第5話

 ここは剣道部のいる剣道場である。正確に言うと、女子剣道場である。もっと正確に言うと、女子剣道場の窓付近である。今日は換気のため、窓は開いている。武道場の窓は決まって比較的小さい。それがなぜだかは昔聞いたが、忘れてしまった。窓が小さいということは、あまり大っぴらに空気が入ってこないので、全開にしていてもよほどの強風が吹いていない限り、涼しくない。いや、吹いていても涼しくないな、経験上。それでなくても、剣道は面を被っている分暑苦しく呼吸もし難いというのに、風もろくに入らない道場での稽古は過酷を極める。今はまだいい。これが、七月、八月と夏日になれば、暑いとか、苦しいとか言うレベルの話ではない。深刻な死活問題なのだ。それでも、人間とは案外丈夫なもので、慣れてくると何時間でもそのサウナ状態の中で、激しい打ち合いをすることが可能になる。慣れって、すごい。

 ……まぁ、そんな話は別にどうでもいいのだ。

 俺がなぜ今女子剣道場にいるのかと言えば、笹島という名のろくでなしに捕まり、立花真介と共に引っ張ってこられたからだ。

 彼は俺たちに、剣道場というよりも、その周辺に栄えている男子たちを見せたかったようだ。

 ここ、女子剣道場の窓付近と入り口付近には、どういうわけか、男子が多かった。もちろん、彼らは男子剣道部の部員でもなく、普通に制服を着ている。その後ろ姿は、アイドルの追っかけをしている輩に酷似して見えなくもない。

「それで、俺たちにこれを見せてどうするのだ?」

「どうせろくでもないことだろうけどね」

 俺と真介の冷めた視線に、笹島は微動だせず答える。

「これが現在の木島姫凛の人気度だ。そこで、オレは一つ言いたい。これは、商売にできるではないか!」

 …………。

 バカだ。どうしようもないバカである。その企画、俺に言った時点で成功はまず不可能になるだろう。

「木島姫凛の貴重な写真を商品として扱えば、相当な儲けが期待できる。そこで、だ。兄であるお前の協力が必要なのだよ、龍秋。お前なら、木島姫凛のプライベートな写真を提供できるだろう。いいや、写真だけではない。私物やら衣服やら、もういろんなものが高値で取引される。オレたちは、ぼろ儲けだ」

 勝ち誇った笑いと共に豪語する笹島(アホ)に、俺は言葉を失った。

 何も答えずに笹島の肩をポンッと叩き、おもむろに剣道場に入っていく。

「おお!早速なにかアクションをおこしてくれるのか、友よ!」

 そう叫ぶ変人の声を背中に聞き、俺は監督している二年の女子(多分部長。見たことあるけど名前が分からん)に声を掛けた。

「笹島、きっとお前にとって、暗い未来が待っていると思うよ、僕は」

 真介のそんな声も聞こえたような気がする。

「あの、すまないけど、ほんの数分だけ竹刀を一本貸してくれるかな?」

「え、あ、いいけど、なんで」

「うん?ちょっとね。ごめん」

 俺は竹刀を一本手にとって、身を翻した。その時の俺は、きっと修羅の道を歩んだ兵(つわもの)の顔をしていたと思う。

「笹島、覚悟!」

「な、どうしたのだ、ディア・マイ・フレンド龍秋、何か様子が変だふべらはっ!」

 言い終わらぬうちに、俺の一閃が笹島の脳天に直撃する。爽快な打撃音と共に笹島はその場に倒れこんだ。

「ほら、言わんこっちゃない」

 無残にも散った友人を、ある種同情の眼差しで見おろす真介。

 悪は滅びた。俺の剣の腕もなまってはいないようだ。一部始終を見ていた姫凛ファンの顔から血の気が引いていく。

(なるほど、木島姫凛に下手に手を出すと、ああなるのか)

 誰一人口には出さなくても、目がそう言って怯えていた。

「あ、これありがとう」

 俺は言って竹刀をかえす。

「さて、死体を回収して、帰りますか」

 倒れている笹島を指差して真介が言った。

「そうだな」

 このまま放っておいても構わないが、女子剣道部の皆さんに迷惑がかかるので、回収することにする。担いでもいいが、重いので引きずって行こう。中庭のベンチあたりに転がしておけばいいだろうか。

 次に目を覚ましたときには、少し人格がまともになっていることを祈る。



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