6/24 ※ネタばれあり 吉田修一『横道世之介』


 バブル景気で沸く時代に、長崎から大学進学のために上京してきた青年・横道世之介。平々凡々な若者である世之介の、初めて過ごす東京での一年を通して描かれる、出会いと別れ、恋と友情、そして生と死の物語。

 二〇〇八年から二〇〇九年に毎日新聞で連載されていた小説の単行本化。作者は、自身も長崎出身者の芥川賞作家・吉田修一さん。二〇一三年に『南極料理人』の沖田修一監督によって映画化もされた。


 小説の構成は、一章ごとに「四月 桜」「五月 ゴールデンウィーク」というタイトルがついており、その月ごとのイベントが絡んだ世之介の等身大の生活が描かれる。明日には忘れてしまいそうな小さな出来事や、世之介の失敗談もコミカルに描かれていて、四月の章から声を出して笑ってしまった。

 しかし、途中から、当時の世之介と出会った人々の現在の姿が一人称目線で差し込まれてくる。当たり前だが、世之介が過ごした濃ゆい一年の後でも、彼らの人生が続いており、その道中は山あり谷ありなんだなとしみじみ感じる。


 その現在のシーンで、ある人物は世之介と出会ったことを「なぜか自分がとても得をしたような気持ちになってくる」という青春の日々を振り返る。その前段階で、会ったか会わなかったかで、自分の人生は何も変わらないと言っているのに関わらず。

 この一言が、世之介という存在を言い表していると思える。夢も野心もなく、周りに流されやすいけれど、決して東京に染まらず、素朴で、当たり前のように困っている人に手を差し伸べて、打算とか考えずに大切な人を大切にする。そんな、彼の当り前が、ほっと心を温かくする。


 時に笑いながら、時に胸をときめかせながら読み進めていき、物語も折り返し地点を過ぎたころ、現在のシーンで衝撃のニュースが入ってくる。それは、四十歳になっていた世之介の死である。

 ……これは読んでいる身にも中々に応えた。好きなキャラクターの死亡シーンは、他のフィクションでも経験していたのだが、世之介のそれとは少し違う気がする。ずっと彼の日々に寄り添ってきたので、まるで、大切な友人を亡くしてしまったかのような喪失感だった。


 それでも物語が進んでいく。世之介の青春時代が、これまでとは違う色合いを帯びてきたのだが、笑ってしまうシーンは健在だった。個人的に、怒った時は丁寧語になってしまう世之介の癖に声が出た。

 そして、ラストシーンまで読んでから、ある場面を読み返した時、泣いてしまった。その時私がいた場所が、とあるショッピングモールであったにも拘らず、涙が止まらなくなったのだった。


 改めて思う。悲しくてつらい気持ちにもなったけれど、世之介と出会えて、彼を友達のように感じられて、とても良かった。そして、誰かにとって、私も世之介のような存在になれたらと、そう思わずにいられない読書体験となった。




































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