18話 ダンジョン外での初戦闘 その2 (デリラ視点)

 私は初めての戦闘の真っ只中、嬉しいのか緊張しているのか分からない頭で、なぜか昔のことを思い出していた。

 

 十年前、私はちょっと卑屈なだけの、普通の女の子だった……と思う。モンスターにも普通はある、という前提が認められるならの話だけど。


 好きな人は敬愛する主様……ウィト様。あらゆる点において完璧で、同時に全てを暖かく包み込んでくださる不思議な力を持ったお方。


 そんな彼の願いは、私達が女神になることだった。難しい目標ではあったけど、そのためにする必要のある努力は、主様が全て教えてくれた。


 授業、戦闘レッスン、哲学、創作、道徳。いつ思い起こしても主様のお考えになったシステムは完璧で、13人の女神の育成は問題なく終わるはずだった。


 ……しかし完璧なシステムは、完璧には進まなかった。


 私が、超絶完璧な主様から産まれた、唯一の出来損ないだったからだ。主様の瑕疵であり、まるで究極のワインに垂らされた一滴の汚泥……それが、私だった。


 呪具族のGランク、ポルターガイストであった私は、他の子達と比べて突出した才能が何一つなかった。勉強ができるわけではない。戦闘が得意ではない。


 当時の私といえば、主様の授業についていくだけで一生懸命だった。もちろん、主様の授業は常に完全無欠で、こんな私にも分かりやすく、何より楽しかったからこそ私にすら続けられたのだと思うけれど。


 主様の授業は内容そのものも面白いし、授業の合間に挟まれたトークも、まだ産まれたてだった私達すら愉快な気持ちにさせてくださったのだから、主様がお立ちになった教壇こそが世界最高学府であると断言できる。


 しかし、つらかったのは個人レッスンに生じた同期との差だ。主様は優しく、いつも遅くまで授業の補足をしてくれたけど、他のメンバーが個別レッスンとして絵や戦闘を学んでいるなか、自分だけ補習っていうのはやっぱりつらかった。


 「なんで私だけ……」という口癖はこのときにできたんだっけ。


 ……そんなある日のことだった。私にいつも愛をくださっていた主様が、次は私に光をくださったのだ。きっと主様は、私の取るに足らない悩みすら見抜かれ、糸を差し伸べてくださったのだろう。


 その光とは、の授業のことである。


 その在り方に、私は惹かれた。


 ていうか、全ての欲や望みを捨てることで悟りを開き、上位者に近づくという思考は、「あらゆる点において非才な私でも女神になれるかもしれない」と思わせるものだった。ほら、身に着けるのは難しくても、捨てるくらいなら、できそうじゃない?


 加えて、常に悩みが多かった私にとって、全ての悩みを捨てるその修業は自身に必要なものに思えた。


 ……そして、その日から私の仏教的修行が始まった。さらに、ウィト様から仏教の個人レッスンも受けた。そうして私は、煩悩を消しさり、悟りを開くことで女神に近づこうという考えのもと、5年以上の日々を、修行に費やしたのだ。


 ま、結局、毎日仏教的な修行を行っても、悩みは一切消えなかったし、女神になった実感もなかったけど。


 しかし、努力というものは幸か不幸かいつだって一定の結果をもたらすものだ。


 ……私は修行の結果なのか、Dランクのアニメイテッドブックへとランクアップした際、ユニークスキル……『禁書指定』を身に着けることができたのだ。


 『禁書指定』の能力は、自身の考えや感情そのものであるページを自在に燃やし、感情や煩悩を消す……というものだった。燃やした感情は復活しないけれど、新たな感情と出会う度にページが身体に追加されていく。私の身体でしか使用できない、まさにユニークスキルだとは言えるだろう。


 …………うん。すごく弱かった。私はランクアップした日から、毎日泣いた。こんなの、女神になるのに役立つスキルじゃない。主様の夢を叶えて差し上げられない。ウィト様に捨てられちゃう。


 ユニークモンスターというものは、実はそんなにステータス的に強いわけじゃない。スキルが圧倒的だから、上のランクにも食いついていけるのだ。


 私の『禁書指定』は、むしろ普通のDランクにすら劣るものだった。


 主様には汚いところなんてない。……どんなところでも悦んで舐めて差し上げられるけれど、この私という存在を産み出したこと自体が、彼の唯一の汚点になってしまったのだと思って、何度も自分を嫌って、不運を呪って、世界を憎んだ。


 けれど、主様の持つ御力には限りがなく、どこまでも完璧だった。こんな壊れた道具の私さえ完璧な形で使用してくださったのだから。ああ、そのときのことは今思い出してもこの身体がとろけそうなほど熱くなってしまう。


 それは、大雨の夜のことだった。主様は、頓悟とんごという概念が仏教にはあることを説明してくださった。


 主様いわく頓悟とは、修行などを用いず突然悟りを開くことらしい。滅多に可能なものはおらず、果たしたものも仙人となって山へ潜り、帰ってこなくなることも多いという一つの境地だった。


 主様は、『禁書指定』でことで、頓悟の境地に至れるのではないかと、教えてくださったのだ。


 その提案を賜ったときには、なんとしてでも成し遂げたいと思った。完璧な主様の被造物である私にはまだ一欠片の可能性が秘められているかもしれないと、そう希望を見出したのだ。


 自身の存在そのものであるページを燃やす恐怖など、一切なかった。むしろ、主様のために身体を燃やすことができる誉れ高さに、私の身体は歓喜に震えていた。


 そしてなんと、主様の慧眼のいかに素晴らしいことか。実際に私は悟りを一時的に開くことができたのだ。


 悟りを開くことで、一時的であっても主様がお望みである女神に近づくことができる。


 それだけでとても嬉しかったのだが、主様はさらに私にぴったりなアブダギギ神という神を見つけてきてくださったのだ。


 ……『禁書指定』の使えなさに泣いていた私をご覧になった主様が、沢山本をお読みになられ、私のために見つけてきてくださったのだ。嗚呼。主様の御心のなんと優しきことか。本来であれば、失敗作である私など、燃やしてしまわれて当然であるというのに、こんなにも愛をくださるだなんて。


 ……私は本なのだから呼吸など必要ないはずなのに、主様があまりに愛おしくて、息が苦しい。その苦しさは、今だって感じている。あの時からこの心地良い苦しさは、いつだって私の1ページ目にあった。


 そして主様のお考え通り、神との契約も成功した。本来であればモンスターは神の力を借りるだけの魔法は使えるけれど、契約ができることは滅多にない。


 けれど、アブダギギという神は仏教的な考え方を持っていて、という条件さえ満たせば人間でもモンスターでも誰でもいいという神様だったのだ。まあ、煩悩を一切持っていないモンスターなんてほとんどいないのでしょうけど。


 ……初めてダンジョンにあの牛がやってきた日、ダンジョンマスターである主様の契約魔法により直接結んだ契約。それが、私にとって一番大切なものである。


 だから、神とはいえ他の男と契約するということが嫌だったし、主様に嫌われてしまわれないか不安ではあった。けれど、主様いわくアブダギギ神は自分も悟り開いちゃって一切煩悩とかがないお爺ちゃんらしいので、別に男の枠に入れなくていいかと思って契約したというわけだ。


 まあ、アブダギギ神はケチで、私がユニークスキルを使って頓悟した時しか加護を使わせて貰えないのがむかつくけど。


 ……ま、そういう理由があって、主様のおかげで私は一時的に女神に近い精神状態を手に入れ、神との契約を成し遂げたのだった。


 私はいま、初めて敵に向けてこの力を放っている。あまりに苛烈で、私の恋そのもののようなユニークスキル。


 加えて主様から賜ったこの愛おしい力があれば、こんな雑魚ども、負ける方が難しかった。


 私は、もはや詠唱なしで使用できるまでに身体に馴染んだアブダギギ神の加護を、目についた薄汚い蜘蛛全てに放っていく。地を這う蟲の分際で、天より高い位置におわす主様の身体を傷つけた屑共。みんな死ね。死ね。死ねっ!


 燃えていく害虫共を見ると、あの悔しかった……何度も踏み潰された日々が消えさり、浄化されていくような感覚を覚える。


「アブダギギ神はねぇ。縁を燃やすの。あなたの親を、友人を、仲間を、子供すらも!!!アハハっ!あんたみたいなゴミにはお似合いの最期だわ!死ねっ!死ねっ!あーヤバい『禁書指定よ!こんな感情』!『禁書指定よ!こんな感情』!ふううううううぅ。落ち着いてきた」


 未熟な私は、主様の敵に攻撃するたび、また高揚してページが復活してしまうので、そのたびに感情を燃やす。敵の苦しむ様を見て愉悦が生まれた。また燃やす。燃やす燃やす燃やす。


「『禁書指定』!『禁書指定』!『禁書指定』!『禁書指定』!あー駄目っ!気持ちよくって、もっとお前らの苦しむ顔がみたいっていう煩悩がねェ?止まらないの!!!」


 ボスの『縁』がよっぽど広かったのか、森のそこいらで悲鳴があがり、火の手があがった。

 

「『禁書指定』!『禁書指定』!おい!蜘蛛共ぉ!頼むからもう苦しむのやめろよぉ!私の解脱げだつがまた遠くなるじゃんか!あああっ!でも、もういっか!この作戦が終わるまでは、いいよね?主様の敵全員燃やす!主様を傷つけたやつは全員輪廻ごと殺す!アハハアッ。ハァ。ハァ」


 そうだ!そろそろ燃やすだけじゃなくて、緋文字の内容を変えてやろう!そう思って詠唱を始めようとしたとき、気配を感じた。それでふと横を見ると、呆れ顔のマルガリータが隣に立っていた。


「……とりあえず、こいつらはもう十分ですので、『禁書指定』の発動をお願いします」


 何言ってんだぁ?この女は。


「なんでぇ?こんなに楽しいのに!アハハッ」


 マルガリータが、頭を振って溜息をついた。


「デリラちゃんの身体にある今のページ。全編が復讐心だから、絡み面倒くさいの!一回だけ!一回だけ!『禁書指定』して」


 まあ、いいか。今回、復讐できたのはこいつが主様から許可取ってくれたからだしな。


「……しゃーないなぁ。『禁書指定』」


 私が『禁書指定』して少し肩が落ち着いたそのとき、空からゾンビが降り立った。ヘーゼル・ピープシアーナの飛翔能力である。


「はい。もう生き残りはいなかったっスよ。生体感知したので、間違いないと思うッス。そんで、はい、デリラちゃん。ボスの写真」


 そういって、ヘーゼルは主様の写真を見せてくれた。


 その瞬間、今まで薄汚い蜘蛛への敵意と、復讐を果たした爽快感しか残っていなかった心が、


 主様の写真を目にした瞬間、私の身体にさきほどとは比べ物にならないくらい大量のページが溢れ出したのである。


 …………恥ずかしいけど、


 ああ、主様への想いで、物理的に身体が弾け飛びそう!!こんな幸せなことって、あっていいのかしら。


「『禁書指定』!『禁書指定』!ああ!主様!愛しています!好き!好きなんです!この気持ちだけは、何回燃やしたって、絶対に消えません!この気持ちこそが、真理!真理なんです!全部、無駄なものを切り捨てて、残るのは主様だけなんです。好きぃ……はぁ……好きなのお……」


 慌ててページを燃やしたけど、私という女の身体は、一瞬で主様への愛で溢れかえった。


 ……本来なら、何度も感情を燃やしてしまえば、好きという感情は消えるものなのだろう。味わったことはないから分からないが、私の恋心を燃やすという感覚は、恋がという状態に近いのだと思う。


 「あれ、なんでここまで熱くなっていたんだろう」とか、そんな感覚に近いように思えるのだ。……普通、そこいらの恋人同士なら恋が冷めてしまえばそれっきりだろう。


 けれど、私は、主様への想いだけなら絶対に誰にも負けない。何度恋が冷めようとも、主様を一目見るだけで……いや、その御姿を思い出すだけで、私の心は、ページは、何度でも主様でいっぱいになる。


 この戦法はよくないものなのだと、ジャクリーンさんに言われた。何度も自分の感情を殺して、一から加えていくなんて精神が壊れてもおかしくないそうだ。……けれど、主様への愛だけが存在理由で、主様への愛だけで身体も心も幸福でいっぱいになる私にとっては最高の戦法なのだ。


 だって、主様に何度だって恋に落ちることができるんだから。


 XXX


 そうして、普段通りの状態に戻って身悶えるデリラを見ながら、マルガリータは思っていた。


 (デリラちゃんの悟りたがりって戦闘には良い方向に転んだかもしれないけど、旦那様が好きという理由で女神になろうとしてる時点で煩悩まみれなわけで、これじゃ一生悟りは開けないんじゃないかしら…………)


 と。

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