7/8 ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』


 アメリカのノース・カロライナ州にある湿地帯。そこに建つ古い小屋で育ったカイアは、学校に行かず、家族からも捨てられ、自給自足の一人暮らしをしていた。そんな彼女を心配した近所の年上の少年・テイトが、文字の読み書きを教えてくれたが、彼も大学進学のため、この地から去ってしまう。時が流れたある冬の日の湿地帯にて、村の裕福な青年・チェイスの死体が見つかる。その不可解な死に対して、村人たちは過去にチェイスと関係のあったカイアに疑いの目を向ける。一九五〇年代から一九七〇年代までのアメリカを舞台にしたサスペンス。

 アフリカやアメリカなど、各地に滞在し、自然について研究してきた動物学者のディーリア・オーエンズさんによる、小説デビュー作。アメリカでは二〇一八年に発表されてベストセラーとなり、日本では二〇二〇年に翻訳版が発行、本屋大賞の翻訳小説部門を受賞する。また、二〇二〇年に映画化もされた。


 アメリカのノースカロライナ州の湿地帯、それも七十年以上昔の、と聞くと、ピンと来ない人の方が多いだろう。私も全くどんな場所だか知らなかったが、生態系を作り出す動植物の乱れのない調和、そして、海と大地が見せる雄大な美しさに、一目で魅了された。

 しかし、湿地帯そのものは、近くに住む村の人から軽んじられている。ここを潰して、畑にした方が得だと言う意見もある。これは、この地で一人暮らすことになったカイアの境遇とも重なる。


 湿地帯のすぐ近くには、小さいが歴史ある村があるのだが、そこに住む人たちは全員、カイアのことを知っている。ただ、それはあの湿地に一人で暮らしている「湿地の少女」としてであり、誰もカイヤの本質を見ようとしない。文字も分からないや、原始人など、ここに書くのも憚れるような酷いことを言い合っている。

 確かに、カイアは過去の苦い経験から、一日しか学校には通っていない。しかし、自分ひとりで生きていけるように、積極的に自給自足の方法を模索する。テイトに読み書きを教えてもらってからは、自然や科学の本を読み、詩も味わうようになる。特に、科学となれば、現役高校生のチェイスも知らないような、最先端の常識を知っている。


 人種、ジェンダー、貧困など、作中ではカイアに限らず、様々な偏見や差別が描かれる。これらは、五十年ほど前のアメリカだからと言いたいのだが、今現在も、様々な場所で流れている偏見と差別の根底は共通しているような気がする。そして、このような差別を行うのが、人間だと感じられる。

 自然は、思い込みやイメージなどを持たず、カイアに対してもありのままで接してくれる。餌をくれたら鳥たちはなついてくれるし、砂浜の貝殻で海の潮流が分かり、顕微鏡を覗けば川の水の特性を教えてくれる。カイアはそれらを言葉や絵で描きながら、自然を学んでいく。


 表題作のザリガニの鳴くところとは、自然がありのままの姿でいられる理想郷のことだ。湿地に抱かれて成長したカイアは、そんな自然のありのままの姿から、母親が自分のことを捨てた理由や、父親が暴力的になる理由、そして、自分の性の目覚めをも読み取っていく。

 そんな風に、人間と自然の対比を所々から思うのだが、人間は、理性があり、客観的に事実を明らかにしようとすることが出来る。対して自然は、共食いなど、人間にとっては恐ろしい面を持っている。人間と自然、本当の意味でカイアを救えたのは、どちらだったのだろうか――そんなことを思ってしまうラストであった。

















 

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