4/29 森絵都『この女』
1994年の大阪、釜ケ崎。日雇い労働者の青年・甲坂礼司に、昨年知り合った神戸の大学生・大輔から妙な仕事の話が舞い込む。それは、新進気鋭のホテル経営者の二谷啓太が、自分の妻・結子の半生を小説にしてほしいというものだった。だが、取材してみると結子は、嘘の過去ばかり話す、癖の強い女性で、礼司はその気まぐれさに振り回されてしまう。
平成という時代を大きく変えた二つの出来事の、まさにその前夜を描いた長編小説。そして、意図せず関わり合った礼司と結子の二人の人生から、大阪の釜ケ崎という街、貧困者の姿が、まざまざと浮かび上がってくる。
この小説の特徴は、作中作であること。例えるなら、『こころ』の三章目がまるまる先生の書いた遺書だった、みたいな感じだ。
その作中作が始まる前に一枚手紙が挟まっていて、それによると、ある事情でこの作中作は手紙の送り主の元で十五年眠っていて、今、発見されたので、受取人に読んでほしいというものだ。そして、その手紙に同封されていた作中作こそが、礼司が書き上げた結子に関する小説である。
というスタートなので、この作品はとてもユニーク。現在から過去のことが書かれているけれど、未来のことが示唆的に現れていたり、この先こうなるのだからと逆算したりを、読者側が出来る。
また、礼司が書いたという設定も、非常に効いている。描かれる言葉は礼司の身体感覚と経験からはみ出ていなくて、本当の作者の事を忘れるという不思議な感覚があった。
さて、物語最大の謎は、結子の過去であり、礼司もそれを彼女から聞き出そうと躍起になっている。なのだが、そんな礼司から出てきた言葉に対して、「ん?」と思える部分が出てくるので、段々と彼の事も気になってくる。
確かに、二十四歳で釜ケ崎にいるのは、何か事情があるに違いない、というのは、冒頭から感じさせる。大輔の方は、大学の課題のために釜ケ崎に来ていたので、余計に気になる。
そんな、複雑な事情を抱えている礼司と、一見わがままで自由な女性に見える結子の寂しさが呼応した時、物語は大きく動き出す。しかしそれは、ハッピーエンドではなく、とある崩壊へのカウントダウンでもあった。
本作の特色のもう一点はそこにある。これは結子と礼司の物語だが、それと同時に、釜ケ崎の、大阪の、ひいては日本の政治とも向き合う話でもある。
森絵都さんの長編には、『みかづき』でも思ったが、そういう傾向があるように感じた。実際の時代の流れの中に、架空の人物を入れて、過去から現在までを貫かせる物語。そうやって、血の通った人物達の目線で、釜ケ崎の住所不定の貧困層というイメージしか持てなかった人々が、存在感を持って立ち上がってくる。
礼司は、自分の知る釜ケ崎のおっちゃん達の最期を思い返し、普通の人と同じつまづきでも、それが致命的になるというように考えている。それは、私たちは彼らと違うと築いていた壁を、あっさり崩してしまうほどの実感だ。
そんな風に他人事ではないおっちゃん達だが、作中ではいないものとして捉える人々も存在する。それは現在でも変わっておらず、ちゃんと目を向けなければと、褌を締め直すような気持ちになった。
だけど、礼司も含めて、彼らは決して可哀想でない。誇りも悲しみも幸福も、どんな人にだって持ち合わせている。
そして、どんな環境であろうと、笑いながら立ち上がる強さがある。その芯の確かさこそ、生き延びるためには必要なのでと教えてもらえた一作だった。
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