回に置いてはそういった感じは全く無く、どれもしっかりと信念を持った味付けがなされていた。当たり前のことだが、予想よりも食事が旨いのは非常に嬉しい。

 食事を済ませて三十分程休み、僕たちは旅館から五十メートルほど離れた、浜に降りる手前の広場に集まることにした。

 夏と夜と言えば、もう後は一つだけ。花火をするしかない。

 真帆と僕と町田は用意周到だった。三人が三人とも個人の意志で準備したというのだから、類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。残りの二人も持ってこなかっただけで、それなりに考えはあったようだ。

「まあ、誰かが持ってくると確信していたから、あえて用意しなかった」

 と明は先読みをしていたらしいし、伊瀬は、

「真帆が花火しないはずないじゃん。それに、万が一なかったら叔母さんに調達してもらおうと思ってたから」

 だそうだ。

 そういうわけで、暗くなると同時に花火をするというのも暗黙の了解だった。

「浜辺の近くで花火なんて何年ぶりかしら。いいよね、子供に返ったみたいで」

 花火セットの袋を開けながら、真帆が嬉しそうに言った。

 館内では皆浴衣を着用していたが、外に出るにあたってはさすがに洋服を着てきた。

 真帆は昼間と同じ、清清しい青の半袖のブラウスに白いキュロットスカートだった。いつもよりやや活発なスタイルも、それはそれで似合うので好い。ちなみに伊瀬は真紅のTシャツにハーフジーンズだ。

「よし、まずは盛大に打ち上げといきますか」

 そう言う町田の手の先には、『烈火!打ち上げ十連発』と書かれた太い筒の導火線がある。

 ジッという音と共に、町田がその場を離れこちらに来る。数秒経って、一発目が打ち上がった。僅かな風で右にそれたが、綺麗な緑色に花が咲いた。次からはどんどんと、休むまもなく色とりどりの火花が飛んで咲く。漆黒の空を彩る儚い装飾である。

「へぇ……。結構綺麗じゃない」

 感心したように声を漏らしたのは伊瀬だった。きっと、「花火セットの打ち上げにしては」という意味だ。

 それから僕たちは各自好きな花火を手にした。線香花火のお化けのように火花をだすものや、目がくらむほどの光を放つもの。標準的な、バーナー状の火が何色にも変わる花火や、木の枝にぶら下げてクルクルと回りながら光る花火。

 みんなきっと、童心に帰っていた。

 火をつけて、色彩豊かな光を見る。その単純で無意味とも言える燃焼活動に、どうして人間は心惹かれるのだろう。花火とは、もしかすると火を使うことを最も許された唯一の種族、人類の究極の娯楽かも知れない。

 たかが花火で盛り上がることができる。純粋に、花火で楽しめる。自分も含めて、彼らのその素直さが僕は好きだった。

 目の前のささやかな幸せや喜びを、無意識にもやすやすと見逃してしまう人間は悲しい。それは決して、小さな幸せを目標に生きるというある意味においての消極的な夢の見方と同義ではない。ただ、あまりに大きな夢を求め過ぎてそれに慣れてしまい、小さな幸せに麻痺しまうことが悲しいと思うのだ。

 少なくとも、僕たちの精神は健康である。

 真帆が花火で宙にさして意味もない文字を描く。暗いキャンパスには光の余韻が残ってすぐに消えた。そして次は、遠くから僕のほうに向けて何やら描き始める。

『LOVE』

 誰にも気付かれないように、ゆっくりそう描いた。描いたその後に、「アルファベットよ」と小声で言って念を押した。

 町田と明は、何発目かのドラゴン花火を設置、点火しに行き、伊瀬は消えそうな火種のろうそくを、新しいものと取り替えていた。

 僕も隙を見計らって素早くハートマークを描くと、真帆はニッコリと微笑んだ。

「おわっち!危ねえ」

 叫びながら町田が走ってきた。突然予想以上に吹き出した火花から逃れてきたのだろう。明はもうすでにこちらに来ている。

「気を付けてよ、花火で火達磨なんて笑えないんだから」

 そう言う伊瀬の手には、花火のフィナーレを飾るべき定番のものが握られている。

 そう、線香花火である。見たところ、この光と炎の小さな祭典も残り数本でお開きとなりそうだ。

 一通りやり終えて辺りが元の暗闇に戻ると、僕たちも無意識に静かになった。無言で一人ずつ線香花火を手にし、点火する。

 微弱な火の玉をぶら下げて、懸命に火の粉を飛ばす。その儚さと危うさに、哀愁と安らぎ、僅かな不安とささやかな希望を見るのだ。この地味で弱い花火は、様々な意味で日本人の心を打つのだろう。中にはそれを嫌ってあえて手にしない人さえいるはずである。

 人を考えさせる花火。それが線香花火だと僕は思っている。

「線香花火って風情があって好きだけど、同じくらい嫌いかな」

 皆と同じくしゃがんで下を向きながら、ポツリと真帆が呟いた。

「お祭りの後の寂しさみたいで?」

 返したのは伊瀬だった。

真帆はこくりと頷く。火の玉を見つめる彼女の視線が、妙に憂いを帯びていて、僕の胸が少しだけ締め付けられる。どんな理由があるにしろ、真帆にそんな表情はして欲しくない。見ているこっちが苦しくなる。

「だから、俺たちがいるんだろ」

 僕は言った。

「そんな寂しさに負けないように、仲間がいるんだ。楽しかった、あれが良かったって言って、それじゃまたいつかやろうって、次のことを考えられるように。明日のことを考えられるようにさ」

「そう。お祭りの後には、次のお祭りのこと考えればテンションも下がらなくて済むじゃない」

 小さい子に言い聞かせるように、伊瀬が真帆を覗き込んだ。

「こういうときは、町田の楽観主義を見習うのが得策だね。それぐらいしか参考にはならんからな、こいつは」

 明も加わる。

「おい、なんか酷い言われようだな、俺は」

 言った町田も目で笑っている。

「うん。次を考えなきゃね。私は一人じゃないもの」

 線香花火の頭が落ちたのを見届けてから、真帆が言った。まるで自分に言い聞かせるようにゆっくりと。

「ま、そういうこった」

僕は、まだしゃがんでいる真帆の頭をポンッと撫でてやった。そして手を差し出す。

彼女は僕を見上げると、優しく微笑んで手をとった。

「さてさて、ともかく花火は終了。っと、まだ八時半か」

「それじゃ皆浴衣に着替えて、小さな宴会と行きますか。飲み物、つまみにぬかりはないから安心したまえ」

 明と町田がそんなやり取りをしていると、少し不可解な顔をした伊瀬が割り込んだ。

「宴会は賛成だけど、わざわざ着替えるの?」

 寝る時はどうしたって浴衣だろうから、着替えるのは理にかなっている。しかし、伊瀬があえて聞いたのは、さりげなく町田が念を押した所だろう。

「ふふん、その方が色っぽいからに決まっているだろう」

 あたかも当然といった様子で町田が答える。前々から思っていることだが、どうしてこいつはいつも、きっぱりと言い切ってしまうのだろう。もっと、男のスケベ心を隠すとか、見栄を張って格好を付けてみるとかいうことをしないのだろうか。

 僕にはちょっと恥ずかしくてできそうもない。分かっていたって、形だけでも自分はスケベじゃないと言いたいものだ。そんな僕は町田から「お前は案外むっつりスケベだからな」と常日頃言われている。まあ、返す言葉もない。面目ない。

「言い切ってしまうあたりが偉いわね。偉いおバカ」

 呆れる伊瀬に真帆は沈黙の苦笑で返す。

「いやいや、浴衣が似合う美人が二人もいるのだから、これは当然というか必然の流れだね。宿命といってもいい」

 相変わらず論理的に難しく意見を並べる明。

「二人とも別々の意味で恥ずかしいぞ」

 僕は傍観者ぶって、浴衣論に身を投じている親友二人に言いやった。

 汐の香の強い風が、暗く静かな空を吹き抜けた。

 ふと、横目に見下ろした先には浜がある。昼間はあんなに賑わっていた砂浜も、今は誰もいなくただ重々しく暗いだけである。

「なあに? どうかしたの?」

 いつの間にか僕の隣に来ていた真帆が、僕の視線の先を見て言った。

「いいや、なんでもない。砂浜も夜は暗いばかりだなって、ちょっと思っただけ」

そう、なんとなく見て、そう思っただけだ。

今いる空気が心地良いから、ちょっと余計に目に入ったものについて、ちょっと余計に考えただけだ。

僕はきっと、みんながいる、真帆がいるこの空気が心地よくて好きなのだろう。今までも、これからも。

 

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