56話 ナディナレズレの巨塔 その4

 燃える酒の川の中、フランベされる肉の気持ちを実感しながら歩く。


 卵型の魔法障壁越しに見るナディナレズレの巨塔は、ダンジョンというよりは病棟の廊下のようで、だからこそどんなRPGのダンジョンよりも劇的に見えた。


 火山に潜るようなワクワク感や、魔王城に挑むときの決意を秘めた逸る気持ちもなく、ただただ重苦しく、ありもしない戦火や事件性を蜃気楼のように見せつけるだけで、何も心弾むところがない。けれど、何故かそんな光景に心を奪われるのだ


 ……重苦しいというのは比喩ではなく、実際にサウナより遥かに熱いし、常に炎と酸素の取り合いをするハメになっていることは事実なのだが。


「今何階なんだっけ?」


 霧魔法で渇いてひっつきそうな喉を潤しながら、皆に尋ねる。


「73っスね……『清覧あれや』『殯斂に綴られた唄を』」


 いつも以上にぐでんとしたヘーゼルが答えた。ヘーゼルは常に気だるげに見えて、こういうところはしっかりしている。


 ゾンビアタックが始まってから会話途中にも攻撃魔法を放つことが当たり前になってしまった。氷魔法を放って敵のダンジョンマスターを攻撃すれば、涼も確保できて一挙両得というわけだ。


 ……炎と煙は魔法で耐えることが可能とはいえ、呼吸の必要がある以上常に熱い空気を障壁内に取り込む必要がある。そんな息苦しさの中、敵のダンジョンマスターがゾンビアタックを仕掛けてくるという状況は中々にきついのだ。


 自分では散々行ってきたゾンビアタックだけれど、実際にやられて初めてその強みが見えてくるもんだと思う。


 絶え間ない殺意というものは、人間にとっては毒だ。相手が知性のない生物ならまだしも、いつ普段と違う挙動をするか分からないダンジョンマスター相手であれば尚更である。


「……ダンジョンマスター相手ってやりづらかったりする?」


 ふとそう呟いた。相手は俺と同じく元人間のダンジョンマスターだ。同情を覚えることもあるんじゃないかと尋ねた。


「別に……です」


「デリラちゃんはそうだと思ったっス」

 

 呟いたデリラにヘーゼルがツッコんだ。見渡してみたところ、デリラ以外も特にやりづらさは感じていなさそうだった。


「ジャクリーンの話ではゾンビアタックはありえない手段ではないそうですし、こいつが特別ということはないと考えております」


 アニマが静かに、けれど明瞭に答えた。確かに、彼にどことなく親近感を覚えているものは俺だけで、他のみんなは今後幾度となく戦うことになるダンジョンマスターの一人程度に捉えているようだった。


「確かグラブスドレッド島のマスターはゾンビアタックに慣れてなかったんだよな?ゾンビアタックってしんどい割にあんま強くないからそれはいいんだけど、こいつはなんでこんな慣れてるんだろ……『風纏ウィンド四重奏カルテット』」


 会話をしながら脇目でリュウジョウに魔法を放つ。


 彼を殺さず捕縛することはもう諦めた……こんな燃え盛る地獄のようなダンジョンの中で致命傷を負った人間を庇えるほどの余裕はない……というかあいつ、恐らく意図的に生命力と硬さを削ってやがるし。


 「時間をかければ危険はなさそうですが……。不自然なことが多いですね。降りてくる頻度があまりに高いですし、一本調子がすぎます」


 アニマが顎に手を当てて考えている。確かにこのダンジョンのマスターがジャクリーンさんだとすると、納得のいかないことも多い。


「まず穴を開けるなんて可能なのか?あらかじめリュウジョウをモンスターの一人にするって計画が出来てなければ、そんな上手いこと70階層分も穴を開けるなんてできないんじゃないかな?落下の衝撃は……魔法でどうにかなるとして」


「それに雰囲気も妙ですね。殺意の高さはいいでしょう。ゾンビアタックという非効率さも構わない。けどなんていうか、余裕がなさすぎる気がします」


「お茶目さがないっスよね」


 ジャクリーンさんは俺達にダンジョンのイロハを教えた先生的存在でもある。多くのダンジョンマスターを狩ってきた彼女なら、もっと美しく俺達を嵌める罠を思いつくはずだ。


 麦酒をドバドバ流すまではいい。けれどそれを燃やして、ゾンビアタックなんて真綿で苦しめるような戦い方、彼女が好むとは思えなかった。

 

「突発的な乗っ取りなんだろうか。やっぱり」


 ただそうなると、ますます彼女が何をしたいのかが分からない。そもそも本気で殺したければゾンビアタックなんてしないだろうし、今後のために俺を騙すにしてもあまり賢い手段とも思えない。不条理でナンセンスなのだ、手段も目的も何もかもが。


 ……真相を知りたかったら、やっぱり直接問いただすしかないんだろうな。


 俺は改めて気合を入れ直した。ダンジョンに挑む者の姿勢として当然、未知なる敵の存在にも、罠にだって気は張る。


 ────けれど、このときの俺達はジャクリーンさんのことをまだ過小評価していた。


 彼女のダンジョンは俺達が見えていなかっただけで、しっかり美しく、そしてしっかりとお茶目だったのだから。


 それから二階層分進んだ後、いつも通り高速で水飛沫を立てながら歩いているリュウジョウに向かって、ヘーゼルが風魔法を放った。それはいつも通りの射角、いつも通りの距離だった。


 けれど、放たれた風の刃は明後日の方向へと飛んでいき、無闇に壁面に傷をつけた。


 リュウジョウはそれに気をとめず────もし照準がバッチリだったとしても避ける素振りすら見せなかったと思うが、頭から倒れるような歩法でこちらへと向かってきた。


 俺は咄嗟に追加の風魔法を放って対処する。創られた風の刃によって、リュウジョウの上半身は豆腐のように切れて落ちた。


 けれど、問題はヘーゼルの方だ。一体何故、魔法が外れた?


「ヘーゼル!どうしたんだ!」


 新たな敵の存在に気を張っていた俺は、仲間の様子をよく見れていなかったのだと実感した。。きちんと見ると、明らかに彼女の様子はおかしかった。まず、足取りが覚束ないのだ。


 負傷をしたのかと思い、彼女の顔を見た。そしてようやく、彼女の不調の正体を悟る。彼女の白い肌は初め、炎の照り返しによって紅くなっているように見えた。けれど違う。これは、のだ。


「申し訳ないっス……なんかおかしいっスね」


 彼女が障壁を保ちつつも、溶けたチーズのようにしなだれかかってきた。


 ────炎によって気化したアルコールか。肺から血中に吸収されたアルコールは普通に酒を飲むより酔いやすいことは知っている。


 けれどおかしい、ダンジョン内部において毒ガスなんて最も警戒すべきものであり、俺達だって当然対策をしているのだから。


「えへへ。毒は効かないはずっスのにね」


 特に元々毒に強い不死族であるヘーゼルなら、ちょっとした劇薬なら無効化してしまうはず。アルコール程度効くはずはないのだ。


『毒じゃありませんとも。酔うことは人間に許された贅沢の一つですから』


 そんな時、再びジャクリーンさんの声が響いた。今まで黙ってた癖に急に出てくるということは、俺達は相手の術中にまんまとハマっていて、煽られているということだ。


 ────ちっ、そういえばそうだった。ナナヤ女神のあの話が本当なら、この世界のモンスターは免疫力が強いから毒が効かないんじゃなく、神々が設定した「強さ」の一つとして、毒を無効化する特性をつけてくれているだけなのだった。


 つまり、毒のカテゴリーから除外されているものであればスキルを貫通できる。


 というか、俺達は何度かジャクリーンさんに酒盛りをしている姿を見せているじゃないか。


 どの神が設定したのかは知らないが、気化したアルコールは普通に毒だと、判定の見直しを要求したい気分だ。


「……とりあえず全員吸気を浄化しろ!ハンカチでもなんでもいい!」


 俺は今だに意識ははっきりとしていた……何故かは分からない。酒に強いから?くらいしか理由は思い当たらないが、取り敢えず息を止める。


 しかし俺達は既に、罠に嵌ってしまっていたのだ。


『もう遅いです。ご経験ありませんか?古来より、水際の酔っ払いとは川に落ちるものなのです』


 ガコンッ!


 という音がして後ろを振り向くと、手が二本地面から生えていた。────デリラとヘーゼルの手だ。


 ばしゃばしゃと蠢いて、這い上がろうとしている。炎でよく見えなかったが、落とし穴だ!


 今まで一度も罠をかけられなかったゆえの緩急、突然かけられた声、熱気に朦朧とする意識。────完璧に、虚をつかれた!


「ちくしょお!」


我が主マイ・ロード!」


 咄嗟に助けあげようとしたところをアニマに制止される。罠に嵌った仲間を助けようとしてさらなる罠に嵌まるなんて、ダンジョンの常套手段だ。


 ……それに、もう遅いか。冷静を取り返す。


 ジャクリーンさんが簡単に這い出ることができる罠なんて仕掛けるわけがない。もしジャクリーンさんがヘーゼルの正体を知っていれば、棘罠なんてものじゃすまない装置を用意しているだろうし。


 俺が穴に飛び込むか逡巡していると、燃え上がる水面からヘーゼルの頭のみが飛び上がってきた。彼女は身体の一部だけであっても自由に空に飛ばすことができる。それで生首を飛ばしてきたのだろう。


 なんともホラーな光景だったが、水面の下、落とし穴の中はもっとホラーな光景となっているのだとわかった。彼女のその生首すらも、消えかかっていたからだ。生命力のステータスの高い彼女を消滅させるということは、何か人体に使用すべきでないような装置が使用されているのだということは明らかであった。


 しかしそんな状況、耐え難い苦痛の中にあっても、ヘーゼルは常軌を逸した精神力で笑顔を作ってみせた。


「ジャクリーンちゃんには弱点がバレちゃってたみたいっスね。大丈夫っス。少なくともリポップは出来るっスから」


「……そうか。ゆっくり休んでくれ。デリラにもお疲れと伝えておいてくれると嬉しいな」


 そして、彼女の頭がポトリと燃え盛るビールの中へと落ちた……死んだのだ。


「随分と準備がいいじゃないか」


 天井を睨みつける。無限の命を持つダンジョンモンスター同士となると、自然と攻撃が過剰になることもある。俺が何度もローザローザに殺されているように、ダンジョンにおいて命は驚くほど軽い。


 けれど、このヘーゼルとデリラの殺し方には悪意でもない、敵意でもない……そう、彼女達を感覚があって、それが少し、不快だった。


『準備がいいって、即席の罠にすぎませんよ……信じてくださいますか?』


 言外に、信じられませんよね?という含みを持たせて、ジャクリーンさんは答えた。これでも、俺達はまだダンジョンを半分しか進んでいないのだ。


 ……これが、ダンジョン攻略戦。敵が自らを殺すために練った策を、正面から突破しなければならない極めて無謀な、勇者の戦い。


 死ぬことは覚悟している。けれどきっと、何を覚悟していてもダンジョン攻略は単純な勝負にはならないのだろうと、俺はようやく肌で実感することができた。


「どういたしますか?相手が一番嫌がることは逃げることだと思いますが」


「……いや、確認する。悪いが、付き合ってくれ」


 生き残ってくれたアニマの提案を否定した。


 確かに、二人だとリュウジョウに対処は出来てもジャクリーンさんに勝つのは拙い。だが別に俺は彼女と争うつもりはない、真意が尋ねられればそれで十分なのだ。だからこそ、アニマには共に死んでもらう役割を担ってもらうしかなかった。


「お任せください。ジャクリーンの身に訪れた変化も、この目で確かめたいと考えておりましたので」


 けれどアニマはそんな我儘に、微笑んで付き合ってくれるようだった。


 『ラグネルの迷宮』のメンバーは皆、地獄のような日々を耐え忍んできている。精神が負けることはきっとないだろう。


「待ってろ。ジャクリーン!前の攻撃は事情があったから許したけど、今回ばかりは何があっても謝ってもらうからな」


 再び俺とアニマは階段の上に向かって歩き始めた。そのときだった、横から何か重いものが引きずられるような音が聞こえた。新しい罠かもしれないとその場から飛び退くと、代わりに聞き慣れた声が聞こえた。

 

「流石ですウィトさん。その善性、意志の強さ。どれをとっても一級品です。けれど、もう追いかけっこは十分でしょう」


 それはダンジョン全体にの壁から響いてくるような声じゃない、肉声だった。壁面がガタガタと動き出し、上への階段が開かれる。音の正体はこの仕掛だったのだろう。


 そしてその先に彼女が居た。車椅子の上で胸像ほどの大きさを持つコアを我が子のように抱きしめながら。その姿を見てようやくゾンビアタックのペースが速い理由が分かった。


「……ずっと少し上の階にいたのか?」


「ええ。だって150階から毎回駆け下りていただくのは申し訳ないじゃないですか」


 彼女は俺の一階か二階上で待ち受け、そこから酒を流しながら一定の距離でコアを動かしていたのだ。なんて原始的なトリックなのだろう。


 そして、ジャクリーンさんは二人が死んだことを確認して俺達の前に姿を現した。きっと、決着をつけようと。けれど彼女は、俺達を誘うように、車椅子を翻して奥に進んでいった。


「待て!」


 俺とアニマの二人で階段を駆け上った先には、やたらと厳しく大きな石の扉があった。────ボス部屋の扉だ。


 扉の奥にはジャクリーンさんの姿。そしてそのボス部屋の内装は、煤けた青黒い煉瓦で囲まれた蝋燭灯りしかない仄暗い部屋。長年見知ったデフォルト設定のコアルームだった。

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