第5話
お屋敷に戻るとエリスは食堂にいて、机の下に隠れている傀儡(ゴーレム)の前にしゃがみ込み、その顔を見つめていた。
「ごめん、ここに隠れてたんだけど、あの人が水を飲みに来て、それで見つかってしまって。」
するとエリスは、うん、と小さく頷いた。アルはその横顔を見ながら思った。
“朝食が冷めちゃったね、温め直すから残りを食べてしまおう”
ここでそう言えば、穏やかな日々はこれからも続く。でもこの不安を忘れられない。今日の事を無かったことにはできない。無かったことにしたら、後できっと後悔する。だから聞いてみた。
「エリス、さっきの人との話、どういう事?覚悟って何?運命だとか残り時間とか、あれはどういう意味かな?」
返事はない。
「あのさ、エリス、君はずっとここにいるよね?僕と、それからそこの傀儡と、ずっと一緒に暮らせるんだよね?」
すると立ち上がったエリスは、振り向いてアルに微笑みかけた。それを見て、この静かで穏やかな生活が終わってしまった事を悟った。
「内緒にしててごめんね。私ね、もうすぐ居なくなるの。二ヶ月後、年が明けたら、私死ぬことになっているの。」
エリスのその笑顔は、泣き顔にも見えた。
***
食堂のテーブルに向かい合って座った。
傀儡がその小石の目をエリスに向けていたから、彼女はその頭を優しくなでてあげた。でも傀儡は、そんなエリスの顔を心配そうに見上げていた。
この屋敷に連れてこられた時、エリスは彼女の運命をグスタフに聞かされた。
赤い目の少女は、十五歳になると悪い魔女に生まれ変わり、この国に大いなる災いをもたらす。
でもこの墓地には王都を守る精霊たちが住んでいて、少女が十五になる年への年またぎに、その身を魂ごと喰らい魔女の復活を食い止める。そしてこの国に災禍が訪れるのを防いでくれるのだそうだ。
「私は来年十五になる。今は十月だから、二か月後には命を失って、そして魂を滅ぼされるの。」
それを聞いて、テーブルに置かれたアルの手が震えた。
「でもエリスが、本当に魔女になるかなんて分からないじゃない。」
「でも、もしなってしまったら取り返しがつかない。人がいっぱい死んで苦しむことになるわ。これまでも私のような子たちが、その身を捧げてこの国を守ってきたの。だから私も一緒の行いをしなければ。」
「そんなの嫌だ。だって君は・・・エリスだけは違うかもしれないじゃない・・・」
アルは俯いて肩を震わしながらポタポタと涙を滴らせた。それを見てエリスは静かに席を立ち、彼を後ろから抱きしめた。
「本当は黙って逝くつもりだったの。あなたなら悲しんでくれるのが分かってたから。」
肩に顔を埋めたエリスも小さくすすり泣いていた。
「お願い、今まで通り過ごして。今まで通りに楽しく過ごして、そして私を見送って。こんな風に悲しまずに・・・」
そんな彼女の手を握りながら、でもアルは密かに決心した。
アルは彼女を救うことに決めた。
***
まずは情報を集めなければ。アルはお屋敷の書庫で、魔女に関する記述を探して本を読み漁った。
書庫に閉じこもるアルに、エリスは何も言わなかった。時々、傀儡と一緒に部屋の中を掃除したり、お茶を淹れてくれた。
そして時々、術式についての質問をしてくるから、魔道具の授業を中断してしまったのが心苦しくて、それに丁寧に答えてあげた。
「ここを見て。」
アルは開いた本の一節を指差した。傀儡と一緒にお茶を運んできたエリスが覗き込む。
魔女についての記述はどれも似通ったものばかりだったが、その本には魅了された王のその後が一行だけ書かれていた。
”誑かされて国を乱した王は、その事実を恥じたまま憤死した”
それを読み上げてあげると
「きっと王様もお辛かったでしょうね。」
エリスは憐れむような表情を浮かべた。でもアルは同情する気持ちなど微塵も感じなかった。魔女がこの国に取りついたのはこの馬鹿な王のせいだ。
結局、書物からは何も情報が得られず、貴重な時間を無為に浪費した事に、アルは焼かれるような焦燥を感じていた。
そこへエリスが入ってきた。ティーカップの載った盆をチョコチョコ運ぶ傀儡の後ろを、心配そうに見守りながら付いてきた。お茶の給仕を覚えさせようとしているようだ。
その姿を見て決めた。ここから逃げよう。
***
アルはエリスを連れてこの国を逃げ出すことを計画した。魔女になったとしても、この国から遠く離れていれば、災いをもたらすことは無いだろう。
きっと反対するだろうから、エリスには何も言わなかった。逃亡を明かすのは国外へ出る馬車に乗り込む直前だ。後で悲しむだろうけれど傀儡は置いて行こう。
屋敷を抜け出して市場へ行き、グスタフから渡されたお金で必要なものを調達した。
帰り道、一軒の露店の前を通りがかった。安物のアクセサリーを商うお店で、何の気なしに眺めたら恋人同士がはめるペアの指輪が目についた。
色ガラスが塡められただけの安物だが、その割に台座はしっかりした金属だったから、それも買ってポケットにしまった。
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