第23話:拳法は、自分の拳を見た「俺は、やっぱりこっちだな」

 

 嫌な予感がする、——


 そう拳法は思った。だって静かすぎる。物音ひとつしない。不自然だった。先刻の、道場が襲撃された時と同じだ。


 階段を上がりながら二階を見上げると、防火扉は開いていた。それも不自然に思えた。


 罠、——そう感じた。


 階段室の外側は廊下になっていて、その向かいに病室の引き戸が見えた。一階は外来診療のフロアだった。二階は、病棟(入院施設)のフロアなのだろう。おそらくは廊下の両サイドには病室が並び、中央にはナースステーションだってあるに違いない。階段からは見えない廊下の端から、銃で(おそらくは先刻の小型の機関銃で)、狙われていることは百も承知だった。わざとらしい静けさが、それを物語る。


 しかし拳法は、敢えて、階段を踏みしめて上がるそのスピードのままに、廊下に侵入する道を選択する。こちらが仕掛けた側だ。事態を、動かす、いや動かし続ける必要がある。あちらは多勢、こちらは無勢だ。一瞬でもその場に居付けば、たちどころに押し包まれて嬲り殺しに逢うことは必定と言えた。


 階段を上がり切り、廊下に踏み込みざま、拳法は敢えて、


「殺人拳の塚原拳法だッ!!」


 と大声で怒鳴った。勿論わざと、だ。そして刹那、——聞いたことのないような凄まじい銃撃音が、破れよとばかりに拳法の鼓膜を叩いた。脳天が痺れ、腹の底が痛くなるほどの衝撃。先刻までの小型の機関銃とは違う。架台に固定して使用する大型の機関銃、そう——重機関銃、だ。


 しかしそれを思う間もなく拳法は音のする方、廊下の右奥の方に防弾盾を向けて身体にぎゅっと引き寄せると、そのまま前に向かって転がった。するとその瞬間、タイミングよく、向かいの引き戸が乱暴に開いて、その病室の中からギャングが一人、拳銃で撃ちかかって来た。決死の表情、眼には、しかし怯えの影が見て取れた。だが、これは予想していた事ではあった。他の病室にも連中が銃を手に待ち構えているに違いない。その引き戸が開く、——そう踏んでの前転動作だった。


 銃撃を避けて向かいの部屋に向かって低く、鋭く、転がり込む。拳法も、実際のところ決して冷静ではなかった。慌てていた。動作を整えている余裕が無かった。激しく転がり込み、ボーリングよろしく相手の膝元に激突すると、勢いで床にぶっ倒れるそいつの頭に向かって、そのクソ重たい木剣を思いっ切り振り下ろした、……つもりだったが狙いが逸れ、床を派手にぶっ叩き、その床を凹ませた。


「ちッ、——」


 思わず舌打ちする。しかしその時、背後で砂礫を踏み潰すような物音がして、拳法は素速くそちらに一瞥をくれると、一瞬の判断だ、次の瞬間、その右手の木剣をそちらに向かって力の限りに投げ付けた。他の病室に潜んでいた連中の仲間が、散弾銃を手に助けに来たのだ。


「がッ!!——」


 野球のバット三本分くらいの重さの樫の素振り棒の直撃を、顔面に正面から受けて、その助けに来た仲間は身体を丸めて昏倒する。そして、部屋の中で這って逃げようとする男の、その肩を掴んで仰向けにすると、恐怖に引き攣る顔面の、その口元を押さえ、その胸部に向かって固く握った正拳を、垂直に、真っ直ぐに叩き込んだ。


 押さえた指の間から、体液まじりの呼気の塊が吐き出され、それを追うようにすぐに、大量の血液が喉奥から溢れた。


 その時、不意に静寂が、二階全体を覆った。


 それは、五秒にも満たないほどの、ごく短い時間だった。拳法は血を吐きながら全身を震わせるそいつの上に屈んだ姿勢のまま、自分の拳を見た。


「俺は、やっぱりこっちだな」


 声に出して、そう呟いてみる。自分に、そう言い聞かせるように。考えてみれば、自分の手足の方が自由に、速く動かせるし、破壊力だって、木剣とそんなに変わらない。いや、むしろ拳の方が、——


 と、その時、——


 無音のまま、しかし背後に人の気配を感じ、顎を引く要領で、短く視線を走らせた。そして、


「ユーリ、……」


 そう言ったまま、絶句した。


 そこにはあられもない姿の少女が、靴も履かずに立って、そして拳法のことを見ていた。


 胸元に繊細なフリルをあしらった純白のブラウスに、しかしスカートは履いておらず、グレーの毛糸のタイツに包まれた下肢が、剝き出しとなっていた。さらにその片側は股のあたりから千切れて無くなっており、やや肉感的な生脚が、付け根の方から際どく外気に晒されていた。そしてその柔肌が白く光って、やけに、眩しく感じられた。


 男の子にしては、やや長めの髪に、まるで少女を象った、西洋人形のような美貌、——


 しかし、見紛う筈もなく、それは十三歳の少年、ユリウスだった。くちびるの先にわずかに差した淡紅色に、きらめく星空を覗いたような、美しい瞳、——


 紛れも無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る