57話 狂想曲

「この暗い部屋には少年少女に夢を見せる魔法がかかっていると思うんですよ。皆が皆、人を超えた力に希望を抱き、そして死んでいく。死人を蘇らしたい少年に、世界平和を願う少女。女神を作り出したいと願った少年までいたそうですね」


 アニマと二人ボス部屋に入った俺を、ジャクリーンさんはそんな語り口で迎え入れた。


 アパートの一部屋分ほどしかない狭いコアルームの天井を見ていても、彼女は遠いどこかへと思いを馳せているようだった。


「はぁ。その深遠なる哲学を披露したくてこんな攻撃をしたんですか?」


 先ほどまで燃える部屋にいたためか、突然こうして涼しい部屋に出てどうしたって体を休めようと副交感神経が働いてしまう。


 さらにそれが十年引きこもった部屋に似ていたっていうのだから、俺はすっかり夢を見ていたような、心の中の内面世界に潜り込んでしまったような、そんな気分になってしまっていた。


 そうした油断が命取りとなって先ほどは仲間を失ったというのに。


「ええ。違いますとも。貴方がたをここへ招いた動機としては……清算と呼ぶべきでしょうね。今までやってきたことと、今後の付き合いのための。いかがでしょう。攻撃の動機としては、結構一般的じゃないですか?」


 彼女の態度は落ち着き払っていて、自分から状況を開始したくせに切なさのような表情すら匂わせていた。


 そしてそんな感情を表に出してくるということは、彼女にとって既にこの戦闘は終わったもの同然であり、自身が状況を完全にコントロールしているという自負があるということを意味している。

 

「……なんの清算だっていうんですか?」


「知っているでしょう?私はこれまでダンジョンマスターを幾度となく狩ってきておりまして、人間だって間接的に殺した人数は数え切れません。そんな汚れた状態なわけですから、清算もしないままあなたのダンジョンに加わるわけにはいかなかったんです」


 口ではそういいながらも、彼女は指をぴしりと立て、「責めたっていいのですよ」とでも言いたげに、毅然とした態度をとった。


「そんな殊勝な人だとは思っていませんでした。以前までは効率を重視して殺せとばかり言っていたじゃないですか」


 確かに彼女が過去、人間を狩っていたことは知っていたこう。けれど、こうして改めて口に出して告げられることは初めてだった。お互いそのことにはなんとなく触れなかったし、このダンジョンマスターへの転生という特異な状況を鑑みれば、それに気づかないふりをすることも許されるような気がしていた。


「ええ、ええ。今更何も気にはしませんとも。私は、これまで十人のダンジョンマスターをこの手で殺してきました。私が気にしていることはもっと別のこと、人を支配する運命のような巨大な何かについてお話がしたかったのです。私は殺した全員から……ついさっきリュウジョウ様からも、願いを託されました。けれどそれらは全部、人には過ぎた願いでした。もちろんモンスターの私にもね」


 俺はこれまで彼女が怒っているところも、悲しんでいるところも見たことがない。けれど、それは彼女が怒らず、悲しまず、狂っていないことの証拠にはならない。むしろ、それは彼女がどんな時でも心を動かさないようなモンスターであることの表れである。


「最初は何もかも、責任を持って背負うつもりでしたよ?でも、できませんでした。知ってますか?死者の無念だとか、想いだとかをずっと背負って生きていくだなんて軽々しく言う人がよくいますが、そんなことをしたら最後、いつ振り返っても後ろには無念たらしい顔をした死者がずーっと張り付いて離れなくなるんですよ?─────私にはそれが耐えられなかったものですから」


 彼女はそんな秘めた、重々しい語るときであっても彼女の口調はゆったりとしていて、まるでおとぎ話を語るようだった。


「一度何もかも、償ってしまうことにしたのです……どうぞ。お座りください」


 彼女はコアに触れると、椅子を二つ取り出した。俺が座るべきかとどまっていると、アニマがはぁと溜息をついて席に着き、優雅に脚を組んだ。


 俺もやむを得ず、椅子に座る。


「初めて殺した相手はトラナ・スプーンベンダーでした」


 そうしてジャクリーンさんによる全ての罪の清算が始まった。


 XXX


 まずリュウジョウという男についてお教えいたしましょう。


 その男の生まれた世界はダラルドといって、荒廃した世界だったそうです。そんななか、リュウジョウは16になっても3つ年上のトラナ・スプーンベンダーに養ってもらっていたそうです。


 彼が住むボロ小屋には二人の他にも三人の幼子がいて、身寄りのないもの同士分け合って暮らしていたと聞いております。


 ええ。遠い昔、リュウジョウ様から沢山の話を聞きましたから。目を閉じれば二人がどんな関係性だったのか、同じ家にいた家族かのように目に浮かびますとも。


「すまないトラナ。いつも頼ってばかりで」


「いいってば!リュウが家事は全部やってくれてるんだし、若い男が家に居なきゃ、この子達すぐに連れ去られるよ?ほら、前に一度人さらいを追い返してくれたじゃん」


「……ありがとう。ただ、何か困ったことがあればすぐに伝えてくれ。頼む」


 とまあ、こんな風だったそうです。


 しかしどんな立派な共同体にも人が集まれば秘密もあります。それもこのボロ小屋の場合はとびきり大きな奴が。


 リュウジョウはずっと、トラナが何をして稼いでいるのか知らなかったそうなのです。稼ぎにやけにムラがあるけれど、収支を見れば他の孤児よりはずっと儲けていて、けれど自分からは決して、その日何があったのかを話そうとしない。


 リュウジョウはそんな彼女にずっと疑念を抱いていたそうです。トラナは何か悪事に身を染めていて、その収入を自分達に与えているのではないかと。


 しかし、彼はそれを尋ねようとはしませんでした。


 答えは単純、彼はトラナのことが好きで、そのことを尋ねてしまうと答え次第では、自身の抱いた幻想も、今の生活も、養っている子供達の未来そのものも失われるのではないかと、そう考えていたわけです。


 もし彼女が他の家庭からお金を奪っていたら?いや、それどころか強盗殺人まで犯していたら?自分がどれほどのショックを受けるのか、彼は想像がつきませんでした。


 だから彼は他の孤児がしていたものと同様の、けれど決して悪に身を染めないような、そんな肉体労働にずっと従事していたそうです。


 その稼ぎはかつての日の、自分と同じ年齢だった頃のトラナには遠く及ばないものでしたが、彼は自らの手の清らかさを見るたびに安心して、稼ぎの少なさを深く思い悩むことはありませんでした。


 しかしそんな、ベルベットの棺のような安らかな生活は、そう長くは続きませんでした。


 ある日、彼らの住むボロ小屋の近くに悪人の集団が集まっていたのです。それは近所じゃ有名な、人さらいの組織でした。ですけど、どうやら様子がおかしい。


「おい、本当にここに黒仮面が住んでいるんだな?」


 なんてことを言っています。黒仮面というのは、この辺りで犯罪組織のアジトに勇猛果敢に攻め込み、アジトの破壊を行っているという、虐げられる孤児達の味方でした。過去にはそれなりの規模の組織を町から追い出したことだってあります。


 リュウジョウが突如登場したその名前に驚いていると、星明りしかない暗いベッドルームで、いつの間にかトラナが横に立っていました。そして彼女は、すっかり怯え切った、絶望しきった様子で言いました。


「リュウ。実はずっと言ってなかったんだけどね、私『黒仮面』なんだ。ちょっと前にあの組織の下っ端を倒しちゃったから、それでここまで来たんだと思う……。顔は隠してたんだけど、どうしてかバレたみたい」


「話したら正体が漏れて、皆にも危険が及ぶと思ったから誰にも言えなかったんだ」と、トラナは涙目でそう打ち明けたそうです。


 ボロ小屋の二階なんて捜索が始まれば一瞬で見つかります。彼女の心は死の絶望に折れてしまっても不思議ではありません。けれど違うのです。


「でもごめんなさい。悪い人達を倒せばもっと沢山の人を幸せにできると思ったけど、結局みんなに迷惑かけちゃって。ごめんなさい、ごめんなさい」


 彼女はあくまでも自分が共に暮らす四人にかけた迷惑について申し訳なく思い、その悔しさゆえ、涙していたのです。


 なんということでしょう!彼女は真のヒーローだったのです。栄養の足りない孤児の女性の身で、悪事を成す犯罪組織に単身立ち向かい、そして今まで勝利を収めてきたのですから。これを選ばれた真の英雄と呼ばずしてなんと呼びますか。


 そして、リュウジョウはこの時初めて、愛したその女性を自分が心のどこかでは汚いものだと認識していたことに気づきました。


 幾ら養われているとはいえ、あの女は裏で何をやっているのか分からないと、そう心の淀みの中でそう考えていてしまっていたことに気がついてしまったのです。


 悪人に立ち向かい子供を養うという真に勇気ある行いをトラナが行っていると知ったとき、彼は突然自分が恥ずかしくなってしまったそうなのです。


 そして、その恥ずかしさこそが、「自分が彼女を見下していた証である」と、リュウジョウ様はお気づきになってしまったのですね。


「いいんだ。トラナ。すまない。俺は自分を……自分のちっぽけなプライドを守るために、ずっと楽な道に逃げていた。だから俺が、代わりに戦うよ」


 そういってリュウジョウは駆け出し、下っ端三人を殺傷することに成功し………………その後すぐに射たれ、死んだそうです。下っ端はまだまだ残っている。だから、俺が死んだら、トラナも、フクもディーナもタオヤもみんな死んでしまう!と思いながらね。


 まあ、英雄ならざる身であれば仕方のないことです。子供は大抵の場合大人の集団には適わないものですし。


 そして、ダンジョンマスターとして目を醒ました彼は、「俺は汚いものから逃げない。全ての手段に目を向けて……俺が彼女達を、多くの人々を救う」と、汚れることに自分の正義を見出してしまったというわけですね。


 あるいは、トラナ・スプーンベンダーがリュウジョウを養い始めたのが11歳の頃からだったらしいので、そこからの5年分、彼女に背負わせた汚れというものを取り返したい自罰的意図があったのかもしれません。


 その思いは私にも受け継がれていましてね。いいえ、むしろ全身その思いで出来ていると言っても過言ではありませんとも。なんせ彼のいう「全ての手段」というものには「モンスター設定を駆使したトラナの復活」というものも含まれていましたから。


 彼の書いた「私の設定」には、先ほどお教えしたトラナ・スプーンベンダーの情報がこれでもかというくらい書き込まれていますので。ま、とはいえモンスター設定なんてそんな器用なものじゃありませんから、似ても似つかない性格になったわけですが。Aランクになるまで顔も全然似てませんでしたしね。


 ただ、いいところもありました。設定によって私には生まれつき子供を大事にする心と、正義感、そして勇気が備わっていたのですから。


 だからリュウジョウ様がトラナ・スプーンベンダーを見習って、人を殺す憎きダンジョンマスターを狩る行為を始めたときも、私は清らかな、正義の心を持ってダンジョン狩りに向かいました。


 私そっくりの顔で子供と戯れる、ダンジョンマスターの姿を見るまではね。

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