17話 ダンジョン外での初戦闘 その1 (三人称視点)

「さて、反省も済んだところで、私の戦略を見せて差し上げましょう。例えば、こんなものはどうでしょう。


 マルガリータの呼びかけに応じて、デリラ・デイアネイラは打ち合わせ通り詠唱を始めた。


 「『心も財産も顔もないデリラは』『ハサミで引き裂かれたような顔』。これで私、ようやくあんたたちを殺せるのね。ああ、腹が立って仕方がない。『熱い。熱いの。主様。憎しみで身体が熱いの』『けれど、私は女神にならないといけないから』。『禁書指定よ。こんな感情』」


 詠唱を終えると、デリラの身体そのものである分厚いハードカバーの本から、全てのページが舞い上がり、空中で燃え尽き灰となった。


 その光景の異様さと目を惹く苛烈さに、周囲のハルクスパイダーは数瞬のあいだ魅せられていた。


 しかし、そのド派手な外見に反して何も起こらないことを確認すると肩透かしだったと、樹上から大量のハルクスパイダーがデリラに襲いかかった。


 「デリラちゃん!気をつけて!」


 マルガリータの注意を受け、デリラは彼女を一瞥する。そして、


 「大丈夫よ。マルガリータ。私はもう、ほとんどがなんだから」


 そういった。そこに、先程までの彼女の卑屈さはない。


 「『怨憎会苦おんぞうえく』。『私には既に不要なものね』『緋文字を刻んであげましょう』」

 

 デリラがそう唱えたときにはもう、周囲のハルクスパイダーは跡形もなく燃え尽きていた。


 そして、数秒後、『あぢぃぃぃぃぃ』と森中から悲鳴があがった。その痛みに喘ぐ声は木々を揺らし、数羽の野鳥が森から飛び立った。


 そんな様子をみてもデリラは、


「あら、


 と無感情に呟くのみだった。


『お、おい!やられたやつの家族の身体に、文字が浮かんでるんだ。なんて書いているかは分からないが、燃えてるんだよ』


 ハルクスパイダーのざわめく声が響き渡る。圧倒的数を自身の優位性と捉えていた彼らにとって、その森全体を覆う大規模な攻撃は理解の及ばない恐怖の対象だった。


 そのときようやく群れのボスは、デリラとマルガリータを自身を脅かす敵だと認識したのだった。


 『お前、高ランクのアイテムを持っているな』


 ハルクスパイダーのボスが叫んだ。こうした変な範囲の魔法……対象者の家族などにまで及ぶ魔法は、大抵神との契約が必要なものだ。


 そして、モンスターには神との契約ができない以上、神の力で満たされたアイテムを所持しているのだという判断は妥当であった。


 そんなボスの発言を聴き、デリラは機械的な目でマルガリータを見た。


「…………違うわよ」


 デリラは蟲語を聴き取れても、話すことはできない。その通訳してくれと願う視線を、マルガリータは感じ取ったのだった。


『なに!?ではなんだこの広範囲の攻撃魔法は』


 そのボスの言葉に、デリラは再びマルガリータを見た。


「ああ、もう!なんで指揮官の私が説明役をしなきゃいけないのよ。彼女はね、モンスターの身でありながら神と契約しているの!」


 マルガリータはそういいつつも、デリラの言う通り行動した。彼女は、人の上に立つには致命的な、仲間に頼られたら流されるという欠点があった。


『そんなことが可能なものか。モンスターが神に気に入られるだと?ありえん!」


 ……このときのハルクスパイダーの誤解は、契約とは神に気に入られることであると勘違いしていることにあった。


 エティナにおいて、魔法とは一時的に神から力を譲り受けるものであり、契約とは長期的に加護を受け取るものである。


 大抵の場合神が契約を結ぶのは、よほど敬虔で、気に入った人間が対象であることは間違いない。


 しかし、一部の神には無差別に契約を行うものもいるのだ。デリラが契約していたのは、そんな神の一柱だった。


 しかし、ハルクスパイダーのボスにとっては、直接契約していようが高性能のアイテムを持っていようが、相手が広範囲の攻撃を行う危険人物だということに違いはない。


 『おい、アレをやれ』


 ハルクスパイダーのボスがそういうと、樹上にいた何匹かの個体が驚いたように、「ウギギ……」と声を微かに漏らしたのを、デリラは確かに聞いた。


 しかしそれすらも、もはやデリラにとってそれは情報をして何の価値もないものであった。彼女は表情筋をピクリとも動かさずに、「『偉大なる天にただ誓う……』『我は惑わず……』と気ままに詠唱を始めた。次の大火力魔法の準備である。


 その詠唱から先程の大規模な魔法を思い出し、デリラの樹上にいたハルクスパイダー達は、なんでこいつ俺の下に来たんだよ!と自身の不運を嘆きながら木から落下した。


 先程ボスより下された、自爆の命令を果たすためである。この命令に逆らえば後ほど家族ごと処刑されてしまうのだとことは、群れの掟に強く刻まれている。哀れにもデリラの上にいたハルクスパイダー達は、せめて群れの役に立とうと渾身の力を込めて体中の筋肉を膨張させ、腹を破裂させた。


 ……彼らは『ラグネルの迷宮』のモンスター達と異なり、死ねばそこで終わりである。だからこれは文字通り命懸けの攻撃であり、同時に「家族を燃やす」という不可解な魔法を回避するための唯一の策であった。


 蜘蛛の腹が弾けると、元からそうした特攻が前提に身体が作られているのか、そこに詰まった消化液が、蜘蛛の糸が、狙いを定めたように一斉にデリラへと降りかかった。

 

「……作戦の邪魔、しないで」


 しかしとうとう、決死の突撃もデリラの身体に届くことはなく、全て虚空で燃え尽きた。


 この圧倒的な戦力の差を終始観察していたハルクスパイダーのボスは、このとき既に森を捨て、逃げる覚悟を決めていた。遠距離からでもあの文字を刻まれるかもしれないが、耐えていればいつか復讐の機会はあると考えていた。


 同様にマルガリータはこのとき、デリラの能力を把握しているからこそ、どうすれば一匹も残さずに殲滅するかのみを考えていた。そして、そのためにはボス蜘蛛を逃さないための警戒が欠かせなかった。


 と、そんな一瞬の膠着状態が生まれたときだった。


 破裂した蜘蛛の一欠片が、かなり上空まで飛んでいったのだろう、周囲の敵のみに注視していたデリラの頭に「ぴちゃり」と降り掛かった。


 


 先程の詠唱でページを全て燃やしスカスカだった本の形状をした身体が、一瞬にして新たに湧いて出たページで膨れ上がった。


 そしてデリラは、今までの冷静な口調が嘘のように、甲高い声を張り上げた。


「キモチワルい!キモチワルい!キモチワルい!気持ちわるいのよ!このゴミクズが!!!あああっ!せっかく主様のために毎日磨いているのに!気持ちわるい気持ちわるい!ああもうっ!なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないのよ!!!!」


 と、突然狂乱して普段のデリラ・デイアネイラのように戻ったかと思うと、何度も本の身体を振って、かかった蜘蛛の死骸を吹き飛ばそうとした。


 周辺のハルクスパイダーも困惑して、自爆したやつがいくらなんでもかわいそうじゃないか?という、戦いにシビアな蟲族モンスターらしからぬ感想を抱くほどの、狂乱具合だった。


 デリラはこの時、明確な隙を晒していたのだが、あまりの出来事にみな固まっていた。そして、次の行動を見て更に困惑することとなった。


「もうっ!ほんっっとに最悪。『禁書指定よ!こんな感情』!『禁書指定よ!こんな感情』!『禁書指定よ!こんな感情』!」


 パニックに陥った彼女はその詠唱を何度も繰り返す。その様子を見て、マルガリータはやれやれと息をついた。そして、デリラがその詠唱を唱えるたび、先程増えたページが


 そこで、困惑しているハルクスパイダー達も、ようやく敵がパニックに陥って隙だらけだということに気づいた。


 その様子を一歩離れた箇所から落ち着いて観察していたハルクスパイダーのボスはこう考えた。


 先程の、神と契約しているという話は本当かもしれないと。


 アイテムを持っているようには見えないし、もあったからだ。


 どうみてもその本は先程から、魔法を発動する度にページを飛ばしている。本のモンスターでありながらページを飛ばし、燃やすという行為は、先程我々が行った自爆特攻のようなものなのではないだろうか。


 そう思ったのだ。


 先程まで逃げようとしていたハルクスパイダーのボスも、突如訪れた勝機に、奇襲攻撃の体制を取った。


 間違いない。あいつは身体を全て犠牲にすることで、神と契約しているのだ。聞いたことがある。自身の肉体の一部を神に捧げることで、能力を得るものがいると。


 …………このときばかりは、ハルクスパイダーのボスの情報収集能力が仇となった形だろう。確かにそういった神もいるが、世界はこの森よりずっと広く、ハルクスパイダーが手に入る範囲の情報に、はなかった。


 しかし、自身の推察に自信を持ってしまったハルクスパイダーのボスは、このまま森から出てハンターからも逃げ切れる確率と、目の前のスカスカの小さな本一冊を倒せる確率。その2つを天秤にかけ、デリラを襲うことを選んだのだった。

 

 あの本は今、たかだか同胞の肉片を浴びただけで焦ってしまって、突然出てきた……予備?そう、予備だ。予備のページを燃やしてしまった。こいつを倒すには、加護を使用するためのリソースであるページを使用し尽くした今しかない!と、ハルクスパイダーはそう思ったのだった。


 『馬鹿め!戦場で混乱に陥り、リソースを消費するなぞ、元は下賤なGランクモンスターであったお前らにはふさわしい最期だ!』


 ボスは、幾度となく『ラグネルの迷宮』のモンスターを狩ってきた、奇襲攻撃を実行する。


 (そう、思い出した。この景色を!俺が奴らの動きを読んで……飛び出した俺に奴らが困惑するこの景色を!俺は何度も見てきたんだ!)


 事実、まだ『ラグネルの迷宮』がGランクモンスターばかりだった頃、ハルクスパイダーは腹の足しにもならない彼女達を遊びで蹂躙していた。その怯えた姿を、ハルクスパイダーのボスは思い出し、森の王としての自信を取り戻した。


 しかし、ハルクスパイダーが見たデリラは、先程の動揺が嘘のように、落ち着き、凪いでいた。


(あれ?記憶してる光景と、違うぞ?)


 ハルクスパイダーがそれに気づいたときには、もう回避できる距離ではなかった。

 

 『残念ね。私、何も持っていないときの方が強いのよ』


 その瞬間、ハルクスパイダーの身体は瞬間的に発火した。それは単なる炎ではなく、全身の筋肉から焼けた鉄が滲出したような。そんな怨念を感じる熱さだった。


 ハルクスパイダーのボスは、身体を炎に侵されながら、すっかり表情を変えたデリラの顔を見て思った。


 …………二重人格?


_________


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