第24話:確かに、見た目はまるで女の子だ。しかし……


「何だッ? 何でオンナが?」

「ゆ、幽霊? 昔の、爆破テロの時の……」

「そんなワケあるかッ! 例のガキだッ、撃つなよ!」

「ボスに知らせろッ! ガキが逃げたってな!」


 廊下から声が響いてくる。銃声が止んだ理由は、突如幽霊のごとく廊下に立った、真っ白い肌の、痩せた少女のせいだった。幽霊を思わせる、或いは妖精のような、非現実的な美しさ。——そしてそれは勿論、女装させられた、そしてそれを何故か半ば剥ぎ取られてしまった、十三歳の少年、ユリウスの姿だった。


「せんせえ、……」

「ユーリッ、危ない、早くこっちに来いッ!」


 拳法は咄嗟にユリウスの手を取ると、自分がいる病室の中へ引き入れた。垣間見えた拳法の姿に、何発か、銃声がこだました。


「撃つなッ、 当たったらどうするんだ!」


 再び銃声が止んだ。


「せんせえ、……」


 ユリウスが、子供のように泣きそうな顔で、そう囁いた。涙が、眼の表面に光沢となって漲る。


「ユーリ、……」


 そう呟いたまま、拳法は少年の姿を見た。女装させられたユリウスは、やはり男の子には見えなくて、少女を象った、精巧な人形のように見えた。その精密なカメラのレンズのような眼に、涙が光って揺れているのが、なんだか不思議だった。剥き出しになった腰から脚にかけてのラインは華奢で、それでいて柔らかそうで、十代中頃の、まだ大人になりかけの少女のように見えた。しかし、……拳法は、厳しく細めた武道家の眼で、ユリウスを見つめた。


 ——でも、この子は男だ。


 そう思った。この子は男として、これから先の長い人生を、世の中の荒くれ共に伍して、強かに生きて行かねばならない。それに家族ができれば、やはりその腕で、その愛すべき家族を護り続けて行かねばならない。


 そして、実際には男である以上、そうした男として生き抜くための闘争本能を、内に宿しているはずだった。


 確かに、見た目はまるで女の子だ。しかしその稚さのにじむ、嫋やかな相貌の奥には、獰猛で手強い、男の本性が眠っているに違いないのだ。


「ユーリ、無事だったか?」

「大丈夫」


 その身なりから、まったくの無事である、とも思えなかったが、それでも訊かずにはいられない。何もされなかったか? 傷付けられたりはしなかったか? しかしユリウスは言下に「大丈夫」と答え、しっかりと頷いてみせた。泣きそうな眼いっぱいに、涙を漲らせながら。


「怪我はないか?」

「大丈夫」


 逃げる時に揉み合いになったのだろう。ブラウスが所々やぶけ、白い生地に血が点々としていた。白い脚にもすり傷ができていて、やはり赤く血が滲んでいた。また瓦礫を踏んでしまったのか、タイツの足の裏にも出血が見られた。拳法は、胸がいっぱいになった。


「怖くなかったか?」

「怖くない」


 それは、諦めていたからだ。これが運命なんだと。しかし、——


「怖くはなかったよ。だけど、……」

「だけど?」


 少年は、二枚の鏡のようにまるく見開かれていた眼を、きゅっと細めた。感情の高まりに、耐えられない。そんなふうに。


「だけど、もう戻りたくない。……」


 細めた眼から、涙がたくさん溢れた。


「もう戻りたくないよ。……」


 抱きしめたい。思いっ切り、抱きしめてやりたい。そんな強い衝動を、拳法は覚えた。背中を思いっ切り蹴り飛ばされたような、そんな強い衝動。しかし、拳法は踏み止まった。


 子供としてのこの子を受け止めるのでは無く、戦士としてのこの子を、目覚めさせるべきだ。そう思ったのだ。


 街中で急に逃げ出した時の、その逃げ足の速さを、拳法は思い出していた。瞬発力も、迷わず全力疾走で逃げるその思い切りの良さも、戦士としての重要な資質に違いなかった。


 拳法はユリウスの肩に、両手を置いた。そしてその手に、力を込めた。


「戻りたくないって、ちゃんと言えたなユーリ。だがな、俺ひとりの力では、お前を家まで連れて帰ることはできない。俺が何を言いたいか、分かるか?」


 ユリウスは一瞬、その瞳に不安の色を揺らめかせたが、すぐにハッとして、そして真っ直ぐに、その孤高の武道家の眼を見た。次の言葉を聞き逃すまいと、耳を澄ますように。


「戦いこと無しに、この場を逃げ延びることはできない。お前は男だ。奴隷じゃない、戦士なんだ。ユーリ、戦えるか?」


 少年は下を向く。「ぼくなんて、こんな弱虫なぼくに、そんなこと、……」


「俺も一緒だ。それでも戦えないか?」


「せんせえも一緒……?」


 眼の表面に涙を浮かべて揺らめく光沢がぴたりと止まり、瞳孔が絞られるのが見えた。瞬きまでもが止まっている。強い、眼差し——


「できそうか?」

「戦うっ!!」


 言い終わる前に、ユリウスは叫んだ。歯を食い縛ってきっかりとこちらの眼を見据える、——若い、男の貌。


「ぼくもせんせえみたいに戦う。ぼくのからだも、ぼくのこころも、ぼくだけのものだ。ぼくのしあわせも、ぼくの運命も、ぼくだけが決める。何者にも、ぼくを、ぼくを冒すことなんてさせない。戦うっ。ぼくも、戦うっ!!」


「よしっ、無事に家に帰るぞ。今日からお前は、俺の弟子だ。誰にも渡さない」


 拳法は、髪を撫でるかわりに、拳で、少年のその薄い胸を、叩いた。

























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