88 得たモノと失ったモノ
鈴音の首輪には、アルファベットの名前と秋月神社の連絡先が書かれていた。
いやまあ、その連絡先が活用されるとしたら鈴音に何かあった時だろうし、それなら爺さんたちに任せたほうがいいんだろうけど……
「鈴音、ちょっと動くなよ。なんかこのリード、付けたままでもいいんだろ?」
「そうそう、説明するの、忘れてた」
犬の姿でテヘッてされると、凶悪的な可愛さとなる。それこそ、どんな悪事を働いても許してしまいそうだ。
そんなことを思いながら、再びリードを装着する。
鈴音の説明を受けて操作すると、するするっと紐が収納され、カチッと首輪と一体化してしっかりと固定された。飾りのように見えて違和感がない。
「よくできてんな……。よし、これでいいか?」
「ありがと、エイ兄☆」
嬉しそうに、落とし扉の専用通路から外へと飛び出して行った。
たぶん、みんなに見せて回るのだろう。
それじゃあ……って感じで、ポンと手を叩いた雫奈が、俺を見つめる。
「栄太。良かったらでいいんだけど、ちょっと修業していかない?」
アパートに戻ろうと思っていたが、特に切羽詰まった用事はない。
それに、何の修業をするのか少し気になる。
「別に構わんが、何をさせるつもりだ?」
「離れた場所のケガレを見つける……実験かな?」
「……また、修業が実験に化けてるんだが?」
そんな、ちょっとした言葉の違いで不安になるが、雫奈だけに本当に危険なことはさせないだろうし。そうならないように、全力でサポートしてくれるはずだ。
「まあいい、俺はどうすればいい?」
「そうね。まずは、潜って移動かな」
ならばと、庭の方を向いて座り、瞑想をしている風を装う。
姿勢をしっかりと安定させてから、視界を切り替えて精神世界に潜った。
霊力値が表示されてる以外は、現実世界と変わらない風景が見える。
ちなみに、残りの霊力は九十六パーセント。
まだ朝とはいえ、子犬を救出したりしたのに、全然減っていないことに驚く。
鈴音セラピーのおかげかもしれないが、たぶん秋月神社や豊矛様のおかげだろう。
目の前に金髪碧眼の美少女──西洋女神衣装のシズナが現れた。
精神体って呼べばいいのか分からないが、とりあえず、俺は自分の身体を動かしてみた。
一度は上手くいったとはいえ、やはりまだ不安だ。
慎重に確認するが、足元がふわふわせず、ちゃんと足場になっている。
「じゃあ、移動するね」
シズナは空を飛ぶようにして、天井をすり抜けて行った。
それについて行こうとしたが、ジャンプすることはできても空は飛べなかった。
どうやら足場を意識することで、宙を漂う感覚を失ったのだろう。ともかく、壁をよじ登ったりジャンプをしながら、天井抜けをして上へと向かう。
潜らずに見ている状態だったら、自由気ままに、それこそ空を飛んでいる感じで視点を動かせるのに、なぜか潜ると飛べなくなってしまう。
それでもなんとか、屋根の上までよじ登れた。
宙に浮くシズナが、ついてくるように言ってくるのでジャンプしてみるが、やっぱり空を飛ぶことはできなかった。
それどころか、足を滑らせて屋根から落ちそうになった。
戻ってきたシズナが、舌っ足らずの可愛い声で、困ったように呟いた。
「う~ん、困ったわね……」
「何と言えばいいのか……とにかくスマン」
「ここは精神世界なんだから、物理法則は関係ないんだけど。……って口で言っても、栄太には実感できないわよね。どうしよっか……」
言葉の意味は十分に理解しているつもりだが、何度チャレンジしても空を飛ぶことはできなかった。
以前なら、幼児のハイハイよりも遅い速度だったとはいえ宙に浮かべていたのだが、今はそれもできなくなっていた。
雫奈は自分のあごに指を当て、首を傾げて真剣な様子で考えている。
「そうね……、だったら庭に降りて、私と手合わせしてみない?」
「構わんが、いいのか?」
現実世界で手合わせをした時は、雫奈は俺の相手にはならなかった。雫奈の運動神経は素晴らしかったが、俺が全勝してしまった。
もちろん、神様の力とやらを使われたら俺に勝ち目はないだろうが……
たとえ精神世界といえども、今の俺は普通に動けているし、こんなちびっこ相手に負ける気はしない。
そう思ったのに……
「なぜだ……」
俺は、ガックリとうなだれる。
殴られたり蹴られたところで痛みはないのだが、俺の攻撃はひとつも届かず、一方的に蹂躙されてしまった。
最初の意気込みはどこへやら……
それはもう、悲しくなるほどのボロ負けだった。
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