a-02.三バカ

「よう絢人けんと!一学期早々シケたツラしてんな!」



戸畑とばたうるせえ。俺がどんな面してようが別にいいだろ」


 朝のホームルームの予鈴が鳴る中、トイレから戻ってきた絢人に廊下で声をかけたのは腐れ縁の悪友のひとりだった。

 まだ春だというのにすでに日焼け気味の浅黒い肌に丸坊主の頭髪、小柄だが部活でそこそこ鍛えられた四肢、そしてよく分からない自信に満ち溢れた笑顔。戸畑とばたとは小学校入学以来の仲で、幼なじみというにはちょっとアレだが、それでも充分に長い付き合いだ。


 もっとも絢人には幼稚園時代からの友人が何人もいるので、小学校に入ってから知り合った戸畑は絢人の中では幼なじみの枠ではなかったのだが。でも戸畑の方は幼なじみだと思ってるかも知れないな、と絢人は思っているので、そこは敢えて口に出さずに曖昧にしたままでいる。

 まあ何にせよ悪いやつではないし、付き合いも長いから絢人には彼のあしらい方もよく分かっている。こう言っては何だがおバカなので、あしらうのにさほど苦労はしない。


「そんなシケたツラばっかしてるとモテねえぞ?」

「……さも自分がモテてるような口ぶりだな」

「そりゃあ俺様は花の野球部だからな!」


 そう言って戸畑は胸を張り、右手のサムアップで自分を指差しながら自信満々にふんぞり返って坊主頭を後方に突き出す。そんなに反り返らなくても、と思う間もなく戸畑の頭が後ろに立っていた女子生徒の背中にぶつかる。


「いったぁ……!ちょっと戸畑、きったないイガグリぶつけないでよ!制服汚したら新入生に見せらんなくなるじゃん!」


 彼女は腹立ち紛れに辛辣な言葉を坊主頭に浴びせ、そのまま隣の教室に入ってゆく。


「あのな?万年補欠だと野球部効果も薄い、ってのはいい加減わかれ?」


 女子からの思わぬ辛辣な一言に反り返ったまま固まる戸畑に絢人が軽くトドメを刺すと、そのまま彼はその場に崩れ落ちた。


「ほらほら泣いてないで教室入るぞ。先生来ちまうからな」

「ううう~。な、慰めてくれたっていいだろ絢人ぉ~!?」

「お前の鋼のメンタルがあの程度で傷つくかよ」

「お前ホントひどいやつだな!」


 もう今まで何度繰り返してきたかも覚えていないほど定番のやり取りである。周りも見飽きているのでわざわざ干渉する者さえ皆無であった。


「はっはっは。相変わらずバカだなあ戸畑は」


 訂正。好き好んで干渉したがる輩がいたようだ。


「そこはお前、倒れ込むフリをして抱きつかないでどうする?」


 追記。それも戸畑に輪をかけてバカのようだ。


「いや稲築いなつきもさあ。そういう事を言ったりしたりするから女子に嫌われるんだろうが」


 呆れ顔で見上げつつ、絢人がツッコミを入れる。入れてはみたものの、それが無駄な行為だというのは絢人自身が一番よく解っていた。


「何をいう太刀洗。そういうのは役得・・って言うんだぞ」

「いや“役得”の使い方間違ってるからな?」



 稲築いなつきは見上げるようながっしりとした巨漢の男子生徒だ。角刈りの頭に瞳孔の見えない細い目が特徴的で、見た目だけなら“気は優しくて力持ち”の硬派な雰囲気だが、こう見えても帰宅部だ。絢人にとってはこの高校に入ってからの、比較的新しい友人になる。

 特に身体を鍛えた事もなく、何か部活に入っていた事もないらしいが、それでこの恵まれた体格なんだから神様は不公平だ、と絢人は思わずにはいられない。柔道部は入学以来ずっと勧誘しているらしいし、サッカー部もキーパーとして勧誘したことがあるそうだが、彼は今見せた朗らかな笑顔で全部断ったと聞いている。


 まあでもコイツは部活やらなくて正解かも、と絢人は思ったりもする。なにしろコイツの頭の中はどうやって女子でエロいことをするか、それしかないのだから。もし稲築がどこか部活動に所属して、それでもしも女子がらみの不祥事なんて起こした日には、真面目に頑張ってるほかの部員たちが不憫に過ぎる。

 そもそも彼が頑なに帰宅部を貫き通すのは放課後に体育館や運動場で運動部女子を盗み見たいからであって、それで何度も女子から先生に通報されているのだが一向に懲りる様子はない。


 ただ実際に女子生徒を襲ったりしたことはなく、それどころか街でひったくりに遭った女性の鞄を取り返してやった事もあるくらいで、彼には彼なりの倫理観や正義感があったりする。それを知っているからこそ、絢人も友達として付き合っているのだった。


「……おお!その手があったか!」

「ねえよバカ。お前もコイツみたいに女子に嫌われてえのかよ。てか反応がおせえ」

「うぐ……嫌われるのそれは、嫌だ……」


「稲築も戸畑も、バカ言ってないでさっさと教室に入れ。もう予鈴はとっくに鳴っただろうが。

太刀洗も太刀洗だ。そんな奴ら放っておけ」


 教室の廊下側の窓が開いて、メガネをかけたいかにも優等生っぽい、黒髪で整った顔立ちの男子生徒が呆れたように声をかけてくる。

 名前は黒木。『くろき』ではなく『くろぎ』である。

 絢人とは中学入学からの付き合いで、高校では将棋部に所属している、真面目で堅物を絵に描いたような生徒だ。今も冷めきった目で稲築と戸畑を見下している。


「あっ黒木くろぎてめえ!ひとりだけイイカッコしやがって!」

「お前らがカッコ悪すぎるんだ。ツッコむ方の身にもなってくれ」

「お前もホントひでえな!友達だろ俺達!?」

「少なくとも俺は、お前らと友達になった覚えはない」

「おおおい絢人!あんな事言わせてていいのかよ!?」


 戸畑が涙目で絢人に訴えてくるが、絢人としては黒木の言い分も分からなくはない。絢人とよくつるんでいるこの3人は、最近ではひとまとめにされて“三バカ”などという不名誉なあだ名を付けられていたのだから。

 3人はお互いに絢人を介してしか繋がっておらず、3人とも特に共通点はない。にも関わらずなぜ三バカの括りなのかと言えば、3人ともそれぞれどこか常識が欠落しているからだ。黒木は一見すると真面目なように見えて、実際成績もいいのだが、思考が合理に寄りすぎるあまり人の情や想いなどを全く理解できずに、影で『ロボット』だと揶揄されるような男子だった。


 つまり、バカとエロとロボット。

 いずれもある意味で人として扱われていないのだった。


 ちなみに、なぜ絢人がその枠に入って“四バカ”になっていないのかと言えば、4人の中で絢人のみが常識的で3人のブレーキ役として苦労しているのをみんなが見て知っているからに過ぎない。

 口では誰も言わないが、太刀洗はさっさと縁を切ったらいいのに、とみんなが思っている。だが本当にそうなってしまうとこの3人を止める者がいなくなるので、それで誰も敢えてそんな考えを口に出さないでいるのだった。

 まあ絢人は絢人でそんな事は百も承知だし、迷惑だが性根の悪い奴らではないのでこの3人を見限るつもりもない。見限るくらいなら最初から友達付き合いはしてないし、そういう意味での人を見る目はきちんと備えているつもりだった。


「いいからさっさと教室に入れ。もう本鈴が鳴るぞ」

「うるせえばーかばーか!」


 黒木が重ねて戸畑を注意し、不貞腐れた戸畑がそれを拒否する。こうなると戸畑は頑固だ。


「よしこうなったら実力行使だ。稲築、戸畑を捕まえてくれ」

「何を言ってる太刀洗。俺がなんで男子に抱きつかにゃならんのだ?」

「いやそう言うと思ったけど!」



 と、その横を素通りした影がある。

 黒森紗矢。絢人が登校時に見かけたあの美少女だった。

 彼女は何食わぬ澄まし顔で絢人と三バカの三文漫才をスルーして、そのまま教室棟の一番奥から2つ並んだ国際交流コースの奥の教室に消えていく。彼女が通り過ぎた際に何とも言われぬいい香りが漂って、思わず絢人も三バカも顔ごと振り返ってその姿を追ってしまった。


 ふらふら、と戸畑が後を追って国際交流教室に向かおうとするのに気付いて、絢人は慌てて戸畑の身体を押さえ込んだ。

 国際交流コースは普通コースとは偏差値にして10以上の開きがある特進コースで、万年赤点で追試でやっと進級できた程度の学力しかない戸畑が国際交流コースの生徒な訳がない。そんな彼の突然の行動の意味はひとつしかなかった。


「おいバカやめろ!あれ・・は致命傷だぞ!」

「うるせえ止めるな武士の情けだ!可能性はゼロじゃない!」

「ゼロに決まってんだろ!お前何回討ち死にしたら気が済むんだ!」

「ふおおぅ。黒森は相変わらずイイニオイがするのう……」

「お前もだめだ!てか少しは懲りろ!」

「ええい離せ太刀洗!これが俺の生き様だ!」

「そういうカッコいいセリフはもっと違うシチュエーションで言えよな!」


「あなたたち。教室にも入らないで廊下で何やってるのかしら?」


 不意に後ろから声をかけられて3人が振り返ると、担任の若松先生が怒気を孕んだ視線を投げ下ろしていた。気付けば廊下にはもう誰ひとり残っておらず、黒木はいつの間にか窓を閉めていた。






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