第5話
「なんて言うか、すごいな」
タキシードに身を包んだ僕は、妙に賑わっているそれを見て言った。
「予想はしていたが、まさかここまでとは思わなかった」
同じく、町田がしみじみ言う。
「ぼろ儲けだな。売上率は、我々二年四組の一人勝ちだ」
いつの間にか教室のセット裏から出てきていた明は、にやりと笑った。マッドサイエンティストの笑いだ。
『麻生先輩!素敵です!』
『薫さん可愛い!』
『真帆ちゃんこっち来てくれぇ!』
『伊瀬ぇ!好きだあ!』
ちなみにこれらは、僕たちの教室、文化祭の出し物のメイド喫茶店内に飛び交う欲望の叫び声である。
不純な動機の如何わしい喫茶は、とんでもない反響だった。もちろんその原因の中心は、メイド服の麻生真帆と伊瀬薫だ。
衣装を担当したのが洋裁関係者だったために、かなり本格的なメイド衣装が完成してしまい、それがまた彼女たちに似合う事に似合う事。黒を基調とした請ったデザインと、下はハーフサイズのフレアスカートに黒か白のニーソックスかまたはタイツという格好は、僕たちが見ても鼻血ものである。当然普通の接客しかしていないのに、異常な盛り上がりであった。
しかし、それを『普通の接客』と言うかどうかはかなり怪しいものである。
僕の見解の結果から言おう。間違いなく違う。
理由は簡単。客を呼ぶ代名詞が『お客様』ではなくて、『ご主人様』であるからだ。この企画マニュアルを読んだときは、何をバカなことを言っているのかと思ったが、実際真帆の口からそれを聞いたときにこの企画の研ぎ澄まされた狙いと攻撃力、破壊力と危険さを思い知った。バカなことを、では済まされない大バカなことだった。
「ご主人様、お待たせ致しました。コーヒーでございます」
真帆たちが衣装を着て行った直前練習で、僕たちは客役をやったわけだが、もうこの上なく危なかった。妙な感情がこみ上げてきて眩暈がした。
そりゃあそうだ。これだけ可愛い女の子が、これまた可愛いメイド服を着て、上目遣いに「ご主人様」なんて言ったら、ほとんどの男子はクラッときてしまう。僕に至っては、その場で真帆を抱きしめたい衝動を抑えるのに脂汗が出たほどだ。
つまり、そういう完璧すぎる一種の『萌え』をテーマにしたメイド喫茶は、予想通り大繁盛しているのだった。そういえば、都心の大型電脳街にはこういう店がたくさんあるらしいが、やはりこういう感じなのだろうか。
「さてと、そろそろ交代だな」
僕は言って、装飾ダンボールの壁で囲まれた調理場のほうへ入って行った。女子はきちんと更衣室で着替えるが、僕たちは中の開いているスペースで着替える。タキシードの下のズボンは黒なので学生服のままでも良いことになっている。実質着替えるのは上着だけなので、更衣室なんて立派なものは要らないのだ。
「ふぃ~疲れたあ」
気の抜けた声と共に、メイドの服の真帆が入ってきた。何度見ても危ないくらい可愛い。カチューシャ(製作者に言わせると、ラインプリムというらしい)なんて、ハマリ過ぎていて、文化祭後もスタンダードアイテムにしてもらいたいくらいだ。
「お疲れさん。体、大丈夫か?」
「うん、それは平気。でもやっと終わったよぅ」
顔色はいいから、単純に接客で疲れたのだろう。
午後と午前、一日目と二日目がある文化祭だが、僕と真帆は一緒に見て回れるように日と時間帯を合わせた。僕が交代ということは、彼女も交代ということである。
「じゃ俺、教室の前で待っているから」
「うん、すぐ着替えて行くからね」
僕は着替えの制服を持って行こうとする真帆にそう伝えて教室を出た。
(いっそのこと、着替えずに見て回ったどうだろう。メイド姿の真帆を連れまわすのは、気分がいいかもしれないが、周りの反応が大変だろうな……)
なんて、全く持って勝手なことを考えていた。
「何ニヤケてるの?怪しいわよ」
突然の声に、少し驚いた。この声とアクセント、言葉遣いからしてその主は多分伊瀬だろう。
「よっ、お疲れさま。確か午前であがりだよね。真帆待ち?」
振り返ると、やはりそうだった。彼女はまだメイド服を着ているから、営業の最中なのだろう。ショートヘアスタイルのせいで、真帆とはまた別の『萌え』を感じる。って、僕は何を言っているのだろうね。
「そのとおり。伊瀬は……まだみたいだな」
「あたしは部活の関係もあるから、時間帯は中途半端にしてもらったのよ。早番と遅番の中間って所ね」
クラス単位の他に、部活動でも出し物をやる所は、そっちも同時進行なので忙しいらしい。文型の部だけではなく、運動部もほとんどが何かしら行うので、正確には『文化』際ではないのかもしれない。
「テニス部は何をやるんだっけ?」
そういえば聞いていなかったので、改めて聞いた。
「……牛丼屋」
「うわっ、なんかパワフルだなあ」
文化祭に牛丼屋とは合うようで微妙にミスマッチな気もする。
「でしょう?もうちょっと洒落たことできないのかしらね。男女合同で企画したのが間違いだったみたい」
伊瀬はそう行って肩をすくめた。
「あ、じゃそろそろ行くね。真帆のことちゃんと面倒見るのよ」
腕時計をチラッと見て、伊瀬は教室へ向かって行った。伊瀬がまるで保護者みたいなことを言うのは、僕と付き合う前まで、真帆の体調の変化を監視していたのは伊瀬だったからである。
「おう、そんじゃな」
僕が返すと、後ろ手に手をひらひらと振ったが、ふと立ち止まって振り返った。
「ねえ、これ似合ってる?」
メイド服のスカートの裾を軽く摘み上げて聞いた。何となく嬉しそうにしているのは、だろうか。
「ん?ああ、似合ってるよ。バッチリだ」
僕はオーバーに親指を立てて返した。
「そう?よかった」
彼女は笑って、今度こそ教室に入っていった。あと何時間で交代か知らないが、その間にも我々の財布を肥やしてくれることだろう。真帆が抜けた分は伊瀬がきっちりと稼いでくれるはずだ。
「お待たせ~」
少し経って、やっと真帆が到着した。こうして見ると、このスタンダードな制服姿も捨て難い。結局、何であっても捨て難いのだけれどね。
「おう、じゃ、行くか」
校内なので、手を繋いだり腕を組んだりは出来ないが、その代わり、隣に妙にピッタリとくっ付いて歩き出す。
そんな真帆をチラッと見ると、彼女はとても嬉しそうな表情をしていた。顔が綻んでいるというか、にやけてしまっていると言うか。
「なんか嬉しそうだな」
僕は、ルンルンと飛び跳ねそうな真帆に聞いた。
「え?だって、お祭り好きなんだもん。何もしなくても、この雰囲気が楽しいの」
真帆は祭りが好きだ。騒ぐのが好きとか、そういう訳ではなくて、賑やかで華やかに彩られたいつもと違うその場所は、新鮮な感じと懐かしさが入り混じった一種の『粋』があるからだと彼女は言う。確かに、祭りというものの雰囲気は僕も大好きであるが、それよりも終わった後の寂しさは何とも物悲しくて好きじゃない。
「よし。真帆、今日は頑張って働いていたから、好きなもの飲み食いしていいぞ。ごちそうしてやるよ」
「ホント?えへへ、それじゃ何から食べようかな。もう忙し過ぎてお腹ペコペコなのよ」
真帆は病気持ちの割にはよく食べる娘だ。一回に食べる量はかなり少ないが、少し立つとすぐに減るらしく、ベストなのは少量ずつ一日七回の食事なのだと聞いた。
まあ、食べ過ぎて太られるのも困るが、食事がしっかりとれない人間とは付き合っていてもあまり楽しくない。これは男も女も関係無い。例えば旅行だって、遠出すればそこの名物があり、そのほとんどは食べ物だ。そういう時に、『食べたくない』とか、『食べられない』とかってことになると、結構寂しいし場も白ける。それに、ご飯が美味しく食べられないというのは一つの病気なのだと言うし、しっかり食べるにこしたことは無い。
「う~ん、まずはたこ焼きでしょ、お好み焼きでしょ、ときたら焼きそばも捨て難いなあ。クレープ屋さんもあったよね?二年一組だったっけ?冒険してタコスってのもいいかも……」
歩きながら彼女は悶々と食べ物のことを考えている。どうせいろいろ買い漁っても、全部一人前は完食できないのだろうから、結局入らない分は僕が食べることになる。この調子だと、とりわけ自分の分を買う必要もなくなりそうだ。真帆のいつもの昼食は持参の弁当だから全部食べられる量だが、普通の一人前を頼むと良くて三分の二しか食べられない。
だから決まって僕は、彼女の選んだメニューを見てから、残る、もしくは先に取り分ける量も計算して注文するのだ。僕の母も、病持ちではないが真帆と似たような体質だったので、さほど苦労も違和感もなかったのだと思う。ただひとつお願いしたいのは、なるべく僕も美味しく食べられるものを選んで欲しいということだけである。
「食い合わせだけは気をつけろよ。せっかく食っても気分が悪くなっちゃどうしようもないからな」
「もう、またそうやって子供扱いする。大丈夫よ、そんなの」
彼女はそう言うが、僕が忠告したのも真帆には前科があるからだ。
今年の三月下旬、まだ気温も上がりきらないというのに、アイスクレープを二個食べた後、少し歩いては抹茶アイス白玉、そしてチョコレートパフェを二時間も間を置かないで完食したものだから、次の日に見事にお腹を壊したという事件があったのだ。
「まあ、腹さえ壊さなきゃいいよ」
僕はワザとらしく、真帆にニッと笑ってやった。
「あっ……あの時は調子が悪かったのよ」
彼女も思い出したらしく、少し言い訳をして頬を膨らませる。
「今日は絶好調だから、大丈夫」
少しツンと済まして胸を張る。
何だかやる気満々、というか、食べる気満々である。
文化祭の出し物では飲食店が多いが、毎年何クラスかは別の催しをする。それは決まって、お化け屋敷かホラーハウスか、怪奇の館だ。
全部同じじゃないかって?うん、それは僕もそう思ったのだが、企画している当事者に言わせると微妙に概念が違うらしい。しかも結構頑なに主張するのだ。まあ、こちらとしては何でもいいんだけどさ。
尤も、この怪奇系の企画も『心霊研究同好会』以外が行うものは全部、怖がらせるのが目的ではない。その目的は二つに分かれる。
まず多数派は、提供される多目的ホールや小体育館を、いかにカップルの親睦を深められる場所にするかということが最大のテーマであり最終目標としている。入場料を取るだけあって、決してお粗末な造りではないのだが、よくよく考えながら見ると真意が浮き彫りになっているところが多々ある。
あと、もう一つ。もう一派である少数派の目的は、はっきり言って邪だ。なぜかって、そりゃあ、いかに女子のスカートの中を見るかとか、お化け役が襲うふりしてナイスタッチするかとかを真剣に考えているからだ。そのうちきっと捕まると思う。
そして、悪があれば正義がある。それを事前に阻止するのが、我が校のエリート集団、執行部実行部隊、風紀委員会、整備管理委員会が合同で組織する文化祭保安委員会である。彼らはすごい。事前に内容をこと細かに書類にさせて、当日少しでも違っていたら、強制的に取りやめにする権利を持っている。どんなに隠しても、目ざとく違法の臭いを嗅ぎ付けて撲滅する。彼らのおかげで、未だこの学校ではセクハラで捕まった生徒が出ていないようなものだ。
その他は格部活の出し物だ。演芸部のミス、ファッションコンテスト。演劇部の舞台劇。文芸部の心に染みる詩展示会。ちなみに、ミスコンが一番盛り上がるのは言うまでも無いが、今回は多分僕らのメイド喫茶がダントツの一位だろう。
「へぇ。今年はロミオとジュリエットかあ」
第二体育館の前で、真帆がそんなことを言う。掲示板には、大きく『ロミオとジュリエット』と書いてあった。演劇部の舞台である。去年は『真夏の世の夢』であり、入学前の一昨年は『走れメロス』だったらしい。なんとも真面目な演劇部だ。
「ねぇ、見ていこうか。これから始まるみたいだし」
真帆は言った。彼女は結構演劇鑑賞が好きだ。映画も舞台も歌舞伎も見に行くというので、ただ単に鑑賞好きなのかもしれない。とはいえ、僕も映画は大量に見る方だけど。
「キャストは誰だ?」
「うん?三年一組藤堂正樹、二年三組高宮奈津美、だって」
高宮奈津美と言えば、演劇で推薦入学したという類稀な子だ。それと、三年の藤堂正樹は演劇部の部長である。メインキャストとして出ているのだから、藤堂先輩がロミオ、高宮がジュリエットなのだろう。逆だったら笑うけどね。
演劇部に関して若干知っている訳は、真帆も僕も新入生の部活勧誘とは別に、スカウトされたことがあるからだ。僕たちの教室まで部長と副部長が直々に勧誘しに来たときは、さすがにびっくりした。しかも指名で。
真帆はまあ当然だろうけど、僕と町田までが誘われたのはどういう理由だか未だに分からない。そんなに演劇に興味ありそうな態度も顔もしていなかったはずだが。
結果からいうと、もちろん断った。別に演技するのが嫌いでも人前に立つのが苦手でもないが、だからといって入部はしない。面倒である。
「そうだな。見ていくか」
僕は答えた。この二人が主演なら、完成度は高いに違いない。もともと我が校の演劇部はレベルが高いのだが、どうせ見るならベテランの演技の方が良い。
「高宮さん、綺麗な人だよね。さすが演劇推薦」
真帆はうんうんと頷きながら言った。実際の人気投票では真帆の方が断然上なのだから、こういうことを言うと皮肉に聞こえてしまいそうだが、真帆にはそういうマイナスのイメージは漂わない。本人も全くの本心を言っているのだから当たり前といえばそれまでだが。
「けど綺麗とか、容姿で演劇推薦が取れるわけじゃないだろ?」
「そうかしら?演技力もさる事ながら、見た目という要素もかなり大きいわよ。特に女性はね。あんまり良く無いことだとは思うけど、現実問題そうだからしょうがないのよ」
いつに無く哲学している真帆は、何となく憂いを帯びた慈悲深い顔をしている。
「だって理想をいえば、自分の好みのうえで、格好よかったり、可愛かったりしたほうがいいに決まってるじゃない?あ、もちろん容姿の話よ。恋人とか、そうなるとまた別だけど、大衆受けするには、外見は重要と言わざるを得ないわ」
「……ご尤もです。あの、それで一般的視点から見ると、ボクはどうなんですか?」
思わず敬語で聞いてしまう。
「う~ん、好みによるけど、少なくとも中の上、以上かな。結構格好いい方」
冷静に返される。かなり真剣に答えられた気がして、自分の評価が低くなかったことに安心する。
「じゃあ、真帆視点からいうと?」
すると真帆は、僕を見上げて、少し澄ました顔をした後でニッコリ笑って言った。
「う~ん、日によるけど、特上、かな」
傍から見ていたら、いい感じのバカカップルだなあ、なんて思ったりもしたが、この際気にしない。二人だけの世界なんて、どこも他人からみたらアホらしいに決まっている。
伊瀬が言うように、本当に僕らが『ほのぼのカップル』であるなら、迷惑なバカカップルよりはマシであろう。
「只今開演十分前です。鑑賞される方は席の方にお座りください」
外にも聞こえるように大きめの体育館内アナウンスが、そう伝える。
僕たちは薄暗い館内へと入って行った。
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