38話 移転計画

 俺はベッドに下着のみを身につけ、うつ伏せで寝転がっていた。エステでも受けているような格好だったが、その部屋にはオイルの音ではなく、心地良い金属同士のぶつかり合う音が響いていた。


「……終わったけど。大丈夫?どこも痛まない?」


 ハスキーな声。しかしそこにこもっている慈しむような優しさも、慣れれば細やかに感じられる。


 ナナヤの巫女の一人、リドヴィナ・ヴァーニーの声である。


「ああ。ジャクリーンさんの麻酔は相変わらずばっちりだ」


 手をグーパーさせて確認する。力は入るのにその感覚はない、なんとも不思議な感覚だった。


「……そ。アルコールだけで麻酔なんて無茶苦茶だと思うんだけど」


 加熱されたのみを銀のトレイに乗せると、彼女はボソリと呟いた。


「ジャクリーンさんの麻酔も凄いけど……リドヴィナもよくやってくれた。勤務外なのにありがとな」


 リドヴィナ……。悪魔族のDランクモンスターである彼女は、呪詛や魔法をうちのダンジョンで最も得意としている。


 俺はそんな彼女の才能を見込んで、全身にタトゥーを彫ってもらっていたのだ。


 ……といっても彫ったもらったものは魔法陣なのだが。リドヴィナにはここ最近ずっとつきっきりで施術をしてもらっており、4日目にしてようやく彫り終わったというわけだ。


「もう。アタシは勤務外に呼び出してくれた方がありがたいんだってば」


 リドヴィナがどこかやるせなさそうに微笑む。俺もそれに応じようと、麻酔で上手く動かない頬を吊り上げて笑みを作った。


 施術を終え、疲れて椅子に腰掛ける彼女には、そんな表情すら様になっている。


 ……なんか、リドヴィナって海外にあるクラブの、人気アーティストっぽいんだよな。


 このタトゥーを彫って貰った部屋もリドヴィナの私室なのだが、雑多だけど統一感がある、視界がうるさいけど落ち着く、そんなこだわりの強い名店のような雰囲気が空間に満ちているのだ。


 彼女自身の格好も、前世地球の基準ですら先進的な服装である。まずトップスは黒の粗いメッシュシャツのなかに、真っ黒のオフショルダータイプのビスチェを身に着けている。


 さらにその上にドギツい紫のオーバーサイズのナイロンアウターを羽織っており、ハーフパンツからのぞく脚には彼女自らが魔法で彫ったタトゥーが、タイツ越しに透けていた。


 そしてピンクの髪に、少しパープルの混じった濃いリップ。175cmほどだろうか、人並み外れたスタイルの良さに、若々しくありながら既に完成された整った顔。どこか退廃的なエロスを感じさせる憂いを帯びた表情。


 どこを切り取ってもCDのジャケットになりそうなこの女こそが、リドヴィナ・ヴァーニーなのである。


 とある事情によりこのダンジョンにいることをナナヤの巫女で唯一「勤務」であると考えている彼女は、昼間はメイド服で、夜はこのどストリートなファッションというスタイルを貫いていた。


「そうだったな……ちょっと鏡持ってきてくれないか?」


 入れてもらったタトゥーが見たくて、身体を起こすと、彼女に制止された。


「あ、待って。まだ麻酔効いてるかもしんないから立たないでね。倒れるかもしんないから、これから一日はずっと座ってて」


「え?一日間もこのまま?動いちゃダメか?」


「そのためにいっぱい女の子いるじゃん」


「……そのためじゃないだろ」


 冷静になって俺がツッコミを入れるとリドヴィナは「ふふ」と笑った。


「はい。これ、鏡」


 リドヴィナが味気ない四角の鏡を持ってきた。……いや、むしろこれがお洒落なんだろうか。彼女の方が俺よりハイセンスだから正直お洒落かどうかもわかんねぇんだよな。


 ……前代未聞らしいが、うちは契約魔法で全員にダンジョンコアの使用許可を与えている。そのため彼女達の持ち物について俺はいちいち確認していない。


 というか、そっちの方が一緒に生活するにあたって効率がいいと思うんだが、他のダンジョンはどうしてそうしないんだろうか。


「うん。やっぱ上手いな」


 俺は自分のものとは思えない、繊細な古代エティナ文字が刻まれた身体を確認した。


 それにしても、自分が異世界に行った結果タトゥーを大量に入れると思わなかったな。


 ……当然俺はファッションで入れたわけじゃない。


 俺は以前のナナヤ女神様との邂逅において、心と魂。その全てを


 ……色々後悔やら悩みはあるが、今の俺はそこまでひどいことにならなくてよかったと思えている。確かに俺がずっと追い求めていた「恋」は奪われてしまったが、元々半ば諦めていたことだったんだ。


 最悪、俺達全員の意識が奪われて人類を殺戮するマシーンに変えられていてもおかしくなかったことを考えると、ダンジョンマスターという既に死んだ人間を天国に送るだけの役目なら、まだ全然マシな方だろう。


 むしろ、世界のバランスを保つためと考えたらやり甲斐のある仕事と言っていい。


 ……けれど、そんな俺の取り引きにナナヤの巫女達を巻き込むわけにはいかない。


 俺は、自身が『魅了魔法チャーム』で支配された際、彼女達との契約まで奪われてしまうという最悪の事態だけは回避するために、全身に緊急用魔法陣を彫っているのだった。


 この彫りには、俺が死んでリポップされても失われないよう、呪いも混ざっている。


 リドヴィナが本気で研究して、俺に負担のないよう呪いを維持できる魔法陣を完成させてくれたのだ。


「似合ってる?」


 俺はそんな彼女の力作にワクワクしていたし、頑張って研究していた彼女に自分が喜んでいることを伝えたくて、そんな風に聞いてみせた。


「うん。かっこいいよ。背中見せっから、前むいて」


 彼女が美容師のように後ろで鏡を持って見せてくれる。

 

 飾りではなく、実用的な魔法陣のみで構成されているのだから、柄自体には彼女のセンスは表れていない。けれど、必要な魔法陣を配置する場所のセンスみたいなところでは、絶対に俺がやるよりも格好いいと思った。


 今や、俺の身体はどこに魔力を集めても何かの魔法が発現する状態になっているのだろう。


 それに、背中には俺がお願いして、彼女がデザインしたとある柄の絵が彫られていた。


「おー、上手いな。流石」


「上手いって、さっき下書き見せたでしょ」


「それでも、色が入ったら迫力段違いだ」


 俺の背中にはじゃれ合う二匹に犬が彫られていた。ソ連の実験に使用され、地球に帰ってくることはなかった宇宙犬。バルスとリシチカの和彫風タトゥーである。


 俺はもう地球に帰るつもりはない……ま、死んでるし、こっちに10年もいるし、当然なんだが……その覚悟を表現して貰ったわけだ。けれど、何百年経っても地球のことは忘れたくないし、その二つの決意を同時に一つの絵に込めたわけだな。


 といっても、完全に趣味で彫ったわけではなく、その下に描かれた別の魔法陣を隠すためではある。背中には戦闘魔法用の魔法陣が刻まれているため、敵に手の内を悟られないよう、上書きすることで柄を隠す必要があったのだ。


 ……うん。でもやっぱりこの柄は結構気に入った。犬好きだし。


「安心して背中を任せられるナナヤの巫女の中に、タトゥーを彫れるリドヴィナがいてくれてよかったよ」


「いいってば。正直アタシも……勤務時間外に、ウィトにアタシの証を刻み込めて安心してたし」


 リドヴィナがそんな自分自身の発言を情けないと思ったのか、馬鹿にするように唇を歪めた。


 ……彼女がここにいることを「勤務」だと強調する理由は、彼女が悪魔族だからだ。


 十年前の俺は真剣に考えていなかったが、そもそも最初の契約段階で、天使族と悪魔族は「俺に貸し出されている」という形式になっているらしい。


 まず前提として天使=神の使いであり、悪魔=魔神の使いであるから、彼女達はそうした神の所有物として生まれているのだ。それは召喚する際にも明記されていた。


 だからといって、突然奪われるようなことはないと思うのだが、彼女は自身の魔神の使いという立場が気に食わないらしい。


 日中は真面目にメイドをすることで「この時間は悪魔として魔神に貸し出された私だ」と主張し、夕方以降のストリートファッションをしている彼女を、「本当の自分」として区別しているのだ。


 そうすることで、自由な意思でここにいるんだと主張しているらしい。彼女が自由な魂を持つヒップホップを好んでいるのも、この辺りの出自が理由なのだろう。

 

「ああ。このタトゥーは命ある限り消さないよ。約束する。絶対にだ」


 だからこそ、彼女は自身がいつ去ってしまってもいいように、消えない証を残したがるのかもしれない。……リドヴィナの内腿うちももに彫られた「ウィト」というタトゥーには、何があっても身体から消えないよう何重にも「呪い」がかかっているそうだ。


「……いいって。それより、扉の前で皆が心配してるから。中に入れるよ」


「ああ、そうしてくれ」


 リドヴィナが扉を開けると、長期の潜伏任務に従事しているローザローザとビオンデッタ以外の十人が、早足で部屋に入ってくる。


 そして、全身墨に覆われた俺の姿を確認し、血相を変えて跪いた。


「も、申し訳ございませんでした!私達が不甲斐ないばかりに、旦那様の尊き御身に取り返しのつかないことを……」


 マルガリータがそういうと、「申し訳ございませんでした!」と、皆口々に謝罪を続けた。


 地面に擦り切れそうなほど頭を下げる彼女達は、跪いているというより強い重力に上から押さえつけられているようだった。


「はーい。皆まず頭をあげてくれ」


 俺も彼女達が話せるようになってから、ずっと一緒にいるんだし、流石に彼女達が俺を持ち上げてくれていることは分かっている。


 十年も俺が先生として授業していたのだから、まあ憧れの先生くらいにはなれているのかもしれないな。でもだからって、いちいち何かあるたびに心配されるのもむず痒い。


「別に謝ることはないだろ。ほらここの入れ墨見てくれ。かっこよくないか」


 俺がそういうと、彼女達は命令通り頭を上げて俺の身体をじっくりと眺める。こういう落ち込んでいる彼女達に一番効くのは、俺が楽しそうにしていることである。


 少し精神が不安定なところのある彼女達のためには、俺まで落ち込んでいてはいけないのだ。


 だからといって下着一枚で、十人にじっと見つめられると恥ずかしいんだが……。


 しかし、彼女達は俺の姿を真剣に眺め続け、祈るように両手を合わせると、うっとりとした顔で何度も頷いた。


「はい……!はい……!とても!とてもお似合いです!」


 それは、万感の思いが籠もった「はい」だった。彼女達は俺を見上げ、跪いてたまま前に倒れるよにうに身体をとろけさせながら、目を潤ませた。


 彼女達の表情を見れば、本気で格好いいと思ってくれているのだということくらい分かる。


 流石、リドヴィナの入れたタトゥーだな。


 「おっと」


 背中のワンコ達を見せようと身体を捻ると、麻酔のせいで上手く身体に力が入らず、倒れそうになる。


「旦那様!」


 バランスを崩した俺は、柔らかな身体に支えられる。手を回してくれたのはマルガリータだった。


 そしてその後すぐに全員が、俺の身体を支えるように持ち上げた。


 ……俺は神輿か!


「……今日一日は、旦那様のお世話を全員でさせていただきますね」


 マルガリータが叱るような口調でいった。今からその要求を俺が断ると分かっているんだろう。


「全員はいいよ。ローザローザとビオンデッタが頑張ってるんだから、俺も頑張らないと」


「いえ、今日ばかりは危険です。……そもそも彼女達とて旦那様のために働いているのですから。むしろ、「彼女達が働いてくれているから俺はゆっくりするよ」と仰ってくださった方が、喜ぶかと存じます」


 マルガリータが粛々といった。言っていることはとても優しく、立派なのだが。しかし……。


「あの、マルガリータ。なんか、くすぐったいんだが」


 俺の臀部を支えている彼女の手が、さっきからずっとさわさわと動いているのだ。


「へ!?あ、も、申し訳ございませんでした!その……まだ人間の身体が欲情した際に発するサインが多すぎて制御出来ておらず……。だいぶ反応は抑えてきたはずでしたのに……!お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」


 マルガリータが青ざめて頭を下げた。流石にそこまで大げさに謝られてはこちらとて申し訳なくなる。


「いいって、人間の身体になってすぐは、全員とも余所余所しかったもんな。確かに慣れないうちは色々あるか」


「は、はい。全員が旦那様と目を合わせるだけで、濡らしてしまったり勝手に脚が開いてしまっていては、旦那様の部下として務めを十全に果たすことは出来ませんので……」


 マルガリータが器用に、悲しそうに俯きながら頬を染めた。人間の身体も、どうやらいいことばかりではないようだ。


「……まず、マルガリータも皆も、部下じゃない。俺の大切な人だ…………それと、そんな状態でローザローザとビオンデッタを外に送り出したのすごい心配なんだが」


 俺はへりくだりがちなマルガリータにフォローを入れつつ、人間になってからすぐに送り出してしまった二人の姿を思い出していた。今頃、何やってるんだろうか。外で友達が出来ていればよいのだが。


「あ、有難き光栄でございます。そ、それとあの二人なのですが、外であれば問題ないかと!ダンジョン内のみの症状ですので」


 マルガリータが繕うように言った。ダンジョン内のみって……ナナヤ女神の隠れた呪いなん?


 ともかく、俺を持ったまま十人とも動きそうになかったので、仕方なくこの場で活動をすることにした。


 といっても、神殿から帰還してからの俺の仕事は、報告を受けて最終決定を下したり、巫女達にアドバイスしたり本を読むことくらいだ。


「……それじゃあ、今日一日は皆にお世話してもらうかな。ただし、侵攻計画はもう開始準備を整えといてくれ。俺の復帰期間は計画に加える必要ない」


 しかしそんな暇な俺にだって、今だけは今後に必要な、とある計画の準備がある。


「……かしこまりました。つつが無く」


 マルガリータは俺の言葉に頷いたが、どうやら納得していないようだった。でも、流石に麻酔の後遺症が残ってるだけなんだから会話くらいはむしろさせて欲しいんだが……。


 俺がマルガリータの心配性に苦笑していると、突然俺の脚を支えている巫女の一人から、軍隊のようにハキハキした声が聞こえてきた。不定形族のモンスター、クラリモンド・ジーベンケースの声である。


「でしたら、もう既に予定地Cへの航路は確定しておりますので、明日までにダンジョン防衛戦力を除いたエグレンティーヌ嬢含む数人を編成していただけますと幸いです」


 戦闘に関する無粋な発言を突然されたと憤ったのか、マルガリータが顔をしかめた。でも許してやってほしい。クラリモンドにはクラリモンドの役割があるのだ。


 彼女は軍服を着た緑色のお下げをした少女で、具体的な戦略は彼女の専門でもある。


 予定地C……俺達がたった一日で電撃侵略すると決めた島の仮称である。もちろん、敵は人間ではない。ダンジョンだ。


「ああ。クラリモンド。向こうの戦力が分からないなら、好きなだけ投入してもいい。編成は任せるよ」


 俺は、全てを彼女に丸投げすることにした。俺がするよりも、今や彼女の方がずっと上手くやるだろう。


 少女は獰猛な笑みを隠しもせず、「かしこまりました」と言って、片手をおでこの前に上げ、ビシッと了解のジェスチャーをした。

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