45話 上陸
灯りのない夜の海を四人。いや三人と一隻は潮風を捕まえ軌道に乗った帆船のように、なだらかに渡っていた。
それはお互いモンスター同士でなければろくに姿も見えない月明かりのない日だったが、潜入任務にはこれ以上ないほど適した日であるとも言えた。
────エグレンティーヌのみが船の姿のままなのは当然、人間態より船の姿の方が移動能力と輸送能力が高いからだ。
エグレンティーヌはDランクの水棲族モンスター『ナウプリウス』であり、その正体は船となり空と海を渡れる巻き貝である。そのサイズはギャラック船……50mほどあり、十分遠洋航海に耐えうる大きさである。
というかその気になれば浮ける。
そんな波を切り裂き航路を進む巻き貝の上で、サリュはノートに何かを必死に走り書きしていた。
「何を書いてるでありますか?サリュ嬢」
クラリモンドはそんな彼女のことが気にかかり、サリュの肩に登ってうんしょと背中からその内容を覗き込んだ。
「ウィト様が今回の指令にあたり、私に与えてくださった聖句の意味を考えているのです」
「ふーん。どんなの?」
「離島にいくにあたって仰っしゃられていた聖句です。「初めての遠洋航海だろ?夜空とかもいいけど、世界に自分達だけって感覚を楽しんでほしいな」とのことです。」
そういうと、サリュはペンを顎に当て、再び考え始めた。
戦闘が大好きな彼女は脳筋のように見えて、多くの時間をウィトの言葉の意味を考えることに費やしている。
それは彼女がウィトという神の教えを世界へ普及させる聖人になろうと考えていたからである。
だからだろうか、そんな彼女の思案する姿は様になっていたし、ナナヤ女神に変化させられた後の人間の姿も彼女のそんな特徴をよく表していた。
クールでいて野生的。一言で表すとそんな外見だと言えるだろう。
灰を被ったような色の銀髪はよく手入れされつやつやと輝いており、ワンサイドに寄せられた前髪は片方の目が隠れるほど伸ばされている。
前から見ると物静かでハイセンスな印象を与える髪型だったが、後ろ髪には彼女の活動的な側面が表れていた。
側頭部より後ろの髪はブレイズヘアのように編み込まれており、ポニーテールの位置に括られている。そしてそのポニーテールの結び目部分で、その編み込みが解かれているのだ。
それはトップダンサーや女性プロボクサーのような機能美を感じさせる髪型であり、そこに彼女の二面性と物事をとことん追求する性格がよく表れていた。
……編むには複雑で時間がかかりすぎる髪型であったが、女神の加護でいつでもこの姿に変われる彼女にとっては関係のないことである。もっとも獣族らしく毛づくろいが好きな彼女は、風呂場で意味なく解いて洗うこともあったが。
顔つきは鋭利で、野生の狼のような印象を与える美女だといえる。身長は167cmほどで、緩めのカーゴパンツに薄手のミリタリージャケット、白のタンクトップと動きやすいミリタリーテイストの服を好んで着ている。
鉄板を仕込んだコンバットブーツの無骨さが、彼女が服装に無頓着であることを示していた。
動きやすさを追求したタンクトップはその女性らしくも引き締まったボディラインを周囲に見せつけていたが、彼女は自身のタンクトップ姿が年頃の男性には煽情的に見えるということには気づいていないようだった。
サリュの疑問を受けて、四人の中でウィトの言葉についての考察が進む。
『別にそのままの意味なんじゃないですの?夜空と、それを反射して吸い込むような暗さを持つ水面。水平線まで他にはなにもない。そんな広大な虚無の存在にディストピア的な恋の香りを感じて見てほしいということでは?』
船からそんな声が響き渡る……エグレンティーヌには、何でも恋愛と結びつける癖があった。
「……エグレンティーヌさんの色ボケは置いといて、確かにロマンチシズムを感じられる美しい御言葉です。ですが問題は、「世界に自分達だけという感覚を楽しむ」という部分です……師のいらっしゃらない世界に価値などなく、楽しめるわけはないのですが。この言葉に一体、どのような意図が」
そういうとサリュはウィトの過去の言葉に答えがないか、「ウィトの聖句メモ」をパラパラと確認し始めた。
『うーん。わかりましたわ!私達の身体に常に流れ込んできてくださる、我が君のとっても熱い魔力がなくなった世界を想像しろということではないですの?』
……これはエグレンティーヌの感覚の話であり、実際には送られてくる魔力は熱くはない。しかし、この推察はサリュの琴線に触れたようだった。
「それは……なんと辛い試練なのでしょうか。しかし確かに、師の偉大さを再確認するには良い方法かもしれません」
そういうと、早速実践しようとサリュは座禅を組み目を瞑った。
「うーむ。深読みだと思うでありますが……」
と、暫定的な考察の結論が出て、クラリモンドがツッコミを入れたところで、ピルリパートが会話を作戦内容に移す。
「ねーねー、クラリモンドちゃん!今回の作戦はどんなプランなの?本機の見せ場、ある?」
今回の作戦は軍略を得意とするクラリモンドがメンバーにいるため、立案は全て彼女の仕事となる。
全員ある程度のサバイバル術と軍略は学んでいるため、それぞれ指揮官をできないことはないのだが。
「もちろんでありますよ。今回は潜入作戦ですので、リスク削減のためにピルリパートの『怪人作成』で攻めていきたいであります!」
と、クラリモンドが極めて簡潔なスキル頼りの作戦を述べた。これが正解なのだから仕方ないのだが。
この侵略の命運を決める彼女の立案に、それぞれが反応を示していく。
「うそ!いいの!?やったぜ」
ピルリパートが本気で驚き、そしてすぐにガッツポーズをする。
「……私は試したいことあるのですが」
『わたくしは構いませんわよ。戦うなんてはしたないことしたくありませんもの」
他のメンバーもサリュを除いた全員がその作戦に合意しているようだった。それに、サリュが自分自身で戦おうとすることは常日頃のことであるため、作戦は問題なく可決されることとなった。
「りょーかい!強い敵がいたら
『ちょっと!私の身体に鼻血を垂らさないでくださいまし!』
ピルリパートは目を七色に光らせながら鼻血を噴き出す。そしてその勢いで飛び上がると、またすぐに起き上がって他のメンバーに近づいた。
「まず、かわいいお尻は欲しいからクラリーでしょ?胸は……やっぱりエグレンティーヌちゃんかなぁ。サリュちゃんの女豹みたいなしなやかな脚は使いたいけど、エグレンティーヌちゃんのスベッスベの脚も欲しいし……」
そういってピルリパートは鼻血を垂らしながらサリュとクラリモンドの身体を舐めるように見る。
「今回の目標はピルの欲望を満たすためじゃないであります!」
脚を見るためにしゃがみこんだピルリパートの頭をクラリモンドは容赦なく叩く。しかし彼女はうへへとだらしない笑みを溢すのみだった。
『まったくふしだらですわね。ほら、ふざけてないで、そろそろ例の海域ですわよ!』
と、エグレンティーヌから報告があったことで、船上の三人の警戒度が一段あがり、船内にピリついた雰囲気が満ちた。
「……それではピルに『怪人作成』をお願いしたいであります。敵にバレないでダンジョン潜入までは持っていきたいのでありますが……使用スキルは問題ないでありますね?」
と、クラリモンドは信頼するダンジョン改築仲間兼、ボドゲ仲間であるピルリパートに尋ねる。
「あったりまえじゃん!皆のスキルの使い勝手はばっちり暗記済み!さーさーそれじゃ見せてあげるぞ!合体のロマンを!」
そういうと、ピルリパートはヒーローのポーズをする。すると彼女の頭から先端の光る間抜けなアンテナが二本立ち上がり、回転を始めた。……別に意味があるアンテナではないが。
そしてそんなよくわからないポーズのまま、彼女の詠唱は始まる。
周囲の二人は、それを受け入れるかのように黙って目を閉じた。
「『禁忌は真理に転じたはずなのに』『私の道は二つのまま』『浪漫とは有機的生命を得て疾駆す鋼鉄の蒸気機関車である』『さぁ!神話に革命を起こそうか』『資本主義とは徹頭徹尾、変態のためにあるものなのだから』!!」
詠唱を終えたピルリパートが「変・身」と叫ぶと、サリュとクラリモンドに手を触れた。
「スキル!『怪人作成』!」
一瞬の閃光。そして、海には何もいなくなっていた。
……いや、違う。船並みの大きさを持つエグレンティーヌすら、ピルリパートの体内に取り込まれていたのだ。
よく目を凝らして見ると海の上に一人、光を放ちながら歓喜の雄叫びをあげている少女がいた。
「キタァァァアアアア!身体アッツイ!うおおおお!本機が色っぽくなっていくぜえ!」
そして光が消え去ると、そこに浮いているピルリパートは確かに、若干胸が大きく、脚が長くなっていた。
……いつものピルリパート・ハーローは抜群のプロポーションというよりは、若々しく健康的な肉体が魅力だったのだが、彼女の肢体はエグレンティーヌのものに取って変わったようだった。
そして変身を遂げたピルリパートはにへらと笑う。
「うーん。サリュちゃんの割れた腹筋もなかなかいいですなぁ。でも顔はやっぱり本機のが一番だよね?キャピ」
そういうと彼女は
……これは、サリュがEランクのモンスター・アウェイサム・オポッサムだったときに有袋類だからという理由で得た種族スキル、『アイテムボックス』である。
異空間にアイテムを保存することができる、なかなか凶悪な性能の種族スキルであった。
「えーとそれで、そうだそうだ!エグレンティーヌの触手でしょ、クラリモンドのアンチサーチでしょ、サリュちゃんの五感強化!」
そして同様に、ピルリパートは次々と仲間のスキルを使用していく。
ピルリパートの身体から生えてきた触手は、エグレンティーヌの先端がブラシのようになったグロテスクな触手と同一のものだった。
……船のオールの役割も果たすその触手を使って、ピルリパートは夜の海を高速で進む。
「うおおおおお!速えええ!エグレンティーヌちゃんの触手すげえええええ」
ピルリパートの背中から20本以上の太く、長い触手が生え、彼女の身体を水面につけることなく高速で海を漕ぎ始める。
大きな船から生えているならまだしも、少女から大量の触手が生え高速で移動している様子は、見るものによってはトラウマになるほど恐ろしいものだっただろう。
────ピルリパートのユニークスキル『怪人作成』は、人型のものと他の何かを融合させるスキルである。
ただし、その対象となる人は、
これは彼女の変態性が顕現した結果であり、縛りもそのせいのものである。
彼女の変態性とは、融合。
ウィトが恋を見つけるためには彼と釣り合う女性が必要であり、そしてそんな女性が世界に存在しないと考えた彼女は、あらゆる美女を融合させ一人の美女にし、長所のみを摘出した究極の美女を生み出すことでそれを実現しようと考えていた。
……このスキルを得る前は自力でそんな狂気じみたことを成し遂げようとしていた彼女だったが、ランクアップした際にとうとうユニークスキルとして発現したのだった。
といっても、肉体を組み合わせるだけのユニークスキルではない。このスキルで融合された者たちは「本体」と「素材」に分かれ、「本体」の頭脳は素材の種族スキルを使いこなせるようになる。
ただし、ユニークスキルは本体にならないと使うことができないという制限はある。しかし、本体は誰でも自由に選ぶことができるため、ピルリパート以外のナナヤの巫女を本体にした場合一つはユニークスキルを使用することが可能である。
……本来であればユニークスキルを使用できる分、他のメンバーを本体にすべきではあるのだが、ピルリパートは特に他者のスキルを使用する能力を鍛えているため、今回本体として選ばれたのだった。
────このスキルの利点は本体がスキルを沢山使えるようになることだけではない。
自分にしか効果がないスキルも、一人になることによって実質全員にかけたことと同じ状態にすることができるのだ。今回クラリモンドから借り受けたアンチサーチなどはまさに、その利用方法に適したスキルであると言えた。
「ふふふ。今回の四人は戦闘向きのスキルがあんまり多くないけど、汎用性はすごいぞお。やっぱり、人のスキルを借りるって、ゲームみたいでワクワクするね!」
そして、ピルリパートはそのまま高速で「煩わせの海」を突っ切った。
サリュのGランクだったときのスキルである『五感強化』によって敵の哨戒を避け、クラリモンドのEランクだったときのスキル『アンチサーチ』によって敵のサーチスキルを掻い潜る。そして、エグレンティーヌがFランクだったときのスキル『触手生成』で海を漕ぐ。
そうして彼女は、一切敵に見つかることなくグラブスドレッド島に上陸するしたのだった。
上陸したその島は、砂浜からではジャングルしか見えなかった。
「よーし!上陸達成、イエイ!いい島だなぁ……いや、やっぱり暗すぎてわかんないかも」
ピルリパートはそんな適当な感想を述べると、とあるものを探して、目を凝らして島中を見渡し始めた。
そして、「あ」と声を漏らす。ジャングルの中からこちらを睨む、一匹のモンスターが目についたからだ。
それは、首にひまわりがついたブラックパンサーのようなモンスター、サンフラワーパンサーだった。
「なにこいつ!馬鹿みたいな姿!でもかわいい!しかも
そういうとピルリパートは「とうっ!」と砂浜にジャンピング土下座をして、すくっとお尻を突き出し四つん這いの姿になった。
「再び、変・身!」
そしてそんな間抜けな姿で決め台詞を言ったかと思うと、遠くに見えるサンフラワーパンサーと同じ姿になったのだった。
……これは、エグレンティーヌのEランク種族スキル『正体秘匿』の効果である。
……擬態スキルのなかでは「化ける物が自分と同じくらいの大きさじゃないと駄目」「透明にはなれない」「幻のポーズも術者と同じものになる」など比較的使いづらさが目立つスキルではあるが、その分敵の認識にまで影響を及ぼす効果の高い幻術スキルである。
「ふっふっふ。「非戦闘用のスキルばかりだけどダンジョンで無双しちゃった件について」編がいよいよ始まるぜえ!てか、エグレンティーヌちゃんの身体で四つん這いになるのイケナイことしてるみたいで興奮する!これはダンジョン着くまでに全員分試さないといけませんなぁ!」
そしてピルリパートは「うへへ」と笑いながらジャングルを女豹のポーズで進むという大変馬鹿っぽいことをしながら、意気揚々と島の中心を目指したのだった。
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