25話 ナナヤの神殿
旅立ちは夜更けに行われた。
隠密性を要したことがその理由で、俺達はダンジョンの入り口がバレることだけは絶対ないように、モンスター達のスキルを最大限に駆使して周囲の安全確認を行った。
「それじゃあ、エグレンティーヌ、頼むな」
俺達は、森から少し離れた海岸で、
「はい。お任せくださいませ我が君!必ずナナヤ女神の元へとお送りいたしますわよ!」
「声!エグレンティーヌちゃん声でかいっス!」
エグレンティーヌの言葉に、ヘーゼルが注意を入れた。
こうして普段からお嬢様言葉で話す彼女、エグレンティーヌは水棲族のモンスターである。
そのモンスター名は、地球に伝わる『博物誌』の怪物の一匹、ナウプリウス。彼女は巨大な巻き貝のような姿をしており、風を漕ぐためのオールのような触手と、風を受け止める帆の役割を果たす外唇と内唇を備えていた。
彼女はロジーナ以上の巨体で、前世の遊覧船ほどの大きさを持っており、さらに空まで飛ぶことが出来た。そのかわり触手で可能な作業以外、大抵の細々したことはできないのだが、大規模に皆で移動するこういう場面では、よく役立ってくれるだろう。
というわけで俺達は彼女の大きな体躯のおかげで硬い貝殻に守られながら安全に空を飛べるわけなのだが、ジャクリーンさんだけは彼女の殻の中に入るのは磯臭いと、最後まで嫌がっていた。
確かに磯の臭いはするものの、水棲族モンスターなんてどうせ皆そうだろうにそこまで言わなくても……と思ったが、数時間貝殻の中は身体的に本当にきついらしかった。
俺は割りとすぐ慣れるのだが、これは日本人特権なのだろうか。
といっても、ジャクリーンさんだけ特別にロジーナに乗ってもらうわけにはいかない。ロジーナはデカいし、竜が出たら目立つしすぐ噂になるだろうという至極真っ当な意見により、却下となったのだ。
ロジーナもユニークモンスターだが、姿はまんま竜だし。
その点、空を飛ぶ巻き貝という突飛なエグレンティーヌの姿は、多少目撃情報が出ても、与太話だと思われるか、未確認飛行物体程度の扱いで厳重な警戒もされないだろう。
ということで、俺達は結構な速度で走る巻き貝の貝殻のなか、吐きそうなジャクリーンさんを寝かせながら、ナナヤ女神の神殿を目指したのだった。
XXX
辿り着いたそこは、険しい岩山の頂点にあった。造りは立派な神殿ではあったがところどころ寂れており、管理が難航していることがわかった。なんでこんなとこに立てたんだよと思う程度には、苔むしていると言えるだろう。
この世界の神殿はみんなこういう場所に立てるのかとジャクリーンさんに尋ねると、それも違うらしい。というか、神殿は普通町の真ん中に建てるものだそうだ。
……どうやらこの神殿の主の性格は、なかなか一筋縄にはいかないものらしいということが、その会話だけでわかった。
神殿の入口につくと、神官さんだろうか?ローブを来た女性が既に待ち構えていた。まるで来訪する時間が分かっていたかのような振る舞いではあるが、相手が神様だと思うと、驚く気にもならなかお。
「お待ちしておりました。……ウィト様とジャクリーンさんのお二人でいらしてください」
神官さんの声には心が安らぐような素敵な魅力があった。しかし、顔には布がかけられておりよく見ることはできない。
しかし、ちらりと布から覗く輪郭を見ると、人間ではなく虫のそれに近いことに気がついた。
「私も一緒に行くのですか?」
そうジャクリーンさんが尋ねる前に、神官さんはもう先導を開始していた。
「……はい。それと、以降は許しが出るまで発言は控えるように」
神官さんがピシャリと言った。
うへえ。
神官さんはいかにも真面目そうな感じの人で、ゴネたら本気で怒られそうだった。そのため、俺は渋々みんなを神殿の前に待機させ、ジャクリーンさんと二人で中に入った。
神殿のなかは、全ての壁に回路のような青い光が直線的に迸っており、一瞬近未来的な風景に思えた。
しかし、よく考えればその青い光がいつもコアで見ている魔力のようなものだということに気づいた。これは、魔力を送るものなのだろうか。それとも吸い取るためのものなのだろうか。
そんなささいなことを考えながら、直線の廊下を進む。神官さんは俺達に発言を禁じたくせに、自分も喋らないものだから、お互いに何も話さない時間が進んだ。
そんな気まずい時間もつかの間、ある程度進むと神殿中の壁のそこかしこに黒髪が絡みついているエリアに出た。しかし、和風ホラーにありがちなパサついた幽霊のような髪ではなく、ふと触れてみたくなるような高貴さと輝きをその髪は秘めていた。
なぜこんなに髪が長いのか。なぜ廊下を覆っているのか、そんな疑問が頭をよぎったが、発言を禁じられた俺達はひたすら黙って神官についていく。
廊下が髪の毛に覆われてから100m以上は歩いた頃だろうか。
ようやく神殿の奥地、ナナヤ神のいる部屋が見えてきた。
その部屋は金銀財宝と瑞々しい果実に溢れており、壁も全て黄金で造られていた。しかし、そこに下品さはなく、壁の壁画や文字の数々が、神秘性によって俗っぽさを掻き消していた。
しかし、そんな宝物の類より、一番目を惹いたものは女神自身の美しさだったことは間違いない。むしろ、金に覆われた壁でないと、壁がみずぼらしくみえてしまうくらいに、彼女は美しかったのだ。
俺はその姿に完全に面を食らってしまった。偉い神様なのだからこちらに姿は表さないのだと思っていたのだが、彼女は姿を隠そうとはしておらず、堂々と寝台に寝そべっていた。
それどころか全裸だった。
俺はそのこの世のものとは思えない美しさに、思わず息を飲んだ。
まず彼女の、男の異性愛者なら誰だって怯むような憂いを含んだ大きな瞳が眼を引いた。
例えば、思春期の男にありがちな、学年のマドンナに嫌われたらそれだけで自信を失ってしまう、別に好きってわけじゃなくても女の子に蔑まれたら一瞬で拠り所を失い、うじうじ悩んでしまう。その頃の感覚を一万倍の濃度にしてぶつけられるような感覚。
こんな美しい瞳を持つ女性に嫌われたら人間として
その後、遅れてまつ毛の長さや鼻筋の美しさ。唇のバランスの見事さに気づいた。俺はこのとき初めて、人の唇を見て、ずっと見ていたいという感想を抱いた。
彼女はその身体も、髪の毛に覆われていて見えない箇所以外は全てを惜しげもなく晒していた。
若々しい肌でありながら熟れた女性の肉体が持つ魅力もそのまま備えているその身体。それは、人間が3Dモデルなどを用いて再現しようとすれば必ず失敗し人間味を失いそうな微妙な感覚の隙間を、完璧に捉えていた。
あまり不躾に見たつもりはなく、すぐに見ないよう眼を逸らしたが、その手足のバランスや肉付きの仕方は、古代の彫刻家が肉体美に捕らわれた理由を、俺に理解させるのに十分だった。
しかし、俺の感動はあくまで俺が感動しただけの話であり、とうのナナヤ女神は俺を見ると、ピクリと眉を一度憎々しげに歪めたあと、
「遅い」
と一言呟いただけだった。
返す言葉もございません!
謝罪をしたかったが、発言の許可を貰えるまで、俺は黙っている。
「あのねぇ。お母さんは何も慈善活動であんたをこの世界に招いたわけじゃないの。挨拶程度は普通先にしておくもんだと思うけど。いや、私もそれくらいは許すけれど、十年はないわ。十年は」
十年待たせた件は本当に申し訳ないので発言の代わりにもっと頭を下げた。というか、土下座した。ジャクリーンさんには効かなかった十年振りの土下座であるが、彼女には果たして効くのだろうか。
なんと、効いた。
恐らく彼女も、あまりに俺が情けなく頭を下げたものだから見かねたのだろう。「はぁ……」と溜息をついて、説教モードを解除してくれたのだった。
「ま、いいわ。はなから人間になんて期待してないし。それじゃ、あんたに要件だけ伝えるから、質問は少なめにしてね。うっとおしいから」
……いや、優しいというよりは、説教すら面倒だっただけだろうか。
彼女は、いつまでも俺達に発言の許可を与えないまま、自身の要件を一方的に伝え続けた。
「まず、あんたには人間を統べてほしい……いや、私の代わりに人間を統べる代理人ね。それになって欲しいの」
あまりの要求に、こんな場面なのに俺は本気で冗談だと思ってしまった。それほど彼女は、とんでもないことをさらりと言ったのだ
……彼女がこれほどまでにあっさりと、人生をかけても成し得ない大事業を俺に告げたのは、俺を信じているわけではなく、恐らく全く期待せず、義務感で話しているからだろう。
そして当然、そんな彼女の次の言葉も、驚くほど無感情に告げられた。
「そして、そんためにまず、人間社会に紛れ込んだダンジョンマスターとその僕を殺しなさい。ただし、ダンジョンマスターってバレたら、あんたも殺されるから、そのつもりでね」
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