8/3 ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』


 パン屋で働く知的障がいの青年チャーリイは、自ら志願して、「頭のよくなる」手術を受ける。先に手術を受けた白ネズミのアルジャーノンと共に、テストを繰り返す内に、その知能は着実に上がっていく。とうとう、世界中の誰よりも天才になったチャーリイだったが、その先には、過酷な運命が待ち構えていた。

 一九五九年に発表された中編は、ヒューゴー賞を受賞。後に一九六六年の長編版も、ネビュラ賞を受賞。一九六八年には『まごころを君に』というタイトルで映画化された。日本でも、二回ドラマ化された。


 色んな人が絶賛している本作、私は読むタイミングを逃し続けていたのだが、今回思い切って手に取ってみた。手術を受けるチャーリイ自身の手記だけで構成されているのにも驚いたが、手術前からそのラストまで、チャーリイが何を見て、どう感じ、どんな行動をとったのかが、率直に伝わってきて、巧みな表現方法だと思った。

 よく言われるのが、日本語の翻訳方法で、原作者も絶賛したくらいらしい、というのは聞いたことがあった。確かに、手術前のチャーリイの手記は、ひらがなが殆どで、漢字があっても間違っていたり、句読点が変なところについていたりしている。それが、手術の後、知能指数が上がっていくと、文章の体裁が整えられてきて、一人称も変化していき、ある箇所で大きく変わったのだと分かるのが、一番ゾッとした。


 本作でのテーマは、人間にとって知能とは? ということであろう。知的障害があった頃のチャーリイは、皆に愛されていると同時に、酷いからかいを受けている。知能指数が上がっていくと、周囲と対等なやり取りができるが、彼らも越えてしまった結果、チャーリイは誰とも心を通わすことが出来ず、孤独になってしまう。チャーリイの選択は、正しかったのかどうか、読み終わっても判断が付かない。

 しかし、知能指数に関係なく、その人たちには心があるのだということは変わらない。チャーリイは天才になっても、幼少期の母からの仕打ちによって女性恐怖症になってしまっていて、手術後も実験の被験者のような仕打ちに苦しめられる。知能指数が違えば、相手と理解し合うことは難しくなるのだが、しかし、やられたことは彼らの心に刻まれているのだと認識させられた。


 手術後のチャーリイは、本当に波乱万丈な人生を送る。心から愛する人と出会うことが出来たり、子供の頃に離別した家族と再会したり、霊的な体験もある。ただ、それらはチャーリイを慰めることもあれば、この上なく苦しめる結果になることもある。他人の人生にそのようなジャッジを下すこと自体、いけないことだと思うのだが、チャーリイの半生は奇跡だったのだろうか、悲劇だったのだろうかとか考えてしまった。

 そんなチャーリイが、本当に心を通わせたのは、同じ手術を彼よりも先に受けた白ネズミのアルジャーノンだった。チャーリイは、アルジャーノンを通じて自分の未来を知ってしまうのだが、それゆえに、アルジャーノンだけが自分の理解者のように感じ取っている。知能とか関係なく、そんなアルジャーノンの交流が、彼の心に深く刻まれているのだと感動してしまう、ラストであった。


















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