第7話

 それでも、アルは諦めなかった。


 だから逃げる代わりに、ここで精霊を迎え撃ち、彼女を守る事にした。


 それから、自室に籠り寝る間も惜しんで術式の構築に没頭した。


 やっぱりエリスは何も言わず、最初は遠慮がちに傀儡(ゴーレム)と一緒に食事やお茶を運んでくれたが、そのうち彼女らもアルの部屋で共に過ごするようになった。


 傀儡は部屋の掃除をして、エリスはベッドの脇のサイドテーブルで、羊皮紙に何かを一生懸命描いていた。


 何を描いているのか聞いてみたら


「アルに魔道具の授業をしてもらったでしょ?だからこれはその卒業課題。これが上手く出来たら、アル先生から卒業証書をもらえるかな?」


 そう言って笑った。


 まだ卒業じゃない。年が明けても授業は続ける。それを口にする代わりに、アルは素っ気なく頷いた。



***

 

 

 そして、運命の日を迎えた。


 アルは複雑な術式を何重にも重ね、物理攻撃にも魔法攻撃にも堅牢な結界の術式を編み終えていた。


 床に座らせたエリスの前に、その魔法陣を描いた羊皮紙を広げ、魔力を通すと彼女を包む結界が出現した。アルもその中に入って、エリスを後ろから抱きしめる。


 窓から見える西の空が真っ赤に焼けて、やがてそれが鎮火するように夜の闇に溶けて行き、そしてその闇は、刻々と静謐な漆黒へと深まっていった。


 その間、言葉を交わすことも無く、アルは彼女を抱きしめ続けた。


 そうして、年越しの時。


 ボーン・・・

 

 街の中心にある時計塔の鐘の音が聞こえた。魔道具で拡声されているようだ。


 アルはエリスをギュッと抱きしめる。エリスの体は小刻みに震えていた。


 ボーン・・・


 二つ目の鐘が鳴る。周りに異変はない。


 ボーン・・・


 三つ目。そこでアルは気が付いた。鐘は正時に鳴り始める。つまり最後の日は既に終わり、もう新年の最初の日に改まっている?


 ボーン・・・


 四つ目の鐘。エリスはここに居る。アルの腕に抱かれている。エリスは生きている!


 ボーン・・・


 五つ目。やった、やり遂げた、精霊は結界を抜けられなかったのだろう。精霊を退けてエリスを守った、守りぬいた!


 ボーン・・・


 アルはパチリと目を開けた。窓から明るい陽の光が差し込んでいた。




 アルは床に顔をつけ、倒れ込むように横たわっていた。


 今の状況が理解できなくて混乱した。つい今しがたまで外は闇に包まれていたはずなのに、窓から陽光が差し込んでいて、その角度からもう昼が近い事が分かった。


 記憶がハサミでバサリと切り取られたように、何処かで抜け落ちている気がした。


 でも心は幸せに包まれていた。大切なものを守り抜いた、その安堵が心を満たしていた。体を起こしてその大切なものを探す。


 大切なもの?・・・エリス、そうだ、エリス、何よりも、誰よりも大切な人、エリスは何処?


 でも彼女はその部屋にいなかった。


 ふらつきながらも部屋を出て、アルの自室へ向かった。最近は殆どの時間をそこで過ごしていたけれど、そこにも彼女はいなかった。


「エリス?エリス、どこにいるの?」


 耐え切れず、つい大声で彼女の名前を呼んだ。いつのまにか心に穴が開いていて、そこからどす黒い何かが湧き出して来ようとするけれど、それを必死に押しとどめた。


「朝食を食べているのかもしれない。」


 急いで一階に降りると、食堂の前の廊下に石くれが転がっているのが見えた。


 それは昨日まであの傀儡(ゴーレム)だった、見慣れた石礫たちだった。


 傀儡には毎朝エリスが魔力を注いでいたけれど、それが切れてただの石に還ってしまっていた。


 それを見て、アルは屋敷中を駆けまわった。それが終わると庭を駆けた。それから敷地の周りを駆けずりまわった。でもエリスは何処にもいなかった。


 疲れ果ててトボトボと屋敷に戻ると、傀儡はまだ石礫のままで転がっていた。


 大好きな傀儡にエリスが魔力をあげ忘れる筈がない。だからそれを見て分かった。認めざるを得なくなった。


 あの人は居なくなってしまった。あの人を守ってあげられなかった・・・


 その時、アルの心の中で鎖がガチャリと鳴って、その心が縛られた。これまで、辛く悲しいことが起きる度、彼の心は鎖に縛られた様に動かなくなり、心が壊れるのを無意識に防いできた。


 無表情のまま、それらの石を余りなく集めた。感情を抱く機能は無いはずだけど、確かにこの傀儡はあの人が大好きだった。だから、それをエリスの部屋に運んであげた。


 でもこのままだとグスタフに捨てられてしまう。だから木箱に、元の人形(ひとがた)に並べて仕舞ってあげた。最後に黒い小石を二つ、顔に乗せたら泣いているように見えた。


 大好きなあの人が居なくなって、お前も悲しいんだな。心を縛る鎖がまたガチャリと鳴った。

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