第20話:「死中に生あり、だ」——知らず、そう呟いていた


「ユーリッ! 迎えに来たぞ!」


 その武道家は、

 一階のロビーから、

 上の階へと続いてゆく階段を、

 ギラつく眼で睨み上げて、

 大声で呼ばわった。


「何処だッ? 迎えに来たぞ!」


 それはユリウスを探すため、

 というよりは、

 自らの来訪を全館に告げるためだった。


 ガラス戸が割れんばかりの大音声に、

 十秒ほどの静寂をはさみ、

 十人ほどのギャング達がバラバラと、

 駆け降りて来た。


 サバイバルナイフ、

 ダガーナイフ、

 グルカナイフ、

 鉈、

 斧、

 拳銃に、

 ライフル、

 散弾銃、

 青龍刀を持ってる奴までいた。


「死ねッ、ファシストめ! 」

「海の果ての島国に帰れッ!」


 そう怒鳴りながら、

 躊躇なく、容赦なく、襲い掛かる。

 期せずして、

 拳法はうれしくなった。

 そして、

 体腔に大きく酸素を送り込むと、

 盾と木剣を手に、

 連中の方へと猛然と走り出した。


「がああああああッ!」


 ケダモノのように吼えながら、

 全速力で走り来るその姿に、

 違和感に、

 立ち竦むその敵の足元に、

 拳法は前回り受け身よろしく、

 素速く転がり込み、

 相手の脛を、

 思いっ切り薙いだ。


 乾いた、

 明快な音が、

 意外なほど大きく響いて、

 寮脛とも完全にへし折れて、


「あがッ、ぐううううっ!」


 と悲鳴を振り絞りながら、

 相手は倒れ伏した。


 次の敵を視界に瞬時にロックオンすると、

 間髪を入れず猛ダッシュを開始し、

 再び、前転からの立ち上がりざま、

 袈裟懸けに相手の鎖骨を叩き折る。


 そして、

 すぐ横に立ち尽くす男の、

 その側頭部を、

 真横一文字に大きく薙ぎ払う。


 木刀、である。

 真剣、ではない。

 しかし男は意志の無い木偶人形と化して、

 伸び上がった体勢のまま、

 床に全身を激しく叩き付けた。


 ここまで6秒弱、

 瞬く間に三人を昏倒させ、敵の一角は確実に崩れた、

 ——ハズだった。


 しかし、

 ここから形勢が逆転した。

 銃撃が、

 始まったのだ。


 銃声がした方向に、

 瞬時に、防弾盾を構えて片膝を突き、

 しかし別の方向からも射撃音がして、

 拳法は背にするべき壁を探して、

 首を回し、視線を巡らせた。


 慌てていた。


 弾丸が頬を掠め、

 暫しあって血が、その頬を赤く濡らした。


 盾を引き寄せ、

 片膝を立てていざりながら、

 壁を背にするまでの間に何発か被弾した。

 髪の間から何か、熱い液体がこぼれ、

 靴の中で、靴下が濡れる感触があった。


 慌ててしまっていたのだ。

 良くない傾向だった。

 まともに喰らってしまっていたとしても、

 おかしくはなかった。


 眉間を撃ち抜かれる可能性もあった。

 膝を、撃ち抜かれる危険性もあった。


 しかし壁際に逃げてしまえば、

 一時的には弾丸をしのげるハズであった。

 壁と盾とに挟まれたこの限られた空間は、

 この建物の中で唯一の安全な場所である、——


 ハズだった。


 だって、

 背後からの攻撃を受けないために、

 何かしらの構造物を背に戦うのは、

 兵法の定石だ。


 なのに、

 十メートルほどの距離を置いての、

 押し包まれての一斉射撃を受けることになった。


 無数の弾丸が、

 年代物の防弾盾に虫食む錆に咬んで、

 その表面を少しずつ削り取ってゆく。


 発射音、

 跳弾の音、

 硝煙のにおいと、

 髪の毛の、焼け焦げるにおい。


 弾丸が、

 耳や肩先をかすめる。

 しかし、

 神経を足元に集中させる。


 隙間ができないように、

 防弾盾を床面に、

 強く、力を込めて押し付ける。


 足を、

 撃たれてしまうのが恐ろしかった。

 足を物理的に破壊されてしまえば、

 走れなくなってしまう。


 帝国の歴史上の剣術家、

 宮本武蔵は、

 一乗寺下り松の決闘で、

 常に、樹木や壁を背に闘い続けた。

 いかなる猛者でも、

 四方から押し包まれて斬撃を受ければ、

 立ちどころに討たれてしまうが、

 敵の襲い掛かってくる方向を限定し、

 一人ずつ対応すれば、

 地力の勝る者が勝つのが道理である。


 しかし今、

 コンクリート・スラブの壁体を背にし、

 敵のいる方向を片側に限定した結果、

 敵の動静が把握しやすくなる、

 どころか!

 激しい銃撃に、

 顔も上げられない窮状に陥ってしまっいる。


 ピンチ、

 と言わねばならなかった。

 死地、

 今いる地点がまさにそれだった。


 マズイ、

 そう思った。

 マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ。


 今すぐ、

 今すぐ何とかしないと、……


「一眼、二足、三胆、四力」


 そんな言葉が、

 脈絡もなく思い浮かぶ。

 格闘に於いて最も重要な要素。


 空手の、

 先生からの教え。


 しかし先生の教えは徒手空拳術の理論だ。

 銃火器を用いての戦闘のシークエンスじゃない。


「最短距離で突き刺すように攻撃しろ」


 続けて、

 そんな言葉が頭蓋の内側をこだまする。


「腕で斬るな、刀が斬るんだ」


 そんな声も、

 上の方から降ってくる。

 しかし関係ない。今は、関係ない。


「力を抜け、強く打つ時には力は邪魔になる」


 そうだ、真理とは、常に人間の思惑とは逆なのだ。


 思考が、錯綜する。

 いろんな言葉や、さまざまな人、

 景色や、匂いや、イメージが、

 頭に中に濁流となって流れ込んでくる。


 ああ、

 これがそうか。

 そう思う。

 死ぬ間際に見る「走馬灯のような」

 と言うのがこれか。


 不意、だった。

 不意に、その言葉は、降ってきた。

 ツン裂くような、

 激しい銃撃音の中、

 しかし、

 それにも負けない重厚な鐘の音のように、

 言葉は、

 空から降ってきた。


「運ハ天ニアリ、——」


 ハッとする。

 息が止まった。

 上杉謙信の、壁書の、冒頭の言葉。


 運ハ天ニアリ

 鎧ハ胸ニアリ

 手柄ハ足ニアル


 何時モ敵ヲ掌ニ入レテ合戦スベシ

 傷付クコトナシ


 ——そして、


 

 


 この、壁書、という漢詩の、

 その意味するところは、


「死中に生あり、だ」


 知らず、そう呟いていた。

 少しだけ、笑っていたかも知れない。


 遠ざかっていた銃撃音が、

 戻ってきた。

 防弾盾を齧り取り、震わす振動と、

 跳弾の、甲高い音。


 拳法は、

 壁伝いにゆっくり移動を開始した。


 どうすべきか?

 やることは、

 もうすでに決まっていた。








































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