16話 ご挨拶 (マルガリータ視点)

 「これが、森の勢力図です」


 私の描いた地図を、デリラちゃんとヘーゼルねぇが真剣な面持ちで見つめていた。


 一冊の本であるデリラちゃんと、スタイルが異様にいいゴスロリゾンビという類を見ないコンビね。


 ま、うちのダンジョンのメンバーを二人集めれば、どこでも類を見ないコンビになるだろうけれど。


 私が今回この二人を呼び寄せたのは、旦那様が直接お与えくださった「森での安全を目標とした交友関係の拡大」の任務を手伝ってもらう、その打ち合わせのためだった。


「マルガリータちゃんも几帳面っスねぇ……。十年間あんなくず共の小競り合いを見張ってたッスか?」


 ヘーゼル姉が、まるで勢力図そのものが穢れたものであるかのように、端をつまんではためかした。


「まさか。旦那様が交渉人に必要なスキルとして、背後の関係を見透かす力を挙げられましたので、その練習ですよ」


 私は最も早く旦那様に創造されたモンスターであり、ダンジョン内でも特に戦闘、知略のバランスに秀でたヘーゼル姉を認め、敬語で接している。


 ……というか、ヘーゼル姉は相手が誰であろうと……例え旦那様であっても「〇〇っス」という口調を崩さない剛の者だから、私も彼女に合わせて敬語を話さざるを得ないだけなのだけれど。


 二人とも、勢力図を見る目は真剣だけれど、その様子には嫌悪感が滲み出ていた。当然ね。旦那様を殺した奴らの家系図や交友関係なんて、見るだけで吐き気がするもの。


「こうして紙面上にまとめれば、こいつらの頭の悪さが際立ってよくわかりましたわ。まさか同種族間での争いの方が多いだなんて」


 獣共の集落間の関係性。といえば聞こえはいいけれど、彼らの争いは結局、群れのトップに立ちたいだとか、権力闘争で敗れた親の復讐をしたいだとか、そんなしみったれた理由のものばかりだった。こいつらの視野の狭さに私は勢力図を書いている間、何度も頭を抱えた。


 もう少し調査していて楽しい謎を抱えてくれと。


 そういう面では確かに、この森の連中はいいチュートリアルになってくれたのかもしれない。いかに外の連中がつまらない、取るに足らないものかを私に教えてくれたのだから。

 

「……私達も主様あるじさまに知性を授かるまではこいつらと変わらなかったんだから」


 デリラちゃん……デリラ・デイアネイラが責めるようにボソリと呟いた。


 アニメイテッドブックの彼女は、旦那様から無上の愛を受けて育った『ラグネルの迷宮』のモンスターの一員なのに、自己評価がとても低く、常にぼそぼそと愚痴をこぼしては不運だとか嘆く悲劇のヒロイン気質の女の子だった。


 ……旦那様の手によって創造された時点で、ダンジョン外のどんな女よりも幸せなのに。それを理解できないなんて、嘆かわしい。


「デリラちゃん、私もその程度分かっているわよ。旦那様のおかげでこうして文化的な生活を送れていることへの感謝と、旦那様の偉大さを忘れたことはないわ」


 正直、私は旦那様の道具の分際で「死にたい」だとか呟いて、旦那様にご心配をかけているデリラちゃんをあまり好いてはいないのだけれど……今回の計画には彼女が必要なのよね。


 彼女はその陰気な性格の代償か、本来モンスターには不可能であるとされている神との契約を『ラグネルの迷宮』においていち早く成し遂げたエリート。


 今回はその力を存分に発揮してもらいましょう。


「それはそれとして、こいつらは全員殺すのに、こんな詳しく調べる意味あったわけ?」


 デリラちゃんが吐き捨てるように言った。


 ……というより彼女は旦那様と会話する時以外いつも汚いものを侮蔑するように喋るのですが……。


 一度、コミュニケーションの大切さというものを説いて差し上げた方がいいかもしれませんね。


「こいつらを詳しく調べた理由は……そうですね。森に残しておく連中のためです」


 「…………どういうこと?」


 そろそろ、彼女達にこの作戦の概要をお話するべきでしょう。ヘーゼルさんは理解しているようですが、照らし合わせは大切と旦那様も仰っしゃられていました。


 …………その割に旦那様は、女神ナバルビの意図を完全に履き違えていましたけど。そんなところも可愛くて愛おしくって、胸のなかがチリチリと燃える感じがした。


 いけない。旦那様のことを考えるのは夜にしないと。止まらなくなっちゃうもの。


 私は咳払いをして、話を戻した。


「今回の私達の任務は、「森での安全を目標とした交友関係の拡大」です。……目標が交友関係の拡大であることを考えれば、過激なことをやりすぎれば、必要以上に恐れられる可能性があります」


 慈愛に満ちた旦那様は、本来異世界より降臨なさった時点で旦那様のものとなったこの森に、いくつかの種族は住まわせてもいいと仰っているのだ。


「別にいいじゃない。恐怖で従えてやれば」


 デリラちゃんがぼそりといった。


 彼女は、あまり考えずにものを言う癖がある……けっして頭が悪いわけではないのだけれど、彼女はと考えているのよね。


 ……謙虚は美徳だけれど、もう少し積極的に行動した方が旦那様により愛して貰えて、旦那様もよりお喜びになると思うんだけれど。


 ヘーゼル姉は訳知り顔で休んでいる。やはり彼女はよく頭が回る。しかし私は、デリラちゃんのためにも説明を続けた。


「重要なのは「森での安全」という部分ですね。今この森にいる連中から安全を確保するだけであれば、簡単です。ただ狩ればいいのですから。しかし一帯のモンスターが明らかに減ったり一斉に逃げ出せば、流石に異変を勘付いたハンター共がやってきかねません。それでは森での安全を保つという旦那様の任務を果たせなかったということになってしまいます」


 私達が行うのは、旦那様の庭園の一つであるこの森の雑草毟りではなく、美化と整備なのだから。


「あっそ。私はともかく、あの牛と、鳥と、蜘蛛。そいつらを殺させて貰えれば文句ないわ」


 デリラちゃんはよく旦那様を襲う攻撃的な種を殺したいそう。当然そいつらは私の計画上この森にな連中だから、別に構わない。


「しょうがないっスねぇ。私はべつにどれでもいいッスよ。あの森にいるやつは全員同罪っス」


 その言葉に、私は笑みが溢れました。この二人の感情は予想通りだ。


 私が今回作戦の要にこの二人を選んだ理由は、動きが読みやすいからだ。


 ……うちのダンジョンの子達は、皆旦那様を心の底から愛し、忠誠を誓っているけれど、それだけでは私の作戦に従順ということにはならない。


 予想不可能な動きをするローザローザ、エグレンティーヌ、ピルリパート、ロジーナ、リドヴィナ、アニマの脳みそがトんでしまっている連中と、サリュ、ビオンデッタ、アンジェラインの旦那様の言う事しか聞かない狂信者組のどちらかがほとんどで、私の指揮下で動いてくれる連中が少なすぎるのよね。


 ……いずれ遠くの国で作戦する際は失敗前提であの子達を操ってみたいけれど、この森での作戦は主の勅命だし、私が旦那様に指揮官として任命された初めての作戦だ。絶対に失敗は許されない。


 だから、そもそも自己評価が低すぎて他人の言う事をだいたい聞いてしまうデリラちゃんと、怠けてばかりいるようにみえて大抵のことをそつなくこなし、無駄な感情を見せないヘーゼル姉という兵に向いている二人を起用した。


 クラリモンドちゃんも兵に向いているけど……デリラちゃんとヘーゼル姉がいればこの作戦には十分なはずだ。


 「それじゃ、最初の交渉は私が行いますので……まずはご挨拶と参りましょうか」


 XXX


『お前、時折ここいらで見るやつだな。死体漁り野郎だ』


 この森の勢力図で最も大きな場所はどこか。それは、制空権を所有しているDランクのオニバードや、旦那様が魔牛と呼んでいる力が強いチェイサーブルでもない。


 この人間の十倍ほどの体躯を持つDランクモンスター、ハルクスパイダーだ。緑色の蜘蛛……のように見えて、頭部が細長く立ち上がっていて少し人型のようにも見える。蜘蛛の前腕は人の手のように指先が別れており、虫の癖して高度な知性を持っているような素振りを見せていた。


『死体漁りだ!』『死体漁りだ!』


 リーダーである大きな個体に追従するように、日陰に黒く染まった森が揺れ、隠者の囁きのような忌まわしい声が聞こえてきた。


 その旦那様の深慮を理解しない能無しどもの理解力のなさに、頭の血管が切れたような気がした。旦那様が温情をかけなければ、こいつらのようなクズは欠片も残さず死んでしまうのに。


 しかし、バカどもの声は四方八方から鳴り止まない。この森を覆う声こそが、ハルクスパイダーがこの地を支配している理由だった。


 ハルクスパイダーはチンケな蟲族のモンスターらしく、こうして矮小な子供どもで森を覆い、自分の有利なように物事を進めようとする習性がある。そのためか、蟲族の癖して様々な言語を使用できるようだ。


 成虫はこんなに図体が大きい癖して、子供のサイズはそこらの虫より小さい。彼らは器用にこれを利用しており、極小サイズの子供を森のそこいらにばらまき森中の情報を集め、巨大な成虫が狩りを行うという特殊な生態をしている。


 私は、いちいち小さな虫共を相手にしていられないと、リーダーの方のみを見て交渉を続けた。


「ええ。ダンジョンでは、死体は有効活用できますので」


 そもそもこいつらは肉があれば十分な生物だ。服やアクセサリーを身に着けることもない。だから、普段私達が漁っているモンスターの牙や毛皮は、こいつらにとって必要ないはずなのだ。


 ま、私達のように旦那様から分け合うことの尊さを学んでいないやつらの知性はこの程度なのだろう。


『それで、盗人が何のようだ』


 ハルクスパイダーは、高圧的な態度は崩さない。こんなのでも一族の長のようだから、態度を崩すことはできないようね。


 しかし、こいつは全てを間違っている。本来、この世全てのものは旦那様の糧である。それを卑しく貪っている泥棒は、こいつらの方。


「友好条約を結びに参りました。こちらが死体漁りをしている間、貴方達は私を襲わないでほしいのです」


 笑顔でお願いする。ここまで全て予定調和だといえども、表情を作るのに苦労した。今回の計画で一番のネックは、私が怒らないようにすることね。


『何を捧げる?』


 蜘蛛の顔がニタリと汚い笑みを浮かべる。本当に予想通りのことしか言わないせいで、練習にすらならない。


「何も」


 私は答えた。


 だいたい死体漁りなんてコスパの悪いことをするのに、こちらから何かを捧げる余裕あるわけないでしょう。

 

『話にならんな』


 またもや予想通りの態度。


 もう私は相手の表情を読むのも面倒になって、脊髄反射で会話をすることにしました。


 というか今気づいたのだけれど、旦那様以外の男の顔をまじまじと見たくない、旦那様のための顔も身体も他の男に見られたくないという私に、相手の表情を読む必要のある交渉人は向いてないのかもしれない。


「いえいえ、友好条約とはお互いを思ってこそなのです。あなたが困っているときに手を貸しましょう」


 ああ。こいつは喋ることができる空気……喋ることができる空気……。存在していないんだ、と思いこみながらなんとか会話を進める。


 いや、やっぱり気持ち悪いわね。


『不要だ。お前の助けなどなくともどうにでもなる』


 ハルクスパイダーが、強く断言した。いけないことだけれど、万が一にも友好条約が結ばれなくてよかったと安堵してしまう。これでここは、だ。


「そうですか。ではおさらばですね」


 私はこの蜘蛛の巣に覆われた穢れた空間に、一周たりとも居たくないと即座に踵を返した。


『待て。何も捧げず帰る気か?』『馬鹿か?』『漁り屋は道理を知らぬか』


 ここぞとばかりに、あちこちから声が沸き立った。


「申し訳ございませんが、何も持ち合わせがありませんので」


 一手。


『待て、捧げるものがあるだろう!その身を捧げよ』


 ハルクスパイダーが怒った。私なんて食べても大して腹の足しにはならないでしょうにね。


「友達になりたいとやってきたものを殺すのですか?」


 そして、次の二手。


 そのときだった。ハルクスパイダーが下卑た笑みを浮かべ、口撃を仕掛けてきた。


『何を嫌がることがある。俺は知っているぞ!ダンジョンのモンスターは姿が変わるのだろう?お前は以前まで何度も俺達に殺されたあの羽虫の一匹だ!無抵抗で殺されていた軟弱者が、図体が大きくなって見せびらかしに来たか!』


『俺も殺したことある』『あいつ泣いてやがったんだぞ』『イキがるな!イキがるな!』


 と、ここで予想外の一手がようやく来た。こいつ程度の知能でも、ダンジョンのことは知っているようね。


 憶えられていたことが、気色悪くてたまらない。私がまだGランクだった頃、旦那様が反撃するなと命令をくださり、悔しさに涙を堪えながらも、こいつらに蹂躙されてきた日々。


 ……ええ、確かに私は毎夜泣いていましたよ。自身の不甲斐なさと、殺された悔しさに。


 その日々を思い出して、私はようやく怒りではなく正真正銘の殺意というものを、凪いだ心のなかで認識していた。


『さあ、また殺してやる!殺してやるぞ!』


 ハルクスパイダーは、その爪を構え、私の方に飛びかかってきました。それを私は怯えながら逃げるフリをする。


「わ、私だって知っているんですよ!あのウォーハウンドとオニバードの抗争を仕組んだのはあなただということを!そして、私は獣語と鳥語を両方話すことができるんですよ!どういう意味だか分かりますか?」


 私はそう、獣語を使って言ってやった。


 こいつらが森を支配するためにやってきた策といえば、ウォーハウンドの痕跡を工作してオニバードを殺し、オニバードの痕跡を工作してウォーハウンドを殺す。そして両者にそのことを話し、抗争を招いて弱らせる。などその程度。


 けれど、種族間で言語が異なるその二種は、お互いを理解できず、いくつもの言語を操れるハルクスパイダーの通訳を信じることしかできず、喧嘩をやめられない。


 というわけだ。しかしそんな惰弱な策など、旦那様がほんの少し思い立ち、私に言語スキルを与えるだけで、破られてしまう。ハルクスパイダー以外に、いくつもの言語を操る存在が出てきたら終わる策なのだから。


 ……といっても、今回はわざわざそんな回りくどいことをするつもりはない。今種類名が出た三種類は、全てこの森に不要な種だからだ。わざわざこんなことを言ったのは、彼らを本気にさせるため。


『な、何故それを。殺せ!』


 あら、凄い馬鹿っぽいセリフがでましたね。


「私を殺しても無駄ですよ。復活しますから。ダンジョンのことご存知なんでしょう?」


 そしてようやく、王手。


『と、捕えろ!』


 ほらきた。


 私はハルクスパイダーの吐いた糸を側転で躱す。この程度の攻撃、十年でとうに対処済みである。


「ああ。悲しいですね。長い付き合いだったのに、ここで絶滅してしまうなんて。ああ、悲しい」


『……何を言っている』


 ハルクスパイダーが初めて、変わったものを見るような目で私を見た。


 ……本来であれば、旦那様に森での安全を任された時点で、こいつらを殺すことは必定だった。そもそも情報戦を得意とするこいつらがいる限り、この森を支配することはできない。


 旦那様からの任務であれば、こいつらを殺したとしても旦那様の禁を破ることにはならないと、判断することはできる。


 けれど、私は旦那様の真の理解者になりたかった。ただ命令をこなすだけでなく、その意を汲み取り、自主性を持って尽くせるように。たとえ私という燕には、旦那様という大空を統べる鴻鵠の気持ちは分からずとも。


 それを求めてやまなかった。


 きっと、ハルクスパイダーの殲滅を、旦那様はお望みになっていない。だからこそ、私は彼らに示した。友好の道を。


 しかし、それを彼らは拒んだ。拒んだのだ。そして、哀れにも私達の捕縛を試みるという、戦闘可能条件を満たしてしまった。


「…………やはり、私の交渉術……いえ、精神はまだまだ未熟なようね」


 少し、反省。


 私が気を抜いていると思ったのか、ハルクスパイダーが激昂する。


『逃げられると思っているのか!』


 気づけば、蜘蛛の糸のネットワークを使って、森中の蜘蛛がここに集まっているようだ。


「さて、反省も済んだところで、私の戦略を見せて差し上げましょう。例えば、こんなものはどうでしょう。


 そのとき、背後から突風が吹き、何枚もの本のページが森に舞い上がった。

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