第32話:拳法や、空手、あれは、ただの体操だ。
デリンジャーは低く、訊いた。
「なぜ闘う?」
と。ニーナとユリウスは、拳法を見る。
「なぜそんなことを訊く?」
拳法は問い返す。デリンジャーはハッとした。
視線を宙空に
自分の、胸の中を、見ているのだ。
なぜ闘う?………なんて、なぜ訊く?
「はッ」
デリンジャーはしかし、すぐに短く笑い、
ニーナ横眼に見て、次に嫋やかな少年・ユリウスに笑いかけ、
やがて下を向いて、
こう言った。
「だって、それが答えだ、………」
何の答えなのかは、言わなかった。
「違うか?———」
「そこまで、ッ———」
機動隊員の一人が銃口を向けて詰め寄るのを、
ニーナは手で制止した。
そして、
その強盗団の頭目は、
自らが捕縛の途に就くことなど全く意に介さない風で、
ひとり、語り出した。
**
なぜ武術に
なぜ素手に拘る?
銃には勝てない。
「でもないぞ、手下が叩きのめされるのを見てなかったのか?」
あの小型機関銃を見ただろう?
これからはあれが、制式小銃として広く出回ることになる。
どうだ、武術で何とかなりそうか?
「地中海のダインスレイブの例がある」
そういうことを言っているんじゃない。
可能かどうか?じゃない。分かるだろ?
死ぬ思いで武術を身に着けて、
工夫に工夫を重ねて、
それで何とか、ギリギリ銃と渡り合える。
いいか言っとくぞ!
普通なら無理だ。お前だから出来る。お前にしか出来ない。
銃を、手に取った方が早い。
より強力な武器を入手すべく努力した方が早い。
分かってるんだろ?
殺人拳と呼ばれるほどの危険な武術を編み出し、
今日、こうして、武装した強盗団と戦った、
そんなお前が一番よくわかってる筈なんだ。
銃を手に取った方が早い、
銃を手に取った方が有利だ、てな、………
「そうさ、知ってるよ勿論、あんたの、言うとおりだ」
拳法が、言った。意外な答えだった。
そして今度は、
拳法がデリンジャーに向かって、語り出した。
**
オレは、武術は、実は嘘っぱちだと思ってるんだ。
槍とか、剣とかは、
少し違うような気がする。でも空手や中国拳法は、
やはり嘘くさいと思う。
三十年以上も空手をやって来たオレが言うんだぜ、
間違いない。
人間は、有史以来、素手でなんて戦わないのさ。
間違いないぜ、あんたの言うとおりさ。
動物の
木の枝とか、石とか、
武器を手に取って相手をブン殴った瞬間に、
猿は、ヒトになったんだ。
だかしかし、とは言え、
武器には武器なりに、それぞれ、モノによって、
機能上の制約がある。当然だ。
槍には槍の、剣には剣の、
間合い、———つまり、
有効範囲、使用を想定した距離のことだ。
昔の戦争は、肉弾戦だ。敵味方入り乱れて、
押し合い、
だから、
剣や、槍の、間合いの外、………
というか間合いの内側での攻防も当然あった訳で、
例えば、
肩と肩とが触れ合うほどの近接した間合いで、
当然、剣や槍は、逆に届かなくて、
その武器の機能上の
自身の身体を使った攻撃・防御の技術があって、
それがつまり、
徒手空拳術、———拳法や、空手なんだ。
しかしそれは、所詮は、
一時を凌ぐための、
それだけで戦いを完結させる、
そういうものじゃなかった筈なんだ。
それは想定されてない。
だって武器がある。そもそも、そんな必要がない。
徒手空拳術だけで相手を殺傷して戦いを完結させる、
そんな必要がない。
これは、
或いは言ってはいけないことなのかも知れない。
だがしかし、もう言ってしまう。
拳法や、空手、あれは、ただの体操だ。
言い過ぎだって?
いや、分かるんだ。逆なんだ。
長年真剣に練習していると、嫌でも気付いてしまうんだ。
やがて戦場に出る、
そういう宿命を負った家の子弟が、
将来「
武器を手に、丸一日、戦場を駆けて戦う、
そのための基礎体力や、
正しい身体の使い方———
トレーニング・メニューだったんだ。
そして、
それはとても重要なものだった。
その修行の
その若者や、事によると
将来における戦場での死命を分ける、
重要な
だから徒手空拳術は、
真剣に、時に命懸けで行われた、
現代人のオレ達の想像を遥かに凌駕する、
途轍もない厳しいトレーニング・メニューだったんだと思うんだ。
そしてその厳しさは、武術・武道の基本的な心構えとして、
形だけ、言葉の上だけかも知れないが、現在まで、
伝えられているんだ。
徒手空拳術は、
物理学であり、心理学であり、人体工学だった。
人類が積み重ねた偉大なる知恵を、
その高みを、
五体を使って表現したものだったんだ。
だがしかし、
堂々巡りにはなるが、
それは戦闘において直接使用できる技術ではない。
昔、
このことは誰もが知っている既知の事実だった。
当然だ。
武装することを禁じる法律が無かった時代、
素手で本気で戦おうなんて、
誰も、恐らくは、思い付きもしなかったろう。
しかし、
約百年ほど前、
世界中の徒手空拳術の宗家は、
一斉に、
同じ嘘を
それが現在に至っているんだ。
「つまり、銃、ってことだな?」デリンジャーは言った。
そうだ。
銃火器が進歩し、
中・長距離だけでなく、
近接距離の戦闘にも使用されるようになり、
剣や、槍が、戦場から駆逐された、
そして、———
それと時を同じくして、
世界中の徒手空拳術の宗家は、
同時に、
まるで申し合わせたように、
全く同じ嘘を
曰く、———
拳法は、
或いは空手は、
それだけ戦える独立した技術です、と。
剣術や、槍術が、
戦闘技術の
それを蔭から支えてきた徒手空拳術は、
その存在意義を完全に失ってしまったんだ。
でも、
喰っていかなきゃならない。だろ?
だから、
嘘を吐いたのさ。
銃が普及すると、
そのあまりの殺傷能力の高さから、
都市部や、生活圏での武装が制限されるようになり、
そのことが、
徒手空拳術が戦闘術として通用する条件となったんだ。
ぬるくなった。
街中での争いに、
長剣や槍、戦闘用の
持ってくる奴がいなくなった。
つまり、街中での争いなら、素手でも何とかなるようになったのさ。
こうして徒手空拳術は、
生き延びた。
武器術を補完する機能しか持たなかった、という事実を隠して。
武器術をマスターするための、ただの練習法だった、という事実を隠して。
「それは言い過ぎなんじゃないか?」
デリンジャーは反駁した。空手や拳法をやっている人間は、デリンジャーの周りにも大勢いた。武闘派デリンジャーともなれば尚更、と言わねばなるまい。
「武道を信じて練習に打ち込んでいるのは、何もお前だけじゃない」
拳法は、少しだけ黙って、デリンジャーを見た。その眼に、怒りの色が浮くのが見て取れた。自説への反論に腹を立てたようにも見えたが、しかしそれは違った。怒りは、もっと違うものに向いていた。
「オイ、話はもうその辺で止めろ。………アンタ、観察処分中のカンフーの先生だな?」
男の捜査員が何人か、割って入ってきた。そして、そのうちの年嵩の一人が、拳法に鋭い眼光を向けた。
拳法は黙って頷く。すると男は後ろにいた数名の部下の方を振り返ると、声を低めて命令した。
「デリンジャーと一緒にコイツも確保しろ」
「待って」
すぐにニーナが遮った。するとその壮年の捜査官は、ギロリと眼だけで、ニーナの白い頬に浮かぶ
「私がその先生を監視している担当管よ、彼が今述べている内容は、私が連邦捜査局から拝命している内偵任務に関わる重要なものなの、記録に残したいから邪魔しないで」
その捜査官は、ニーナと拳法を交互に見た。そして、急に関心を無くしたように部下を振り返り、
「他の連中をさっさと検挙しろ、早くしないと逃げられちまう」
と指示した。そして、
「その調書を後で見せてくれ」
とニーナを一瞥し、くたびれた背中を向けた。
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