第6話
毎回のことではあるが、テストが終わった時の開放感は、素晴らしい。
それが、期末テストであれば、後は長期休暇を待つばかりなので、この上ない喜びである。
今年の二学期末テストもなんとか乗り切った。予想では、マズイ点数の教科は無いはずだ。テスト勉強をし始めると、今まで自分が授業に置いて、どこを真剣に聞いていて、どこを蔑ろにしてきたかがはっきり分かるとつくづく思う。逆に言えば、僕みたいに勉強嫌いの人間は、その時期にならなければ、どこが分かっていないのかにさえ気付かない。
だからこそ、一夜漬けは苦労が耐えないのだ。しかし、僕は幸運な方だった。榊明は理数系のエキスパートだし、真帆は全般的にできるが、特に英語は天才的だった。つまり、理解しないと全く出来ない数学と英語は、この二人の専属家庭教師のおかげで乗り切れる。後一つの難関、国語と古典は、幸い得意分野なので救われているのだ。他の教科は、何とかなる。
とまあ、そんなゆるい感じで期末テストを乗り越えた僕は、真帆とのハッピーなクリスマスをどう演出するかという新たな問題に立ち向かっていた。
レストラン。それもありだが、そんなイヴの夜に行くような高級レストラン、行ったこともなければ、それにまつわるエトセトラも微塵も知らない。人間、慣れない事をするとろくなことは無い、というのが僕の人生論だ。下見をして、何件か回って云々をしたいところだが、本格的に考え始めたのが十二月の十日。今からじゃ予約は取れそうに無い。それより何より、財布との折半の時点で問題がある。金が無い。
さてどうしたものかと頭を抱えていると、ある日真帆がこんなことを言ってきた。
「ねぇ、その……クリスマスの予定とか、もう決めちゃった?」
擬音を使うと、ドッキ―ンッってやつだ。ええと、決めているような決めていないような、計画倒れのような……すみません。
僕が内心焦って返答に困っていると、
「私、ケーキ作ろうと思うんだけど、ダメかな」
ダメなわけないじゃないか。いや、むしろ手作りのケーキを食べられるなんて、夢のようです。そういえば、真帆の作ったものって食べたことないな。
「それでね、よ、よかったらうちで過ごさない?」
うん……まぁ、必然的にそうなるね。もしくは僕の家か。
「ああ、うん。真帆がそれでいいなら。俺はかまわないよ」
僕がそういうと、真帆はパッと表情を明るくして、
「そう、よかった。じゃあ、その日は夕方からうちに来て。お料理も用意しておくから」
彼女はなんだかとてもうれしそうだった。
「私、頑張るね」
真帆は小さくファイトポーズをとって、軽やかに去っていった。
なんか、よく分からないけど、うまいこと事が運んだな。っていうか、うまい方に転んだ?
ともかく、埒の明きそうに無かったクリスマス計画も真帆の計らいで事なきを得た。となれば、いよいよもってイヴを待つだけである。
で、十二月二十四日。
当日になって気付いたことだが、彼女の家でケーキやら料理やらを夕方からご馳走になるということは、彼女の両親とのディナーにもなりうるのではないか、と。
迂闊だった。
そんな状況、緊張しっぱなしでどっぷり疲労すること間違いなしだ。
あ~あ、少しはいちゃつけるかと期待していたのだが、残念。
いやいや、いまさら何を嘆いても遅い。
インターホンを押して、しばし持つ。間違ってもダッシュはしない。もちろん、連続押しするラッシュもしない。
「はい、どちらさま?」
聞きなれた声だが、真帆と真帆のお母さん、どちらだろう。あの親子は声がそっくりなので迂闊に判断はできない。
「あの、安曇です」
「あ、巧ちゃん?今開けるね」
真帆だったか。
門は開いていたので、そのまま敷地内に入り、庭を通過し玄関へとたどり着く。とほぼ同じタイミングで錠の解かれる音がした。
「はい、いらっしゃい」
ドアを開けた真帆は、にっこり笑ってそういう。いつもどおりの幸せそうな微笑だ。
「お邪魔します」
そう言いながら、一歩を踏み入れる。動きが硬いのは、これから遭遇するであろう真帆の父君と母君とのことを考えているからだ。
「あ、そうそう、お父さんもお母さんも今いないから、適当にくつろいでいて。もうすぐケーキが焼けるから」
は?今さりげなくすごいことを聞いたような。
「え?」
僕はそれとなく聞き返す。
「あとちょっとで、ケーキが焼けるの。結構自信作なのよ」
いや、そうじゃなくて。
「あの、誰もいないの?」
「う、うん。お父さんとお母さん、今日はデートだって。あの歳になってもイヴにデートなんて、いいわよね」
なんだか嬉しそうに言う真帆。
「帰ってくるの夜だから、それまでは居てね」
ええ、いますとも、いますとも是非。あのぅ、それって、ご両親が帰ってくる前に真帆を、その、頂いちゃってもよろしいということでは……? などという健全な男子高校が、どうしたって抱いてしまう邪な妄想を一通り済ませて、小さく息を吐く。
多分ないな。真帆に限ってあるはずが無い。分かっているさ、でも少しぐらいはね、考えても罰は当たらないだろう。考えるだけならタダ。犯罪にもならない。
それに何より、真帆の心臓は、きっとそれをよしとはしない。
僕がどんなに彼女を愛していても、そんなことはまかり通らない。
僕はリビングに通されて、コーヒーを出され、くつろいでいるよう言われたわけだが、特ににすることも無いので、料理をする真帆を見ていた。リビング直結の対面式キッチンなので、ソファからでも良く見える。
薄いブルー地に濃いブルーでアルファベットがランダムに描かれているシャツにグレーのジーンズ。その上から白のエプロン。うんうん、どんな格好でも可愛いな。
スポンジを冷ましている間に、次の料理をオーブンに入れる。あれはチキンか。ずいぶん手際が良い。料理得意なのか。
「なぁ、なんか手伝おうか?」
「えっ?じゃあ、お皿並べてくれる?」
「よっしゃ。場所はどこ?」
ようやく僕は手持ち無沙汰な状態から開放される。
いや、実をいうとあのままじっと真帆を見ていると冗談や妄想ではなく襲いかかってしまいそうで、危なかった。結局は出来やしないのだろうけど、万が一ということもある。
やはり、作業は一人より二人。食器を出して並べるだけでもだいぶ役にたった様で、それから三十分ほどで準備は万端整った。
「はい、完成。それじゃ、わたし着替えてくるから、ちょっと待ってて」
彼女は言って足早に部屋へと向かっていた。別に着替えなくてもいいのに、と思ったが、そこはクリスマス・イヴ。気取ってディナーをしたいのだろう。
ほんの数分で真帆はリビングへ戻ってきた。
こげ茶のシックなハーフネックセーターにクリームホワイトのスカート。ネックレスとイヤリングまでつけて、完全によそ行きの格好だ。
「うん、綺麗だよ」
僕が言うと、彼女はまたにっこりと笑った。
僕たちはシャンパンで乾杯し、二人だけのしかも真帆の手作り料理による特別なクリスマスが始まった。
チキンとスパイス焼きとシーザーサラダ、ハムとキュウリの冷静パスタにメインっぽいのはカニグラタン。どれも本当においしくて、改めて天はニ物も三物も人によっては与えるのだな、と思ったりもした。真帆のことだから、それなりの努力もしているのだろうけどね。
食事が終わって軽く後片付けを終えると、僕たちは暖かいカフェ・オレを片手にテラスに出た。月がとても綺麗だったからだ。
「綺麗な月ね。もうちょっとで満月」
「贅沢だね。彼女の手料理とケーキを食べて、こんな素敵な月を眺める。お金じゃ買えないものだ」
それもクリスマス・イヴに。これを贅沢といわずとして何と言おう。
「寒くないか?」
「うん、大丈夫」
僕はやはり、真帆の体調を気遣う。室内は確かに暑いが、真帆は体温調節が不得意な方なので、冷やしすぎても良くない。
僕は手を突っ込んでいるズボンのポケットの中で、小さな箱を握り締めた。
もちろんクリスマスのプレゼントだ。
四角い箱には入っているが、指輪とか、そんな立派なものではない。高級なものを買うような大金もないし、そもそもお金をかけたプレゼントを真帆はあまり喜ばない。
「あの、これ」
僕は唐突に、ポケットからそれを出して、真帆に渡した。
「え?プレゼント?」
「うん。大したものじゃないけどね」
真帆はそれに、いつもの優しい笑顔を見せて答えた。
「ありがとう。開けてもいい?」
「もちろん」
シンプルに白の包装紙と赤いリボンの結ばれた箱を、ゆっくりと紐解いていく。やがて姿を現した小さな木箱をそっと開けると、真帆は瞳を穏やかに輝かせた。
「これ、ペンダントの……?」
中身は、木製の彫刻だった。羽根をモチーフにしたペンダントヘッドである。
前に、真帆のお気に入りの壊れたペンダントの話を聞いたからだ。本革製のネック部分が気に入っていて、ヘッドが傷付いて壊れてしまったのに、捨てられずに紐の部分だけとっておいてあるということだった。小さい頃からの宝物らしい。僕はそれを見せてもらった時から、プレゼントはこれにしようと決めていた。
どうせなら、と思って全部手作りしたわけだが、実を言うとこれがかなり大変だった。美術での彫刻は得意ではあったが、いざ出来栄えのいいヘッドを作るとなると、結構悩んだ。真帆の好きなデザインや、モチーフは容易に分かるのでよかったが、問題はそれをどこまでイメージどおりに形に出来るかということだった。
直径僅か三、四センチの木片を相手に、かなりの時間格闘した。市販の製品のように木に色をコーティングする技法や、本格的な仕上げ方、接合部の金属の取り付けに至るまで調べに調べ、練習した努力の結晶である。
「素敵。これ、もしかして、特注品?」
「ん?まあ、特注っていったら、特注かな」
僕が言うと、真帆はハッと気付いたらしく、さらに嬉しそうな顔をした。
「ウソ、手作りなの?すごくよく出来てるから、プロが作ったのかと思った」
「そう言ってもらえると嬉しい。よく見るとアラがあるから、あんまり見ないほうがいいかも」
僕は照れ笑いをした。
「ううん、ホントに上手。へぇ、手作りかぁ……。嬉しい……」
うっとりとして、再度彫刻を見つめる。
その表情に、僕の心は満たされた。手間と時間を掛けた甲斐があった。彼女のこんな嬉しそうな顔が見られるのなら、場合に応じて彫刻家にでも、陶芸家にでもなってやろうと思った。
「さっすが、巧ちゃん。何よりも素敵なプレゼント。結構大変だったでしょう?」
「そうでもないさ、と言いたい所だけど、かなり苦戦したかな」
僕は本音を言った。
「でも、真帆の顔を見てると、その甲斐は十分にあったよ」
それを聞いて真帆は、より一層頬を染めた。
「じゃあ、私からも」
そう言って、彼女はタータンチェックのスカートのポケットから、小さなプレゼント用の紙袋を取り出した。
料理とケーキのほかにも、別にプレゼントがあるのか。これはもうちょっと、手間なりお金なりを掛けたプレゼントのほうが良かったか?
「はい。開けてみて」
僕はそれを手に取ると、リボンシールを丁寧に剥がした。
中身を見る。
手のひらに出してみると、それは繊細に織り込まれた十センチほどの繊維だった。輪っかになっていて、その先にまた別の細い輪がある。スマートフォン用のストラップだ。茶の濃淡で流れるような模様、繊維の質や洒落て付けられているワンポイントのコインを模った金属は、僕の好みにぴったりとマッチしている。
「おお、いいデザイン」
僕はよくよく眺めながら言った。規則正しく織られているが、多分これも僕同様手製のものだろう。
「でしょ?金属細工の部分は特に自信作なの」
やはりそうだ。二人して手作りのクリスマスプレゼントとは、またも伊瀬の「ほのぼのカップル」という言葉が聞こえてきそうである。
「なんかいいね。手作りプレゼントの交換って」
真帆は白い息を吐きながら、嬉しそう言った。
彼女はこういう素朴なことが好きだった。ベタなことも、キザなセリフも、まるでドラマや小説でしかありえない純愛を実践することに、喜びを感じているところがある。それは僕にしてみても異存はなく、むしろ同感だった。時に、理想、空想主義を批判する人も多いけれど、それの何がいけないのだろう。理想を求めても現実が見えていれば、回りにも迷惑は掛けず、自分たちも幸せなら、それでいいじゃないかと思う。
「私ね、大好きな話があるの」
真帆はプレゼントの木箱を両手で包み込んで話し始めた。
「誰の話かは忘れちゃったけどね。ある若い夫婦の話。その日は結婚記念日だったんだけど、二人は貧しくてね。プレゼントなんて買うお金は無かったの。でも、二人ともどうしても何かあげたかった。旦那さんはね、奥さんの大事に手入れしている長い髪に似合うような髪留めを買おうと、自分の大切にしていた鎖の無い懐中時計を売ってしまった。それで、家に帰ってくると、奥さんの姿を見てビックリしたの。奥さんはね、綺麗なショートカットになっていたから。奥さんも、何かプレゼントをしたくて、彼の大切にしている懐中時計を下げられる鎖を買ったのよ。自慢の髪を売ってね。ふふふ、結局、どちらも無駄になっちゃったけど、お互いの気持ちはしっかりと伝わって、ずっとそれを大事にした、っていう話」
真帆は空を見上げながら語った。
「いい話だな……」
僕は無意識に呟いていた。単純に、少し感動したのかも知れない。真帆がその話を好きな理由がよく分かる。贈り物というのは、どんなものをあげるか、ということよりもどんな気持ちであげるか、である。多分その夫婦は、どんな高級なプレゼントよりも価値のある『気持ち』を、お互いに貰ったのだろう。他のことは、どうだっていいに違いない。
「そういう関係になれたらいいなって、思うの」
真帆はニッコリと笑って、恥ずかしそうに言った。
その通りだ。今でもそういう関係に近付こうと努力しているが、もっともっと、絆が深まればいいと、心の底から思った。今よりもっと、彼女のことを思いやって、理解して、愛したい。それにはきっと、上限もゴールもない。だから、さっきの一瞬よりも、今の方が僅かにでも多く愛していたい。そして、はやり僕も人間だし、そんなに大人でもないので、完全に無償の愛とまではいかない。どうしたって、少なからず相手もそう想っていて欲しいと願ってしまう。
それでも、お互いにそう想い会えたら、本当に幸せなことだと思う。そうありたいと、切に願った。
「真帆」
僕はしっかりと見据えて、彼女の名前を呼んだ。
「ん?」
「メリークリスマス」
言うと、真帆は口では言い表せないような、とても幸せそうな顔をした。その小さな口を開きかけた所で、
「ただいま」
遠くのほうでそんな声が聞こえた。
真帆の両親が帰ってきたのだ。
真帆はちらっと室内の様子を見て、素早く、本当に素早く僕にキスをした。そして、
「メリークリスマス」
とささやいた。
あまりの速さと大胆な行動に、数秒僕は固まってしまった。
「あ、お帰りなさぁい」
硬直している僕をテラスに残して、彼女はそそくさと玄関の方に向かっていった。それが照れ隠しに見えたのは、僕の錯覚ではないと思う。
「メリークリスマス」
僕は馬鹿みたいにもう一度言うと、室内に入っていった。よく知っている間柄とはいえ、ご挨拶をせねばならない。
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