68 精神世界を遊泳する
空中分解したお好み焼きも、少し生地を足して無理やり固めたら、それなりの形にはなる。なので、仕上がりは及第点だろう。
ホットプレートの電源は切ってあるが、まだ熱く、滴ったソースが沸騰しながら焦げて、食欲がそそられる香りが広がっていく。
ひっくり返す部分以外は雫奈がやってくれたので、味は保証されている。
部屋の中でこんなことをすれば匂いが籠って大変なことになるはずだが、たぶん精霊のおかげだろう。食べ終わって片付けたら元通り、匂いや油の痕跡は一切残っていなかった。
これなら部屋で焼肉もできそうだ。
炭火でバーベキューをしても平気そうだが、さすがにそれはやり過ぎか。
ともかく、シャワーを浴びてサッパリしてから仕事を片付け始める。
なんだか今日は調子が良く、それほど苦労をした気はしないのだが、終わって時計を見ると、なぜか日付が変わって午前三時になっていた。
調子が良すぎて、普段は気にしない細かい部分までこだわり過ぎたせいだろう。
せっかくなので、ギリギリ偽装システムをセットしておく。
ひと仕事終えた後は、散歩に行きたくなる衝動が芽生えるが……
夜中の散歩といえばロマンチックに聞こえるが、普通に危険だし、不審人物と思われる危険もある。
それはそれで、気配を探る訓練になるのだろうけど、今日はやめておこう。
それより、精神世界で普通に動けるようになっておきたい。
ベッドに横たわって視界を切り替える。
霊力は九十六パーセント。仕事終わりなのに、思ったほど減っていない。
ならばと、そのまま精神世界に潜り込む。
手足を動かしてみると、普通に動くし指の動きも問題ない。
ならばと、ベッドの縁に腰を掛けようと、移動を開始する。
……やっぱり、この感じだ。
現実世界だったら、手足に力を込めれば簡単に身体をズラすことができる。なのに、全く手足の踏ん張りが利かない。
例えるなら、雲の上でもがいているような感じだ。……まあ、実際に雲の上でもがいたことはないけど。
具体的に言えば、力がベッドに伝わらないというか、全く反発力がないというか、そんな感じだ。
思い返してみれば、前の時も、床や壁が同じような感じだった気がする。
これは困った。最初の一歩で躓いた感じだ。
ならばと、いつもの感じで、ノロノロと動いてみる。
やはり、手足の力がベッドに伝わらず、浮かんで漂っているような感じがする。
試しに、ベッドの端を思いっきり蹴ってみる。
現実でそんなことをすれば、下手をすれば骨折するだろうけど、全く手応え(足応え?)がない。何の抵抗もなく、足がベッドに埋まってしまう。
本当にどうすればいいものか……
精霊に「ちょっとすまんが蹴らせてくれ」って頼めばいいのだろうか。
……いやいや、さすがに精霊でも怒るだろう。
そんな事を考えていると、足元に精霊が現れてペコリとお辞儀をして消えた。
その意味を計りかねていたが、とりあえずその辺りに手を伸ばして触ってみる。
「おっ、これは!」
指先に、ちゃんと触れている感覚が伝わってきた。
だったらと、試しにそこに足を掛け、軽く蹴り出す。
ちゃんと足場になって、普通にジャンプができた。
「なるほど、単純にお願いをすれば良かったのか」
コツが分かれば簡単だった。
こうなって欲しいと願えば……いや、もっと簡単に、こういうものだと意識をするだけでよかったのだ。
布団は柔らかいが、その下にはベッドの床板があるので足場になるはず……だとか、床や壁は固いものだと思えば、そのようになる。
逆に、この壁はすり抜けられると思えば壁抜けができるし、ベッド抜けや床抜けも自由自在だ。
今まで俺自身がふわふわしてたのも、精神体は幽霊みたいなものだと俺自身が思っていたからで、重力があると意識すれば、ちゃんと床に足を付けて歩けるし、走る事だってできる。
もちろん、宙に浮いたまま窓の外へ出る……なんてこともできるだろう。さすがに何が起こるか分からないので、今はやらないが。
瞬間移動も試したくなるが、やはりこれも失敗したら怖いので、そういうことは雫奈や優佳が見守ってくれている時のほうがいい。
とりあえず、歩いたり、軽く走ったり、壁や天井を歩いたり、天井からジャンプして床に着地してみたり、壁抜けや床抜けなどをひと通り試してみる。
そんなことをしていると、霊力が半分を切ってしまった。
当たり前のように徹夜をしている俺が言うのも変だが、朝から疲れているっていうのは良くないだろう。雫奈から手伝いをお願いされた時に、疲れて使い物にならないってのは論外だ。
戻るついでに、閃いたことを試してみる。
いつもは意識を閉じて現実世界に戻るのだが、意識を閉じずに浮上させてみるのはどうだろうか。
潜ることができるのなら、浮上させることもできるだろうっていう理屈だ。
意識を保ったまま、水面を眺めるような状態に戻れれば成功となる。
………。
思ったよりも、すんなりと成功してしまった。
全く負荷が無いし、霊力が異常に減ったり……なんてこともなかった。
だったらと、次なる実験を行ってみる。
水面を眺めるような視界で、素早く視点を動かす。
「おお、これはちょっと感動だな」
あれだけ苦労していたのに、ちょっと意識を変えただけでスイスイと視点が移動していく。上昇も下降も旋回も思いのままだ。
まるで、魚になって水中を泳いでいるような気分だ。
……だけど、あまり多用するのは控えたほうがよさそうだ。なんだか酔ってきた。
霊力にはまだ余裕があったが、酔って気分が悪くなるというアクシデントに見舞われた俺は、深呼吸を繰り返しながら視界を切り替え、現実世界に戻ってきた。
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