72 幻滅しましたか?
優佳の意図は全く読めないが、何かをするつもりだってことは分かった。
ケガレに関することなら、優佳に任せたほうがいいと思って、多少戸惑いながらも同意する。
「えっ? おお……わかった」
優佳の視界って言われると、ちょっと身構えてしまうが、さすがに前のような地獄絵図ってことはないだろう。
視界が切り替わったのを感じて、素早くピント調節を行う。
ここは夕方前の路上、歩道の上だったはず。なのに、優佳の精神世界は地下の牢獄のようだった。
鉄格子の向こう側では、手足に枷をはめられた男が宙吊りにされている。もちろん、さっきのひったくり犯だ。
半裸というか、下半身にボロ布を巻いているだけの状態で目隠しをされ、なんとも無残な姿になっていた。
声が聞こえないが、男の動きで何かを喚き散らしているってことは分かる。
ユカヤの姿は悪魔のままだった。
手に持った
見るに堪えない光景だが、優佳は俺に何かを伝えようとしているのだろう。それを知るためにも、しっかりと最後まで見届ける必要がある。……と思う。
わざわざ俺にこの視界を見せているのだ。何か意味があるに違いない。
なんだか男の様子が変だ。
まあ、あまり気乗りはしないが、男の様子を観察する。
……快楽、喜び、愉悦、期待、もっと、もっとだ!
うん、やっぱり見るんじゃなかった。予想通り過ぎて気分が悪い。
俺が興味を失くしたのを察したのか、次へと場面が変わるようだ。
鎖の先が男の皮膚を傷付け、そこから血液……ではなく、何か黒い雫を滴らせる。これがケガレなのだろうか。
ユカヤが男に向かって何かを言っているようだが、なぜかその声が俺に届かない。俺に向けられた言葉じゃないから聞こえないのだろうか。
だが、男のほうはそれに反応し、興奮したように何かを叫び、恍惚の表情を浮かべている。
ユカヤが大きく
何度も、何度も……
その度に、新たに出来た傷口から、黒いモノが飛び散る。
そこで、手を止めたユカヤが、スッと俺に近付いて耳元でささやいた。
「兄さまに見せるのは、ここまでにしておきますね」
その次の瞬間、俺は自分の視界に戻っていた。
何だったのだろうか。
前に見たような地獄絵図とは違ったものの、これもまた別の意味で地獄だった。
「幻滅しましたか? あれが悪魔である私の本性。あの人の魂に快楽を与え、服従させることで、ケガレを吐き出させているのです。兄さま」
ケガレを浄化するのではなく、絞り出しているってことだろうか。
そういえば、男の魂の数値が徐々に下がっているようだ。
「まあ、驚いたってのが本心かな。やり方はかなり個性的だが、それであの男の魂が浄化されるんだろ? 俺は遠慮したいが、あの男が喜んでるなら別にいいんじゃないのか?」
「もし、兄さまが、これで地獄行きにならないのなら別に構わない……とお考えでしたら大間違いです。悪魔にとって、この行為はただの食事であって、決して救済ではないのです」
「そういや豊矛様も、そんな事を言ってたな。闇は悪魔にとってご馳走だとか」
「はい。深き闇ほど、強い力を秘めています。さっき見たあの男から滴っていたのが闇──負の感情です。悪魔はそれを取り込むこと──魔を喰らうことで力を得ます。その際、少なからず魂を傷つけます。悪魔によってはワザと傷つけるようなことも平気でします」
「魂が傷つくと、どうなるんだ?」
「魂の傷とは、精神の欠損を意味します。それが酷くなると意思が希薄になり、最悪の場合は壊れます。だから悪魔は、ワザと魂を傷付け、意思が希薄にし、契約を結ぼうとします。契約を結んだ魂には、使い道はいろいろありますが、その多くは精神が壊れるまで魔を提供し続ける道具にされます」
魔を育てて絞り出すための道具、つまり、悪魔の食料になるってことだろう。
「雫奈が聞いたら激怒しそうだな。いや、知らないワケがないよな」
「そうですね。でも知っているのと実際に見るのとでは、全く違うと思いますよ。あの光景を見せたら、姉さまと大喧嘩になりますね。きっと」
女神と悪魔の大喧嘩とか、絶対にロクな結果にはならんが、ちょっとだけ興味がそそられる。
いやいや、できれば二人には、いつまでも仲良くしてもらいたい。
「で、結局。これを俺に見せた理由って何だったんだ? ただ俺に、自分のことを知って欲しかったって訳じゃないんだろ?」
「そうですね……。兄さまが私の事を信頼して下さるのはとても嬉しいことなのですけど、そのせいで、悪魔に対する警戒心が薄れているのではと、そう感じたものですから」
「……そういうことか。たしかにな。悪魔がみんな優佳みたいだったらいいのにって、ちょっと思ってたよ」
「そうなんですね……」
ニヤリと笑ったユカヤは、意味ありげに、たゆんと豊満な胸を揺らす。
「……いや、そういう意味じゃないからな」
「わかってますよ」
この姿で、そんな態度を取られると破壊力がエグい。まさに悪魔だ。
「神の方針に逆らったって理由で、不本意ながら悪魔と呼ばれているモノが多くいます。ですが、本当に危険な悪魔も存在します。無害で善良なフリをして、近づいたところをガブリ……なんてことは当たり前ですので、気を付けて下さいね」
「ああ、分かった。言葉だけだとなかなか実感できないけど、アレを見せられたら簡単には忘れらないよな。あーそうだ。ちなみに、あの男はどうなるんだ?」
「心配ないですよ。ちゃんと傷つける場所を選んでますから。少しは変な性癖に目覚めるかも知れませんけど、意志が希薄になったりとかはしませんよ。兄さま」
俺のことを心配して警告してくれたのだろうけど……
悪魔に対して認識が甘くなっていたのは確かだ。だけど実際のところ、何をどうやって警戒すればいいのかが全く分からない。
気合で解決するってもんでもないだろうし。
自分の視界だと、現実の光景が色褪せたぼんやりとした姿で見えている。
意識していないと認識できないので気付くのが遅れたが、何だか俺の周りに人だかりができているようだ。
「悪い、優佳。なんだ騒ぎになってそうだから、向こうに戻らせてもらうぞ」
ユカヤがうなずくのを確認すると、意識を浮上させて切り替える。
「おっ、子供が目覚めたぞ」
「坊主、大丈夫か? どこか痛くないか」
騒ぎに……というか、思いっきり心配されていた。
しかも、子供だと思われてるし。
「スマン、心配をかけた。俺なら平気だ」
立ち上がろうとしてフラつく。……と同時に、たくさんの手が俺を支えてくれた。
「無理すんな。頭を打ってたら大変だ。救急車来るまで、大人しくしてなって」
考えてみれば、俺はひったくり犯とぶつかって吹っ飛ばされ、歩道の隅で気絶していた……って思われても仕方がない状況だった。
とはいえ、ちょっと精神世界に行ってただけから大丈夫だ……なんてことを言おうものなら、間違いなく病院で精密検査を受ける羽目になる。
仕方がない。ここは子供っぽく演技をして切り抜けるとするか……
「いや、ほら、この通り平気だから。皆さん心配してくれてありがとうございます。ちょっと急いでるから、このまま行かせてもらうね。救急車の人には、ごめんなさいって謝っといて」
ぺこりと深々と頭を下げ、そう言い残して走り出す。
その横を、いつの間にか優佳が走っていた。しかも、すごく楽しそうに。
その弾けるような笑顔は、あの悪魔と同じとは思えないほど、とても無邪気だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます