第25話:白い指が、黒光りする拳銃の銃身を、タイツの上からそっと撫でた


 重機関銃の暴風に蹂躙され、荒れ果てた冷たい廊下に、白い肌の、半裸の少女が立った。いやそれは、ボス・デリンジャー自らが陣頭にて指揮を執って探し出した、十三歳の少年に、違いないのだが、……


「撃つなよッ!!」


 手下に厳しい制止の声を叩き付け、スカリーゼはその、背筋を伸ばしてすらりと立つ、幽霊のような姿を見据えた。


「オマエを見張ってた男はどうしたんだ? ……なぜアイツがいない?」


 少年は答えない。白いあごをキッと上げ、そこだけ碧い宝石を嵌め込んだような、きらめくまなこでこちらを見ている。厳しい、―――


 少年の格好なりを見れば、何があったのか、大体の見当は付いた。


(あの馬鹿が、……男のガキが好きな変態かよ)


 真白ましろいブラウスの正面のボタンはすべて引き千切られ、白い胸と、そしてへそが見えてしまっていた。薄くて、でも柔らかそうな、胸と、腹部、―――


 しかし男の嗜虐心をさらに刺激するのは、剥き出しとなっている下肢にぴったりと張り付いたタイツと、その片側がきわどく破れ取れて露わとなった脚の、その白い肌だった。年頃の娘のような、そんな白さ。


 しかしそのローマ人のマフィアは、小娘なんかには微塵も興味は無かった。まして、それが実は男の子であると来れば尚更だった。機関銃の銃把に手を掛けたまま、スカリーゼは左手で白いスーツの内ポケットをまさぐった。そして皺くちゃのタバコの紙パッケージを取り出すと、歯を使って器用に一本引き抜き、口に咥えた。


「空手の先生はどうした? そこにいるんだろ、……」


 考えてみれば分からないことだらけだ。何故なぜこの奴隷のようにして生きてきた少年が、今こうして俺達の前に立ちはだかるのか? そもそも何故それが、殴り込んできた殺人拳の創始者ではなく、エロい身体からだつきをしたこの少年なのか?


「隠れてんのか?」

「せんせえは、もうここにはいない、……」

「んなワケあるか、ガキ」


 唐突だった。スカリーゼは黙った。だって意味が分からない。そして、力なく笑った。笑う、しかない。


「ハハッ、……」

!!」


 少年は怒鳴った。凄惨な冷気、とでも言いべき張り詰めた空気が、場を、支配した。


 美人が怒ると、恐いものだ。怒りが、敵意が、その激しさが、余分な要素のないその整った顔立ちに、クッキリと、明瞭に、表現されてしまうからだ。それに、少年の怒りはやはり唐突で、その場の主導権を、大人たちはうまく掴めないでいた。


「ローディニアは開拓時代からずっと、ガンマンの国のはずだ。機関銃なんて卑怯だ。拳銃で、ぼくと勝負しろ!」

「…………」

「怖いのか」

「ハッ、……」


 スカリーゼは下を向いて長く、煙を吐くと、火の点いたタバコを床に投げ捨て、革靴できつく踏み消した。


「いいぜ、小僧」


 男は機関銃の銃把から手を離し、横に一歩離れると、左手でスーツの前を広げて、腋の下にホルスターで吊るした拳銃を見せた。


 ユリウスから見ると、そのマフィアの殺し屋の白く派手なスーツが、背後にある、夜の暗黒を映す大きな窓ガラスに、クッキリと浮かび上がっていた。その肩越しに小さく少女のシルエットが佇んでいて、それが自分であることに気付き、少し驚いたりもした。


「勝負してやる、後悔すんなよ」

「ちょっ、そのガキは、ボスが探していた大切な、——」


 手下が口を挟むのに、スカリーゼは怒鳴って返した。


「うるせえッ!!」


 そんなの分かってる。相手にペースを奪われてしまっていて、拳法がそこにまだいるのかいないのかすら確認できていない。敢えて予想外の行動に出て、相手に揺さぶりをかけ、その出方から相手の手の内を読むべきだった。


「ガキに護ってもらって、それでも男か? 拳法。出て来いよ」


 そう、言ってみる。


「せんせえはいない」

「そんなワケねえよ、どうしてだ?」

「飛び降りて、逃げた」


 それは確かに有り得た。

 二階、——

 あれほど鍛えた武道家なら、怪我なく飛び降りられるに違いない。


「部屋の中を見ろ! 拳法がいるかも知れねえ」


 しかし、手下二人の眼を交互に見ながら、それでもスカリーゼは言った。乾いた眼。


「えっ、で、でも、……」


 二人の眼に、怯えの色が流れる。


「早くしろッ!」


 二人は互いに目配せをすると、諦めたのか、銃を大事そうに構えながら少年の横を通り抜け、部屋に入って行った。黙って行かせる少年の様子から、確かに、拳法はもういないのだと知れた。


「いません」

「窓が、……開いてます」


 二人は力なく言って、銃を下ろした。ユリウスの視線は、動かなかった。真っ直ぐに、スカリーゼの眼を見たままだ。



 少年は繰り返した。きれいに光る真っ直ぐな眼を、鈍くギラつく三白眼で見据えながら、スカリーゼは口元に笑みを浮かべた。


「だって、オマエ銃は?」


 持ってねえだろ、——そういう笑み。


「…………」


 ユリウスは黙ったまま右手で、ボタンの全部引きちぎれたブラウスの、フロントラインを広げて、ウェストを少しだけ捻って腰の右側面をこちらに向けた。


 十三歳の白いからだは、ほんとうに色々なところが全部細くて、幼く、未完成な印象だった。そして、その細さを強調するかのように、ウェストをくねらせて横に突き出したヒップラインの、その張り詰めたタイツの生地に、武骨で大きな拳銃が、乱暴に突っ込まれていた。銃身の長い、男性的な形状のハンドガン。ゲルマニア騎士団帝国軍の制式拳銃、——ワルサーP38だ。


 少女のような腰に張り付いたタイツの生地を硬く盛り上げるその武骨なフォルムは、無垢な白い肌を蹂躙しようとする凶暴な本能の顕れのようで、その場にいた男性三人の視線が、注意が、一瞬だけ、そこに集まった。


 突き出して強調した側の、そのタイツの生地がちぎれて取れていて、白いふとももが、その根元から真っ白に露出してしまっているのも眩しく感じられた。


 もちろん単に拳銃のその位置を確認する以上の意味は、まったく無いのに違いない。


 ユリウスの白い指が、黒光りする拳銃の銃身を、タイツの上からそっと撫でた。


 スカリーゼは息を、思わず短く吸い込んだ。ハッとして、思わず凝視してしまう、そんなエロティシズム。息が、止まった。


 時間にして、二秒くらいか。


 フッと我に返り、表情を緩め、息を抜いた、その瞬間、その白いスーツ姿の背後の窓ガラスが粉々に割れて、暗闇の中から突き出て来た腕が、正面を見たままのスカリーゼの背後から、そのくびに、蛇のように巻き付いた。


「がッ、——!!」


 振り返る、時間など無かった。喉奥から、そう声を、いや呼気を、発するのがやっとだった。


 廊下の反対側、ユリウスの横にいた二人は、反射的に砕く散るガラスの音の方向に、銃口を向けた。そしてそのうちの一人が、緊張と恐怖から、引き鉄を、引いてしまった。セミオートで四発、反射的に、発砲してしまった。


「慌て者」「粗忽者」こういう奴とは、同じ戦場に立ちたくない。危険だし、役に立たない。しかし、射撃の腕に関してだけ言えば、その腕は確かだと言わねばならなかった。何故なら、四発全弾、命中していたからだ。


「バカッ!!」

「あっ、……」


 一人が声を荒げるが、すでに遅きに失していた。背後から、窓の外からスカリーゼを羽交い締めた拳法は、人体という名の盾に護られて無傷だった。四発の弾丸は、スカリーゼの胸と腹とに突き刺さり、深く埋まり、血と肉を焼いた。


「ぐ、ぐふッ、こ、この、……マヌケ、が」


 スカリーゼは、血で真っ赤になった口で咳き込みながら、脇に吊るしたホルスターからベレッタM1934を抜くと、両手に銃を構えながら茫然自失している手下の額に、自分が撃たれたのと同じ数、——四発を、セミオートで素速く撃ち込んだ。そしてそのまま、ダラリと全身を弛緩させた。死んだのかどうかは、分からなかった。だが意識を失ったまま帰らぬ人となるであろうことは、もはや紛れもなかった。


「動くなっ!!」


 声がした。見るとユリウスが、残っている一人に、ワルサーP38の銃口を向けていた。馬鹿でかい、騎士団帝国の制式拳銃、ユリウスはその重さと大きさとを持て余しながらも、両手で何とか把持して、相手に向かって構えていた。


「ユーリッ!」


 ローマ人のマフィアの亡骸を床に棄て、窓枠を乗り越えながら拳法は、そう声を掛けた。ユリウスに殺人を、経験させたくなかった。まだ早い。まだ弱い。癒せぬ深い傷となる。


「じゅ、銃を置けっ! ゆ、ゆっくりとっ!」


 両手で重そうに銃を捧げ持ちながら、ユリウスは大きな声を出した。緊張のせいで呼吸が乱れ、肩が上下に揺れていた。


「わ、分かった、言うとおりにする、だから、撃たないでくれ、……」


 手下の男はそう言うと、上体を屈めて床に銃を置いた。冷静に銃口を向けられるよりも、取り乱した相手に銃口を向けられる方が、何倍も恐ろしかった。例え、その方が当たる確率が低くなるにせよ。


 拳法は黙って見ていた。黙っているべきだった。


「置いたら行けっ、ここから出て行けっ、おかしな真似したら、う、……撃つ」


 そうだ、それでいい。拳法は思った。男はユリウスと拳法を交互に見ながら階段の方へ後退って行き、それから一目散に上の階へと階段を駆け上って行った。仲間の元へと。


「ユーリ、よくやった」


 拳法はユリウスに歩み寄り、その髪を撫でようとした。少年の勇気を、褒めてあげたかった。無意識の所作、しかし——


「せんせえ、逃げよう」


 拳法の手が、止まった。

 少年は提案したことは、拳法の意図とは全く違っていた。



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