89 我が意識を重力の枷から解き放て!

 シズナとの手合わせで、俺は完膚なきまでに叩き伏せられた。

 とはいえ、精神世界なので肉体的ダメージはないのだが、俺の心は傷付いた。


 シズナは、飛行や瞬間移動などの力を使わず、俺と同じ条件で戦ってくれた。

 戦い方や動きだけを見たら、現実世界で手合わせした時と大差がないように感じたのに、全然避けられないし、俺の攻撃が当たらない。

 その答えはすぐに分かった。単純に、俺の動きが鈍いのだ。

 普段通りに動いているつもりでも、なぜか微妙な時間の差タイムラグが発生する。

 素早く反応したつもりでも、数瞬遅れてから身体が動き始める。


「ゴメンね、栄太。そんなに落ち込まないで。でもこれで、原因が分かったわ」

「……原因?」

「栄太って、無意識かも知れないけど、考えてから動くよね。たぶん、こうすればこうなる……って感じで」

「まあ……そうかもな」

「たぶんそのせいで、動く前にダメな可能性を排除してるんだと思う。ここは精神世界だから飛べるんだよって言っても、そんなわけないって、心のどこかでブレーキが掛かっちゃうのかもね」

「やっぱり……。俺の中の常識が邪魔してるってことだな」

「なのに、こんなに現実に近い視界を生み出したりできるんだから、人間の精神構造って不思議よね……」


 要するに、常識を捨て、頭の中を空っぽにして、無茶をすればいいのだろうか。

 ……ならば、ここをゲームの世界だと思い込むのはどうだ?

 グレイブラッドのような……いやいや、ダークファンタジーはやめたほうがいいだろう。だったら王道の、呪文を唱えて空を飛ぶ……みたいな?

 物は試しとばかりに、外界の意識を閉じて集中する。


「我は風、我は大気、我は自由に空を駆けるモノ。我が意識を重力の枷から解き放て! 飛翔フライ!!」


 そう叫び、意識を解き放ってビシッとポーズをキメる。


 ……。

 ………………。


「いきなりどうしたの、栄太……」


 まあ、そりゃそうだ。そんなことで飛べるようになったら、苦労はしない。

 シズナは本気で心配しているようだ。視線が痛い……


 やるんじゃなかった。いっそ、この場から飛んで逃げたい!

 そう思った瞬間、フッと身体が浮き上がった。


「……えっ?! ちょっ……」


 ……っていうか、これ……やばい?

 すごい勢いで、シズナの姿が遠ざかっていく。


「落ち着いて、栄太。意識を閉じて、向こうに戻って……」


 すぐ耳元で、可愛い少女の声が……って、それどころじゃない。

 シズナの指示に従い、周囲の情報を閉じて、意識を自分の中へと集中させる。

 意識のブレを感じてから、ゆっくりと目を開けた。


「戻れ…た……、のか……?」


 全力疾走をした後のように、肺が酸素を求めている。

 異常な発汗に加え、呼吸も荒い。おまけに身体中の筋肉が凝り固まっているように感じ、そのままゴロンと寝転んだ。

 いつの間にか戻ってきていた鈴音が、俺の顔を舐め始める。

 本物の犬と違って、よだれでベタベタになったりしないし、変な臭いもしないので好きにさせておく。


 まさかこれが鈴音の能力なのか? なんだか少し落ち着いてきた。

 鈴音セラピーの効能を感じつつ、さっきの出来事を思い返す。


「雫奈……。俺、飛んでたよな?」

「そうね。突然だからビックリしちゃった。呪文にするのは、いい方法かもね」


 いや、多分、呪文の効果ではなく、羞恥心が爆発したせいだと思うが。

 ともかく、精神世界で飛べるってことが確認できた。……制御不能だが。


「すまん。何をするつもりだったのか知らんが、結局、実験にならなかったな」

「気にしないで。これも実験なんだから。それに、なんだっけ……。失敗は成功の母だったかな?」


 言ってる意味は分かるが、もう俺で実験してるってことを、隠す気もないのだろう。まあ、少しでも役に立つのなら、別に構わないが……

 ただし、雫奈や優佳が実験と言った時は、次から少し気を付けるとしよう。


「今回は、ここまでにするね。栄太、お疲れ様。もうそろそろお昼だよね。栄太の分も作るから、食べてってね」

「……ああ、助かる」


 さすがに、今からアパートに帰ってメシを作る元気はない。せいぜい冷凍ものをレンチンするぐらいだが、それすらも面倒臭い。

 朝から大変だったが、雫奈の料理が食べられるなら、昼からも頑張れそうだ。


 ちなみに昼食は、焼き飯の卵あんかけ、つまり天津丼だった。

 食卓を囲むのは、俺と雫奈の他に、三藤さんと時末さんも加わる。そして、人型になった鈴音もいた。

 しかも、当たり前のように会話に混ざっている。


「鈴音ちゃんは、繰形さんと、どこへ行ってたんですか?」

「えっと、秋月神社と池だよ。溺れてた子犬を助けたんだ」

「へえ、凄いね。繰形さんが助けたんですか?」


 まあ、普通はそう思うだろうなと思いつつ、俺は首を横に振る。


「いいや、助けたのは鈴音だ……。それはいいんだが、おい鈴音、これはどういうことだ?」

 

 もしかしたら近所の子供って設定なのかもしれないと思いつつ、慎重に探りを入れる。

 だけど、時末さんはオーラが見えるとか言ってたし、三藤さんは雫奈と優佳のことを知っている。だから、今さら鈴音のことがバレたところで問題はないような気もするが……

 

「エイ兄、ごめん。バレちゃった☆」


 舌をペロッと出して笑う鈴音を見て、なんだか微笑ましい気持ちになると共に、誤魔化す必要がなくなってホッとした。

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