14話 初めての会話
「はぁ。ようやく喋れるようになったわ。この際だから言ってやろうかしら!ずっと面倒な指令ばかり出しやがって!こんなダンジョン、昔っから出て行きたくてたまらなかったのよ!」
アニマが肩を震わせて怒りながら、鞄を投げつけてきた。
「ガキにするみてーに接してきやがって、今まで媚売ってやらねーとアイテムくれねーから、近づいてやってただけなんだよ。だいたい、私が喋れなかったのって全部お前がスキルくれなかったせいじゃねーか!」
いつも俺にひっついてくれていたローザローザが俺を突き飛ばし、吐き捨てるように言った。
「うわぁ!」
俺は寝汗をびっしょりとかいて、ベッドから飛び起きたのだった。
XXX
「それで?モンスター達とは会話してみたいけど?嫌われてるかもしれないから怖い?ということですか」
書庫のような造りになったその部屋は、『ラグネルの迷宮』に新設されたジャクリーンさんの私室だった。
彼女がうちのモンスター達の私室が羨ましいといったのでサプライズで作ってあげたものなのだが、披露すると無駄遣いするなとなじられてしまった。
しかし、一通り必要なものをと設置していた家具のうち、特にベッドがお気に入りなようで、夜はだいたいこちらで寝泊まりしてくれているのだった。
一週間もすれば本棚を沢山設置していたし、ビールラベルコレクションを額に入れて壁に並べて始めていた。一週間で既に俺の部屋より充実してるんだし、プレゼントは喜んで貰えたと考えて良いのだろうと思っている。
そして俺はそんなジャクリーンさんの私室に、悪夢を見てしまい眠れない子供のように朝早くからノックしたというわけなのだった。
しかし、彼女は俺の相談に、フンと鼻を鳴らして冷笑で答えた。
「私は今、ウィトさんのダンジョンのために、言語スキルの扱われ方を調べているんですが……そんな私があなたのその悩みのため何かするべきことありますかね?女の子が喜ぶプレゼントでも教えてあげればいいんですか?」
そういって彼女はバタン、と分厚いハードカバーの本を閉じた。
「す、すみませんでした!」
俺は慌てて頭を下げる。ここ数日、元から傾いていたジャクリーンさんとの間のパワーバランスが、さらに傾き始めていた。その変化はある種、彼女の面倒見のよさが招いたものであり……うちの迷宮のモンスター達の可愛さが招いたものであった。
彼女はなんと、あの絵の授業以降、臨時講師としてうちのダンジョンに来てくれるようになったのだ。そこで彼女は「この世界の
これは以前から授業に取り入れたいと思っていた内容である。俺は前の世界の戦いのことなら講義することも可能ではあるが、それとは別にこの世界のセオリーを知ることは絶対に必要だ。
もちろん相手の戦法を封じるうえでも有効だが、ジャクリーンさんいわく規格外だというこのダンジョンを、普通のダンジョンだと偽装するうえでも役に立つからだ。
……しかし、基本戦略といっても彼女は生まれつきモンスターなわけで、モンスター以外の戦略を講義するにはどうしても追加の勉強が必要となった。その結果彼女は、こんな朝早くから毎日調査に励んでくれているというわけだ。
そして俺は、懸命に俺達のために働いてくれている彼女に、現在頭が下がりっぱなしなのだった。
もちろん、俺達の強さが彼女の悲願に繋がるということは理解しているが、今のこの良い関係がそれだけで成り立っているものではないことくらい、理解しているつもりだ。
「……はぁ。心配しないでください。どうせ、そんなことにはなりませんよ。アニマさんなんかも、絵であなたへの感情を表現なさっていたじゃないですか」
しかし、優しいジャクリーンさんはそんな迷惑かけっぱなしの俺の面倒を、いつも見てくれているのだった。お姉ちゃん!とかママ!とか冗談でいうと、私の年齢を
それにしてもよかった。少なくともジャクリーンさんのところに陰口のようなものは届いてなさそうだ。
……彼女は絵の授業を受けてから特段アニマと仲がいい。確かにアニマは絵を通して意思疎通が可能であるし、コミュニケーションも取りやすかったのだろう。
「でも、俺の知識不足のせいで彼女達十年も喋れなかったんですよ?乳幼児も喋れるようになると夜泣きが止まるっていうじゃないですか。喋れないってすごいストレスだと思うんですよね」
しかしそれでも安心できない。
そう。たかがスキル一つで喋れるようになるはずの彼女達に、会話の出来ない状態を強いていたのは俺なのだ。十年という期間は、取り返すにはあまりにも長い。
そんな罪悪感に苛まれる俺を見て、ジャクリーンさんはやれやれというように、手にしたペンをぐりぐりと自分の側頭部に当てた。
「あのですね……。本来モンスターに言語系のスキルを習得させる必要はないんです。これで怒り出したら、むしろ教育失敗ですよ。殴ってください」
……彼女いわく、モンスターと会話したいと考えるマスターはそう多くないようだ。
人型のモンスターになら会話して癒しを求めることはあれど、動物型のモンスターは命令を聞けば十分と考えているマスターが一般的らしい。
しかし、「殴ってください」ときたか……。投げやりになったジャクリーンさんは物騒だったが、俺に「当日になんとかすればいいだろ」という勇気を与えてくれたのだった。
そして、翌日。13匹のモンスターが一同に介し、言語スキルの習得を待っていた。
その視線は俺に集まっている。普段なら当たり前のその状況に、俺は何故か責められているような気になってしまう。しかしここで、「いやー、ダンジョンマスターって普通、言語スキルとかモンスターにつけないらしいからなぁ!気づかなかったなぁ!」と予防線を張るわけにもいかない。
…………よし!腹を括ろう。嫌われてたら、許してもらえるまで謝るのみだ。
まず、誰が言語を習得するか決めないとな。こういう誰が先かみたいな話は序列を作らないためにも、俺が気分で適当に決めていた。
一番最初にクリエイトしたモンスターはヘーゼルだが、どのモンスターにもそういう順序の話は二人きりのときにしかしないよう取り決めてある。というか一度大きな揉め事が起きたことがあって、その際に厳重注意処分が行われたのだ。
俺は言語スキルを最初に習得するメンバーを決めるため、一人ひとりモンスター達の顔を見ていく。……。うん、決まったぞ。
「最初はアンジェにしようか。言語が得意だし」
俺がそういうと美しい白い甲冑が静かに手を挙げ、前列に移動した。
アンジェ。俺は天使族のモンスター、アンジェライン・スピネットのことをそう呼んでいた。彼女はDランクのユニークモンスター、ラドゥエリエルである。
ちなみに、ラドゥエリエルとは前世地球で崇められていた天使の名であるが、彼女は俺の語った天使を模倣しただけであり、実際のラドゥエリエルではない。
ユニークモンスターにはそういうこともありえるらしく、俺のモンスター達に地球デザインのモンスターが多いのは、俺が語ったものを模したからであるからだそうだ。
こちらの世界には前世の有名なフェンリルやらゴブリンはおらず、全く違う有名なモンスター達がいるらしい。
……話を戻そう。アンジェについて特筆すべきは、やはりまず外見の美しさだろう。立派な翼を持ち、金の装飾が施された白磁の鎧に身を包んでいる……いや、身を包んではいないな。彼女の鎧の中には
要約すると翼を持った鎧、それがアンジェの姿であった。しかし、鎧はそれそのものが女性の曲線美を表す形状をしていて、刺々しい部分もないため、アンジェの優雅な性格がその外見によく表れていると言えた。
俺がアンジェを選んだ理由は、彼女は少し、
……話は過去に遡る。十年前、DPによって得られる言語スキルでは文字までは習得できないと知った俺は、彼女達と筆談するという望みは叶わないことを知り、落ち込んでいた。新たに教えようにも、俺もエティナ語の文字を知らないので、教えようがなかったのだ。
しかし、文字というものの存在を知ったアンジェは、俺から個人レッスンとして日本語とエティナ語の対応する単語、読み書きを習得することで、片言で日本語による筆談を可能にした凄い努力家なのである。
……今後は会話できる以上、彼女の日本語能力は必要なくなるかもしれないが、彼女のその経験は何かに活かされるだろうと俺は固く信じている。
「アンジェさんが使用する言語……でしたら、天界語ですかね」
それぞれのモンスターの種類にあった言語のスキルをジャクリーンさんが教えてくれる。俺はそれに従い、全員に天界語のスキルをつける。天界語を話せるのはアンジェだけでも、皆に会話してもらうには、リスニング用に天界語のスキルが必要になるからだ。
……凄い出費だから、頑張らないとな。
アンジェは俺の前で跪くと、スキルの発動を待っている。
「アンジェはずっと詩や劇が得意だったからな。本人の朗唱を楽しみにしてたんだぞ」
彼女は日本語習得の際、特に地球の詩や演劇を使った学習を好んでいた。そして、その美しさを頭の中で何度も反芻し、片言の日本語で書かれた詩をよく見せてくれたのだった。
そのロマン主義的な詩は、技巧では劣ろうと決してワーズワースやジョン・キーツに引けを取らない出来だったと言われている。主に俺に。
そして俺は、そんな彼女であれば初めての会話を成し遂げるモンスターに適任だろうと考えたのだった。
……あと本音をいえば、片言の日本語ですでにコミュニケーションを取っているので、そんなに嫌われていないことがわかっているという打算もある。
「それじゃあ、発動するぞ。ダンジョン全員に天界語習得っと……」
入力を終えると、コアが光を放った後、頭の中に知識の波紋のようなものが広がる感覚があった。すると次第に天界語の知識が身についたことが実感として訪れる。
同様のことがアンジェの身にも起こったのだろう。彼女は虚空を見つめ、知識の波のなかそれをしっかり整理をしようと、理性の手綱を握りしめていた。
俺はそんな彼女の様子を見て、第一声を聞き逃すまいと、生唾を飲み込んでいた。
そして、そのときは来た。彼女は大仰な素振りで手を広げると、言葉を放った。
「神ぃ……。神ぃ……」
アンジェが小さく呟いた。天界語の特質なのか、吹奏楽器のような音が混じっているように感じた。
俺はその声に、第一声来た!と喜ぼうとするも、声が小さくて上手く聴き取れず、駆け寄る足に急ブレーキをかけることになった。耳を凝らして、彼女の再度の発言を待つ。
しかし、アンジェラインは跪いたままずっと、「神ぃ……神ぃ……」と呟いている。
「あれ、失敗でしたかね?」
俺とジャクリーンさんは顔を見合わせた。お互い、言語というよりは鳴き声のようだと思ったのだろう。ずっと同じ単語を繰り返しているアンジェを見ると、何か冒涜的な人体実験を行っている気分になってきた。もちろんそんなことはないんだけど。
俺はアンジェに声をかけようとした。しかしそのとき改めて鎧の開閉具合から表情を読み取ってみると、どうにも声を出すのに失敗しているというわけではなさそうであった。
話せなくてもどかしいという表情よりも、何か、幸せを噛み締めきったような表情をしているのだ。
「ジャクリーンさん、ちょっと待ってください。何か気持ちの問題のようです」
俺がジャクリーンさんを静止すると、アンジェは、自分の身を抱きしめるようにして、身体を何度も捩った。「神ぃ……」と、呟きながら。そして何が起こったのか、突然表情やポーズを真面目なものに戻し、スッと立ち上がった。
「ハア。失礼いたしました。創造主様……ウィト様の僕、アンジェライン・スピネットは恩寵の賜りによって恙無く言語を話せております」
そしてアンジェはこれまた突然に、鈴の音のなかに柔らかい音も含んだような、綺麗な声でなんの淀みもなく話し始めたのだった。うわぁ!急に冷静になるな!と言いたくなる切り替えの速さである。
「……あの、さっきは上手く話せていなかったようですが」
ジャクリーンさんが尋ねると、アンジェは鎧の頬をポッと赤らめて言った。
「私、以前から
「はぁ!?」
ジャクリーンさんが車椅子から器用にずっこけた。異世界にもあるんだ、ずっこけ。
「嗚呼、いくら詩の道に生き、山川草木を褒め讃える術を持とうとも、御身の素晴らしさを表現する術を愚昧な私は未だ見出だせてはいないのです……。神ぃ……嗚呼……ウィト様……神ぃ…………ぁぁ……。」
そういってアンジェは顔の前で祈りのポーズを取ると、紅潮して何度も吐息たっぷりに「神ぃ……」と呟いた。このままでは溶けて不定形族モンスターになってしまいそうだ。
「……アンジェラインさんは、別に言語を話せてもあまり意味がなかったようですね」
ジャクリーンさんが冷たい目をして肩を落とした。
「いやいや、今アンジェは上司の前で緊張している状況ってことでしょう?もうちょっとゆっくりさせてあげましょうよ」
俺はアンジェに駆け寄った。こんな周囲を囲まれて発言するなんて誰だって緊張するものだ。
「あぁ。創造主様。御心遣いをくださりありがとうございます。ですが御友人ジャクリーン様のおっしゃる通り、私は創造主様の道具であり、日々、主に拝謁させていただくだけで身に余る光栄なのです。ここにいる者はみな、言葉を交わす術を持たずともあなたに命じていただけるだけで喜び勇んで身を捧げるものばかりです」
アンジェラインはそんな過激な発言をすると、騎士のようなポーズをとった。俺のした話を騎士物語を憶えていてくれたのだろう。すると、アンジェの発言に追従するように皆が頷く。よかった。彼女達が俺を恨んでいたということはなさそうだ、と胸を撫で下ろす。
しかし今の発言は聞き捨てならないな。俺はその場にしゃがみこんで、アンジェの肩に手を置いた。
「アンジェ。俺も朝、目を覚ましたときにみんなと顔を合わせるだけで嬉しいし、俺が話していることをみんなが聞いてくれるだけで心休まるよ。でも、それは皆が従順な道具だからじゃない。毎日違った顔を見せて、成長してくれるからなんだ。だから、DPを皆に費やすのは俺のためでもある」
俺が「わかってくれるか?」と尋ねると、アンジェが震えて崩れ落ち、俺に縋り付いた。突然の変化に驚いた俺を見上げ、感激したように身体を震わせた。俺の肌を掴む手に一層力を込もる。
そしてアンジェは…………小さく、ウィト様ぁ、神ぃ……と呟き、倒れ伏したのだった。
……以降の言語スキル取得式は皆アンジェの乱れっぷりを見て落ち着いたのか、大きな事件もなく無事に終わった。
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