a-03.未蕾と美郷
入学式の式次第は滞りなく進んでいく。
だが
それがこの学校の慣例というか伝統なのだそうだが、思春期の少年少女たちにとってはどんな顔をしてやればいいのか分からない。絢人は自分の入学式の時もこれが苦手だった。
しかも、絢人がつけてやるべき女子新入生がまた問題だった。いや問題とか言ったらきっと泣くから口が裂けても言えないが、とにかくマズい相手だった。事前に配置表が全員に配られていて確認済みなのでまず間違いない。
というのも、欠席者が出たりとかで配置がずれない限りは、絢人がつけてやるはずの相手は中学時代に別れた元カノだったのだ。
これが妹の
名前を
「……先輩……」
やや上気した頬で、かすかに潤んだ瞳で未蕾はじっと絢人を見つめてくる。配置表はあらかじめ新入生にもしおりと一緒に渡されているので、当然彼女も絢人が担当する事を知っているはずだった。
ああもう、これでまた運命だとか思われたらややこしい事になるんだよな。一途で健気で可愛い子なんだけど、ちょっとグイグイ来すぎるのが苦手というか、どうしても受け付けないんだよな。
だが内心の葛藤はさて置いても、式で決められていることはやらなければならない。どのみち本人の目の前まで来てしまってはもう覚悟を決めるほかはないのだ。
そうして進行係の合図で、周りに合わせて絢人も未蕾の左胸にフラワーを取り付けてやる。
「入学おめでとう、未蕾」
知らない仲でもなし、無言で済ますのもどうかと思って一言だけ絢人は声をかけてやる。たちまち彼女の頬が一気に上気して赤く染まり、全身から喜びが溢れ出てくるのがはっきりと分かる。
「はいっ、ありがとうございます、先輩!」
小さく、だがはっきりと彼女は返事を返す。そのまま上級生と新入生の列は分かたれ、再び自動で上級生の列は新入生の席を離れてゆく。
絢人にはいつまでも後ろから追ってくる視線が痛かった。
「ちょっと太刀洗くん、あの子なに?知り合い?」
後ろを歩くクラスメイトの女子が、講堂を出た瞬間に背中を叩いて声をかけてくる。
そりゃあ真横に居たんだから当然あのやり取りは聞こえてたよな。
「そうよ教えなさいよ!あの子めっちゃラブな目してたじゃん!」
前を歩いていた女子も振り返って話に加わってくる。
ああもう、やっぱり面倒くさい事になった。
「いやその、なんて言うか……元カノ?」
とぼければいいのに、変なところで真面目な絢人はつい正直に白状する。
「うっそやだ、マジで!?」
「ちょっとそれ運命じゃん!ヨリ戻しなよ!」
「いいよもう。終わったことだし」
「終わってないって!あの子絶対まだ太刀洗くんのこと好きじゃん!」
「そうよ!てか何で別れたのよ!可愛い子だったじゃん!」
「いや、まあ、なんて言うか、あのグイグイくる感じがキツくてさ。付き合ったのも1ヶ月だけだったし、そんなに追いかけられても応えきれないっていうか……」
絢人にしては言葉を選んだつもりだったが、みるみるうちに女子ふたりが引いていく。
「あー……まあ分からなくもないっていうか……」
「そ、そうね……あの子ちょっと重そうな感じするわ……」
「いやでも、いい子だよ。俺なんかを好きでいてくれるのは有り難い事だし、俺が応えてやれれば良かったんだけど」
その言葉にさらに引くふたり。
心なしか態度だけでなく物理的に引いてるように感じる。
「…………太刀洗くんさ、フるならはっきりフった方がいいよ?」
「そうだよ。そんな曖昧なままじゃ泣かせるだけだよ?ちょっとそれは酷いと思う」
え、なんか俺が悪いみたいになってる?
「言っとくけどさ、太刀洗くんのことちょっといいかもって思ってる女子、結構いるからね?」
「そうそう。今の感じだと太刀洗くんってその気もないのに押せば押し切れそうな感じじゃん?あの子にもそうやって押し切られたんじゃないの?」
「う…………」
「そうやって好きでもないのに付き合って、すぐ別れたりするのって女子には結構ヤバいダメージいくからね?マジで今のうちに直しとかないと、そのうち刺されるよ?」
完全に図星だった。
女子の洞察力やべえ。
「分かった……気を付ける」
「ん。じゃあそーゆーことで。忠告はしたからね?」
「うん、サンキュ」
女子ふたりは教室に向かって駆け出し、それを絢人は手を上げて見送る。だが絢人は気付かない。彼女たちふたりともが実は“太刀洗くんのこと、ちょっといいかもと思ってる女子”だったことに。
そして彼女たちは曲がった廊下の先で密かに胸をなで下ろすのだった。危なかった、うかつに好きになる前に気付けてよかった、と。
「けーんと♪」
明るい声とともにいきなり後ろから肩を叩かれる。振り返るとそこには幼なじみの
栗色の明るいボブカットにはっきりとした目鼻立ち。素晴らしい美人というわけではないが、快活さが表情からも全身からも溢れていて、人当たりもよく、男子からも女子からも人気のある少女だ。
「どした?なーんか暗くない?」
「いやまあ…………何でもないわ」
美郷は近所に住んでいた同い年の幼なじみで、幼稚園からずっと仲良くしているひとりだ。小学校の三年生までは毎日遊ぶほど仲がよく、その当時から裏表がなくサッパリと竹を割ったような性格の美郷は、絢人たち男子に混じって遊んでいても何の違和感もない子だった。
小学校三年生の時に、彼女が親の仕事の都合で新町に引っ越して以来やや疎遠になっていたのだが、中学に入る頃から彼女は夏休みや冬休みに本町の祖母の家に泊まり込むようになり、それ以来絢人たち本町の幼なじみたちと再び遊び回るようになっていた。だから高校で実に6年ぶりに同じ学校に通うことになったのだが、そんなに離れていた実感は全くない。
美郷は見た目は女子らしく雰囲気も体型も成長してはいたが、性格はあの頃のままで、だから絢人も彼女の前では気兼ねなく自分をさらけ出す事ができる。その意味で未蕾とは正反対の存在だった。だが、中学が同じではなかったので美郷は未蕾のことを知らないままだ。だから、さすがの絢人にも素直に全部話すことは憚られた。
「ホーントにぃ?」
「ホントだって、何でもねえよ」
「アンタさあ、アタシに嘘つけるとでも思ってんの?バレバレなんだから白状しなさいよ!」
美郷に嘘がつけないのは本当だった。今までついた嘘は全部バレているのだから、ここにきていきなり隠し通せるはずもなかった。
「いやまあ、アレだ。さっきのセレモニーさ、やっぱ女子と1対1って緊張するなあって思ってさ……」
だから絢人は、嘘をつかない方向に舵を切る。
女子と1対1なのが苦手なのは本当だし、これは美郷も知っていることだ。絢人が苦手でない女子といえば妹の柚月と美郷と、あとどのくらいいるだろうか。
「なぁんだ、そういう事か」
絢人の返事に、ようやく美郷も納得したような顔になる。本音を隠し通すことに関しては、絢人も少しは成長していたのだった。
「目の前にこ~んなイイ女がいても平気なくせに、他の子の前じゃてんでダメなんだから~もうしょうがないわねえ、ケンチャンは♪」
「いやお前は女子枠ちゃうし」
「うわひっど!泣くぞ!」
「お前の嘘泣きに何度騙されたと思ってんだ。今更その手は食わねえよ」
正直な話、美郷にだって絢人は女子を感じている部分はある。高校に入ってさすがに女性らしい体つきが完成されてきて、目のやり場に困ることがあるのは事実だった。だが絢人のそういうところも美郷は熟知していて、絢人がそういう意識をしないで済むように敢えて昔通りの付き合い方をしてくれているのも、絢人はきちんと分かっていた。
気の置けない関係、とはこういうことを言うのだろうと絢人は考えている。だが気が置けなさすぎて、恋愛対象として意識できるかと言われれば、それもまた微妙なのだった。いっそのこと美郷と付き合えれば楽なんだろうけど、世の中なかなか上手くはいかないものだ。
というかそもそも美郷の方で絢人をどう見ているのか、絢人には判断が付かないのだった。
実のところ美郷の方にも絢人を意識している部分があった。初恋の相手は絢人だったし、去年の入学直後に起きたトラブルから助けてくれたのも絢人で、その意味で頼りがいも恩も感じていたし気心が知れているのは美郷の方も同じだったのだ。
ただ、関係が近すぎて恋愛対象として見にくいところまでもが同じで、要するにこのふたりは似たもの同士なのだった。
とはいえ友達から恋愛に発展させるきっかけなんてものは、互いがその気になって一歩踏み出せさえすれば案外容易なものだ。結局のところ、友人関係と恋愛関係の差などというのは互いの意識の中にしかないのだから。
だからふたりの想いさえシンクロしていれば、それが友愛だろうと恋愛だろうと関係性は変わらないはずなのだ。それが分からないのは、恋愛経験のまだ浅い思春期の高校生ならではなのかも知れなかった。
「ふーん、まあいいけど。
ぼちぼち教室戻んないと。遅くなったら何言われるか分かんないよ?」
そう言われて周りを見渡せば、悠長に廊下を歩いているのは絢人と美郷だけだった。
「うわやっべ!もしかして俺ら最後か!?」
「多分ね♪」
「なんでちょっと楽しそうなんだよ!?」
「べっつにぃ~?」
けらけらと笑いながら駆け出す美郷。
その後を慌てて追う絢人。
それがいつものこのふたりの、距離感なのだった。
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