第6話

別に何か特別な理由があった訳ではないが、本当になんとなく集まって、なんとなくそういう運びとなった。

 ああ、すまない。大事な主節ががら空きだったな。

 いつもと同様の放課後。今日は週に二日の五時限授業の日であり、天気が異様に良く、風も心地よかったことが直接的な原因だったと思う。

 そのまま帰るのも勿体無いと思った俺と真介は、どこかに寄ってコーヒーの一杯でも飲んでいくかという話になっていた所に、佐久間美奈子も寄ってきて、それに伴い佐久間の親友的ポジションの園崎由里も介入し、もっとも危ない男、笹島も参戦してきた。

 そんなわけで、五人集まってどうするかと考えていた所、そういえば最近駅前に新しい喫茶店が出来たという話題を佐久間が出して、それじゃみんなで行ってみようということになったのだ。

 だから、俺たちは今、駅前の喫茶店『のらりくらり』に居る。

つい一ヶ月前にオープンしたらしいこの店は、なかなか雰囲気が良く、落ち着いた内装だった。温かみのある照明や、BGMの音量も丁度いい。そして、命ともいえるブレンドコーヒーの味も思わず頷ける美味しさだった。駅から五分がうたい文句の四季森学園なので、必然的にこの店と学園は近い。今度から行きつけの店にしようと思う。

「まぁ、納得のコーヒーだな」

 カップを置いて、笹島が言う。

 俺も真介も笹島も、コーヒー好きという所で馬が合う。一度コーヒー談義を始めると、時間を忘れて語り合うことですらあるのだ。俺はコロンビアなどの軽い感じの南米豆が好きで、真介は酸味の強いキリマンジェロやケニア系、笹島は味よりも香り重視のブルーマウンテン派だった。

「ああ、そうだな。なかなかウマイ」

 俺も頷く。

「ミルクティーも美味しいわよ」

 佐久間が言う。彼女はコーヒーよりも紅茶派なのだそうだ。園崎もアイスのミルクティーを飲んでいる。そういえば、姫凛のやつも喫茶店ではミルクティーばかり頼むな。女はミルクティーが好きなのか?

「じゃ、『のらりくらり』は合格だな」

 真介がまとめた。いつも話を総括するのは、立花真介である。彼は、大抵心穏やかで面倒見がいいので、そういうキャラになっているのだ。

そうこうしているうちに、時計は夕方五時を回る。そろそろ帰るかという話になり、俺たちは店を出た。

 そこで勘定だが、俺は佐久間に借りがあったことを思い出し、彼女の分を払うことにした。それを見て、真介が園崎の分を出す。園崎は遠慮していたが、それでも結局驕られることになった。笹島はどういうわけかドリンクが全品五十円引きになる券を人数分持っていて、それで帳尻を合わせたようだ。

 五人とも方向が同じなのでそのまま集団で歩いて行く。四季森学園に差し掛かる少し前辺りで園崎由里が角を曲がり、個人の帰途につく。学園を通り越し、一つ目の十字路で笹島が別れた。

 そしてその直後、土手の方を見ていた真介がふと何かを発見したように反応する。

「なぁ、龍秋。あれ、姫凛ちゃんじゃないのか?」

 そう言われて、俺と佐久間はそちらを向いて目を凝らす。

 セミロングの黒髪に銀色の細長いトライアングルの髪留めで左斜め前を留めている。いつものスタイルだ。夕日がそれに当たり、キラリと光っている。確かに、あれは姫凛である。

「あら、男の子と一緒なのね。誰かしら」

 目の上に手を翳して遠くを見るように眺める佐久間が、興味深そうに言った。 

 姫凛の隣には、自転車を押して歩いている男子学生がいる。二人でなにやら楽しそうに話している。ほんの少しだけ、心がざわめいた。

「へぇ。彼氏かな?」

 真介が軽い口調で言う。

「さあな。俺は見たことないやつだけど」

「じゃあ、これからお兄さんの厳しいチェックが入るのかな」

 何だか嬉しそうに佐久間が言った。俺を揶揄って遊びたいのだろう、皆の衆。残念ながら、君たちの期待通り、気になってしょうがないよ、俺は。笹島と別れたあとで、本当に良かったと思う。

 声を掛けたいが、それはまずい気がする。向うだって、兄貴に干渉されたくないことが山ほどあるはずだ。特に男との交際めいた関係なんて、尚更だろう。あんまり介入しすぎて嫌われたくもないしな。

「声、掛けないの?」

「いや、別にいいだろう。邪魔しても悪いし」

「おお、達観した意見だね、タツ」

「でも本当は心配なんでしょう?」

「別に。あいつも子供じゃないんだし、平気だろ」

「また、無理しちゃって」

 佐久間が俺のわき腹を小突く。

 俺の本心、見通さないでくれよ。頼むから。

 それにしても、本当に楽しそうだな、あの二人。俺は仲良さげに歩く姫凛たちを、僅かに面白くない心中で見過ごし、完全に俺の反応で楽しもうとしている友人二人を帰途へと促す。

「いいから、帰ろうぜ」

 俺は言った。

「あっ、お兄ちゃん?」

 歩き出そうとした瞬間、背を向けていた方角から声がかかった。しまった、逆に気付かれたか。しかも向うは何も躊躇わずに声かけてくるのな。お前はすごいよ、姫凛。

「ん?ああ、やっぱり姫凛か」

 俺は姫凛に向かって言った。隣の男子はどういうわけか、俺にお辞儀している。ということは一年生?姫凛と同じってことか。クラスメイトか何かだろうか。

 姫凛はその男子に何を言って、小さく手を振って別れた。男子はもう一度俺に会釈して、土手の向こう側に降りていった。

 姫凛はスタスタと土手につながる坂道を降りてくる。

「今帰りなの?あら、真介さんとそちらは……」

 近付いてきて言う。そうか、佐久間のことは知らないんだっけ。

「わたしは佐久間美奈子です。木島君と立花君のクラスメイトよ」

「あ、どうも。始めまして木島姫凛です。兄がいつもお世話になっています」

 姫凛はペコリと頭を下げて言った。

「いいえ。こちらこそ。可愛い妹さんね。木島君が心配なのも分かるわ」

 佐久間が故意に余計なこと言う。

「え?兄がなにか?」

「うん。いつも姫凛ちゃんのことが可愛い可愛いって……」

「言ってないって。いい加減なデマはやめてくれ」

 俺が言うと、

「ほらほら、照れるなって。いつも言っているじゃないか、妹に手出したらただじゃ置かないぞって」

 真介までも悪乗りしている。これは厄介だ。

「お前らなぁ」

「あら、お兄ちゃん。そんなにわたしが心配?ダメね。妹離れできない兄なんて、しゃれにもならないわよ」

 呆れた顔で姫凛が言う。もうどうにでもしてくれ。プロパガンダなり情報戦略なりを駆使して、俺をいじり倒せばいいさ。好きなだけ俺で遊んでくれたまえ。

「あはは、それで、何してたの?」

 姫凛が聞く。

「うん?ああ、駅前に出来た喫茶店にみんなで行ってたんだ。あと笹島と、もう一人クラスメイトの女子といったんだけど、結構美味かったぞ」

 記憶によれば、姫凛はまだ『さぼてん』には行っていないはずだ。

「あのひらがなで大きく書かれてるところ?そうなんだ」

「今度行ってみるといい」

「お兄ちゃんがゴチソウしてくれるんでしょ?」

「機会があればな」

「だから、姫凛ちゃんにコーヒーの一杯や二杯ゴチソウしたい男子生徒は山ほどいるって」

 真介が言う。

「……なら、俺が驕ろう」

「あら、やっぱり妹さん離れできてないわね」

 佐久間が笑う。

「何とでも言ってくれ」

 俺はイジケるふりをして言った。

「それじゃあな」

「またね、『おにいちゃん』」

 四つ目の十字路の辺りで、真介が家に帰り、その次の角で佐久間も帰って行った。仲間内では、俺たちの家が学園から一番遠いのだ。

「ねぇ、お兄ちゃん」

「なんだ?」

「さっきの人ね、ただのクラスメイトだから」

 俺は『さっきの人』を検索するのに時間がかかった。ええと、多分土手の上を一緒に歩いていた自転車を押していた少年のことだと思う。

「たまたま、部活の帰りに会ったの。方向が同じだから、途中まで一緒に帰ろうっていわれて」

 何か、弁解をするように姫凛が言う。どうしたんだ、急に。

「ふ~ん。それが、どうかしたのか?」

「い、いや、別に。なんでもないわ。ただ、なんとなく」

 そう言って、顔を赤らめる。何なのだろうか。姫凛も難しい年頃だからな。当たり障りなく答えておくのが最善の方法か。

「……なんか変だぞ、姫凛」

 あまり最善の答え方とは言えないか、これは。

「へ、変って。それが十五の乙女に言う言葉ですか!わたしと兄さんを比べたら、どう考えても変なのはお兄さんの方です」

 姫凛は突然プリプリとして足を速める。しかしなぁ、それはちょっと酷い言いようではないか、妹よ。兄は軽く傷付いたぞ。

姫凛は昔から、怒ったり動揺したり、感情が予想外に動くと敬語になって、俺を「お兄さん」と呼ぶようになる。俺は今、そんなに衝撃的なことを言ったか?

「おい、姫凛。なんだよ、急に。待てよ、姫凛ってば」

 スタスタと歩いていく少女の背を追って、大きなため息をつく俺だった。

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