第6話

「羊皮紙を買いに行くけど、市場まで一緒に行かない?」


 エリスを誘うとその顔がパァッと明るくなった。


「でもはぐれたら大変だから、この指輪をして行って。」


 用意していたローブと柔らかい革のブーツを身に着けた彼女に、あの露店で買った指輪を差し出した。


「これは探し人の指輪だ。台座の裏に簡易術式を掘ったから、互いに引き付け合うようになってる。だからはぐれてもすぐに見つけられる。」


 すると彼女は、指にはめたその指輪を見つめ、ガラスの飾りを撫でながら頬をピンク色に染めていた。その笑顔は、彼女が見せてくれた中で一番嬉しそうに見えた。




 フードで顔を隠したエリスの手を引き、市場へと歩いて行った。


 この国を出てからどうしよう・・・ずっとそれを考えていたから、さりげなく聞いてみた。


「もしも自由に旅が出来たらどうする?行ってみたい場所や、見たい物はある?」


「サクラが見てみたい。」


 するとそうポツリと答えた。


 彼女が生まれた村を見下ろす丘の上に、サクラという、遠くの島が原産だという珍しい木があって、春になると淡いピンクの奇麗な花を咲かせたそうだ。


「いつも遠くから見るだけだったから、近くで見てみたい。」

 

 ふーん、と相槌を打ったけれど、でおその時には既に、アルの頭の中はこの後の計画の事でいっぱいだった。



***



 二人で街中の市場に入った。でも途中に魔道具材を扱う露店があったのに、素通りするから隣りのエリスが不思議そうにアルを見つめていた。


 そのまま市場を抜けると、そこは乗合馬車の乗車場で、事前に調べておいた乗り場へ行くと


「なんだ?ここはお前のような子供が来る場所じゃねぇぞ。」


 御者の男が睨み付けてくる。


「隣国まで二人分、切符を買いたい。」


 金貨を二枚見せると御者はそれを受け取って、金貨とアルの顔を交互に見た。


「坊ちゃん、もうすぐこの馬車は出発しますぜ。二人分って事ですが、お連れの方はすぐにお見えになるんでしょうね?」


 アルは御者の顔を不思議そうに見返した。連れならここに居る彼女・・・そう言おうと振り返ったまま固まった。


 後ろにいた筈のエリスが居ない、辺りを見回しても見当たらない!


 攫われた?逃げ出そうとしたのを気づかれた?


「坊ちゃん!この馬車はもうすぐ出ちまいますぜ!」


 御者の声が追いかけて来たが、アルはそのまま駆け出した。


 似たローブの女性を見つけてはフードの中を覗き込むがエリスではなかった。皆、アルの不躾な振る舞いに不快そうな顔をしていた。


 そこでようやく思い至って、指から探し人の指輪を抜き抜き紐に通してぶら下げると、対の指輪の方向に引っ張られた。


 それに導かれて歩を進めると、やがて墓守の屋敷に戻ってしまった。


 エリスは屋敷にいた。


「言ってなかったね。あのね、私、このお屋敷から逃げようとすると、強制的にここに戻されてしまうの。この屋敷に入れられるときに、そういう呪いを掛けられたの。」


 乗合馬車で逃げようとしたから、呪いが発動してここに戻されてしまったのだろう。呪術は魔法とも魔道具とも違う体系だから、解呪する技術も知識も持っていない。


 アルはがっくりと膝をついた。国外逃亡に失敗したショックで床にへたり込んでいると


「ちょっと早いけど、夕飯にしましょ。」


 エリスはアルの手を取って食堂に連れて行った。



***



 エリスは羊皮紙に魔法陣を描いて、二人分の夕食を温めていた。そのいつもと変わらない様子を見て、思わず叫んでしまった。


「どうしてそんなに落ち着いているのさ!ここに居たら死ぬんだよ、精霊に食べられて!怖くないの?」


 すると彼女は、静かに諭すように教えてくれた。




 エリスは、生まれた村での、人々から疎まれて育ったその生い立ちを聞かせてくれた。


「私は邪魔者で、だから親にだって必要とされなかったの。そんな価値のない私でもね、ここに入れられた頃は怖くて、悲しくて、だから何度も逃げ出したの。」


 でもその度に、今日のように屋敷に戻されてしまったそうだ。


「でもある時、街へ逃げ出した時にね、ベンチに座っている母娘を見たの。」


 膝の上で娘が眠っていて、その寝顔を母親が愛おしそうに見つめていた。


「すごく暖かくて、それはそれは優しい眼差しだった。それを見て思ったの。こんなに美しいものを守るためなら、私、死んでもいいかなって。」


 そうして、彼女は運命を受け入れた。あの眼差しのような美しいものを守る、それが誰にも必要とされない彼女の命の、一番の使い道だと思った。


”でもそんな眼差しを、エリスは誰にも向けられなかったじゃないか!”


 そう言いたかったけれど、それがあまりにも可哀そうで、結局声には出せなかった。

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