第10話

 アルはパチリと目を開けた。部屋には明るい日差しが差し込んでいて、昼を大分過ぎた頃だと分かった。


 ここがどこなのか、何故ここに居るのか分からずに混乱していたが、何か大切なものを見つけた幸福な気持ちで満たされていた。でも見回してもその何物かは見当たらない。


”また失くしてしまった?・・・”


 その考えが頭をよぎると、幸せな気持ちはあっという間に消え失せて、足の速い黒雲に空が覆われるように、焦燥と悲しみが心を占めた。


 ふらつく足を励ましてベッドから起き上がり樫板の扉を開いた時、いつのまにか涙がポロポロと頬を流れ落ちていた。


 すると驚いた顔をした彼女がいた。この二年半で、もはや少女ではなく美しい女性になっていたけれど、間違いなく彼女だ。


「エリス・・・やっと見つけた。」


 思わず彼女を抱きしめた。彼女も、アルの背に腕を回して抱き返してくれた。



***



 アルは起き上がることを許してもらえず、だから横になったまま、ここまでの旅をエリスに話して聞かせた。


 あの後、屋敷を出て旅に出た。傀儡を仕舞った木箱には、その動かし方を記した説明書を認めて入れて置いた。次に来る赤い瞳を持つ少女のために。


「友達になってあげてね。その子が独りぼっちにならない様に。」


 そう声をかけると、傀儡だった石くれが微笑んだように見えた。




 そしてアルは、指輪に導かれて長い旅に出た。


 ある時は広い砂漠を抜けた。そこを渡る小山ほどの巨大な陸亀の群れがいて、草木が茂るその背中に乗せてもらって砂漠を横断した。


 ある時は地の底を通る太古の大回廊を渡った。灯をかざしても天井が見えないほど高い巨大な円柱たちの間を、闇に潜む魔物の気配に慄きながら駆け抜けた。


 ある時は水晶の山脈を越えた。その途中で夜が明けて、差し込んだ朝日が透き通った水晶の山体を煌めかせた。その景色のあまりの神々しさに、涙を流しながら山を渡った。


 エリスはその話を、目を輝かせ、時には顔を歪め、はたまた目に涙をためながら聴いてくれた。


 この旅では魔道具の知識が大いに役立った。凍える夜も何とか乗り切れたし、水場の無い場所でも喉を潤すことが出来た。


 そしてその技術を見込まれて、旅は大抵一人ではなかった。旅仲間は商人のキャラバンや冒険者だったり、ある国では鎧に仕込まれた護りの魔法陣を直してあげたら、王国騎士達がお礼に国境まで同行してくれた。


 皆、別れの時には探し人との再会を、心から祈りながら送り出してくれた。


 そうして、二つの大陸と二つの海を渡り、数えきれない山と谷と森を抜けた。ただエリスだけを探して。


 そして見つけた。


 彼女は今、手を伸ばせば触れられるところにいる。話を聞く彼女の表情を見ながら、ようやくそれを実感できた。



 ***



 エリスに介抱され、ようやくベッドから起き上がれる様になったアルは、ずっと背負って来た背嚢から、油紙に何重にも包まれた羊皮紙の巻物を取り出した。


「これ、あのお屋敷でエリスが描いていた魔法陣なんだ。卒業課題、覚えてる?」


 するとエリスは、驚いた顔をしながら頷いた。


「未完成だったから、ちょっと手を加えて動くようにしたんだ。見せてあげる。」


 そう言って羊皮紙を開いたら、長い旅で雨水が染み込んでいた様で、滲んで魔法陣がすっかり消えていた。


「ごめん、ちょっと待ってて。内容は覚えてるから直ぐに書き直すよ。」


 新しい羊皮紙を探そうとしたらエリスに止められた。


「大丈夫。同じ景色が見られる場所を見つけたの。サクラの生まれ故郷はこの土地なのよ。」


 そしてエリスに手を引かれ、邑を出たすぐの丘に連れて行かれた。その頂には一本の古木があって、その枝にあの淡い紅の花がいっぱいに咲いていた。


「ここで風が吹くのを待ちましょう。」

 

 そう言って古木の元にエリスが座り、アルはその隣にぴったりとくっついて座った。視線を感じて隣を見たら、彼女がじっとアルの顔を見つめていたから、その宝石の様な瞳を見つめ返してあげた。


「あのね、あのお屋敷の最後の頃にね、貴方は私を救おうと一生懸命になってくれたよね。とても嬉しかった。すごくすごく嬉しかった、でもね・・・」


 そしてエリスは、アルの頬にそっと触れた。


「本当はね、貴方にこんな風に優しく見つめてほしかったの。」


 そう言うと、ふふっ、と小さく笑った。アルは頷いて、まるで宝物に触れるように、そんな彼女を優しく丁寧に抱き寄せた。

 

 その時、風がそよっと吹いた。


 すると古木の花びらたちは、待ち侘びていたように一斉に枝から離れて宙を舞った。エリスの髪に頬を寄せていたアルは、その光景を見て息をのんだ。それは、エリスが魔像の中で見ようとした景色そのものだった。


 でも違うところもあった。辺りは明るい陽光で包まれていたし、空は抜けるように青く、そして大地には生まれたばかりの瑞々しい緑が広がっていた。


 春に色付けされたその景色の中を、チラチラと舞い降る薄紅(うすくれない)の花びらたちは、あの魔像の中のそれらよりもずっと、ずっとずっと、楽しげで嬉しそうに見えた。

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墓守屋敷の魔女~魔道具師は彼女を救うことに決めた~ @ebimayo0101

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