第19話:「ユーリッ!! ユリウス、何処だッ、迎えに来たぞ!!」



 みんな、疲れていた。疲れて、眠りこけていた。急に、明日ここを引き払って移動することになり、その準備に、深夜まで追われていた。もともとは病院だったこの建物が、病院らしい静けさを取り戻したのは、ほんの二、三十分前のことだった。


 **


 たまに、

 いるんだ。


 やっぱり病院の建物だからさ、夜中とかさ、カン違いして急患を連れてくるバカがいるんだ。酔っ払いが突撃してくる時もある。水をくれ、介抱してくれ、そんで泊めてくれ、ってさ。


 でも例えば女性の看護師さん、とかじゃなくて俺たちが顔を出すと、風体からなのか、さすがに気づいて、青くなって帰っていくのが普通だ。でも、そいつは違った。


「診て下さいッ! 急病ですッ! 開けて下さいッ! 死にそうなんですッ!」


 部屋から出てロビーの反対側からエントランスを見ると、外で騒いでいるそいつは、東洋人だった。そんなに身体も大きくないし、どちらかと言うと痩せていた。


 にも関わらず、


 馬鹿デカい声だった。外から怒鳴っているのだが、それでもRC造の建築物の中にいるこっちが、飛び起きてしまうくらいの声量だった。


「開けて下さいッ! 死んでしまいますッ! 急患なんですッ! 開けて下さいッ!」


 ヒドい馬鹿力だった。強化ガラス製のエントランスの扉が、割れてしまうのではないかと心配になる程の力で、ひたすらガラス戸をガンガンと叩き続けているのだ。


「うるせえ奴だな」


 俺はうとうとしていた他の仲間と一緒にため息を吐き、頚筋をごしごしと撫でて、部屋にいた二人の仲間を振り返って、声を掛けた。


「行くぞ」


「ったく、………」


 仲間もため息を吐く。でもしょうがなかった。今晩は、寝ずの番をするように上から言いつかっていた。あんなにやかましく騒がれて、もし他の連中が起きて来ちまったら、俺たちがサボってた、みたいな事になっちまう。


「うるせえぞ、何だ?」


「開けて下さい、急病なんです、早くしないと、死んでしまいます!」


 その東洋人は、そう言うと、目線と身振りとで、路上に置いてある板のような物と、その上に寝かされている、何だろう、棒のような物を示した。


「凄い熱なんです、早く診てやって下さい、病院なんですよね? ここ」


 しかしそれは、三メートルほど後ろの暗がりにあり、ハッキリと視認することは出来なかった。長さ八十センチくらいの、担架の代わり、なのか、長方形の板に、棒状の何かが寝かされていた。


「死にそうなんですッ! 凄い熱なんですッ!」


「いや、だって、棒だろ、………」


 そう、木の棒にしか見えない。野球のバットよりさらに太い感じの、しかしやはり、木の棒にしか見えない。いや、或いは、暗がりにあるからそう見えるだけで、人間なのか? 実は、人間の赤ん坊なのか? そんなことを考える。いや、でも、やっぱり人間じゃないよな?


「開けて下さいッ! 入れて下さいッ!」


「うるせえッ!」


 俺はヤカマしさに怒鳴ると、サムターンを回して開錠し、仲間二人と共に、扉の外に出る。もし、やっぱり人間じゃなかったら、顔面に弾丸をぶち込んでやる!!


 俺たちはその東洋人を押し除けるようにして、その「急患」の前まで行き、立ち止まった。


 俺たちは、見た。深夜の路上に横たえられた、錆で赤っ茶けた年代モノの防弾盾と、その上に寝かされた長くて太い、鉈のような形状の、武骨な木刀を。


「オイッ!!」


 俺は、もう一度怒鳴った。フザケているのか、アタマがオカシイのか、いずれにしても、追い払ってしまわねばならない。俺はその東洋人を、上から睨み下ろす。


「木、じゃねえか! 木の棒だろこれ! 酔っ払ってンのかテメェ!」


「でも、死にそうなんですよ、………」


「まだそんなこと言ってんのかコノッ、馬鹿がッ!」


 仲間が懐のホルスターから拳銃を抜く。俺はその東洋人の肩を、乱暴に掴む。刹那、———


「うっ、………」


 驚きに、息が、止まった。今まで影になっていて見えなかった貌が、角度が変わって、街路灯の灯りに、白く浮かんだのだ。


 男は、笑っていた。獰猛な、笑みだった。


「だって、すぐに死んじゃいそうじゃないですか、分かりませんか?」


 可笑しそうに、男は言う。その愉悦に細められた目は、しかし瞬きをしていない。


「死んじまいそうって、だ、誰がだよ、………」


「オマエラが、———」


 肩を掴まれていたその左手を、その東洋人は右手でガキッとホールドした。万力で締め上げられるような、モノ凄いチカラ、———


「あっ!」


 俺は、思わず声を上げてしまう。だって、強すぎる、硬すぎる、手首が、折れちまう、刹那、———


 硬くて、大きくて、火のように熱いカタマリが顔面に飛んできて、———


 何も、分からなくなった。


 **


 拳法は、一人目の上顎部を左拳で砕いた。折れた歯が、肉に突き刺さったが、構うことなく今度は、力が抜けて崩れ落ちるそいつのうすらデカい身体を、拳銃を持った男に向かって、一切の手加減なく突き飛ばした。


 時間稼ぎ、だ。抜かれた拳銃を、ほんの数秒、殺したかった。


「テメェッ!」


 右の方にいたもう一人が、右拳を振りかぶって、顔面にストレートを叩き込んでくる。


 その右ストレートを拳法は、躱わすでも無く、受けるでも無く、流すでも無く、喰らうでも無く、左の小手———手首の少し下あたりで、思いっ切り横から、薙ぐように引っ叩いた。


「あぁッ!」


 変な声が出て、男は左手で自分の右腕を押さえた。右腕が、途中から、オカしな角度に折れ曲がっていた。しかし、攻撃を、止める訳にはいかない。


 男は自分の右腕を離すと、左手で素早くナイフを掴み、その切っ尖を東洋人の頚筋目がけ、真っ直ぐに突き出した。


 しかしそれも、空中で、拳法の右の小手で、残酷なまでのチカラで叩き折られた。鉄製の棒で、思いっ切り叩き落とされたのと、同じだった。


「あひぃッ!」


 またまた、変な声が出て、ナイフを取り落としたその男は、両腕をだらりと前に下げたまま、目だけを、眼球が外れ落ちそうなくらいに大きく、しかし力無く見開いて、拳法を見ていた。


 しかしそれでも、近付いてくる拳法に、男は脊髄反射的に右脚で蹴りを出そうとする。蹴りとも言えないような、中途半端な、曖昧な蹴り。その脚を、拳法は右脚で斜め上から鋭く薙いだ。


 両腕に、右脚まで折られた男の身体が、支えを失って宙に泳ぐ、その、倒れるまでの約、〇.五秒、———


 腹部の中心に、真っ直ぐに前蹴りを、突き刺した。


 ズドンッ、———


 という重い音が響いた。ハッとする程の、大きな音。


 鳩尾は、蹴らなかった。急所だからだ、死んでしまう。しかし、男は表情を失くしてただ目を大きく見開いたまま、昏倒した。海老のように身体を丸め、口からは吐瀉物を、肛門からは赤黒く血を、流した。


「動くなあッ!」


 拳銃を持った男が、最初に気絶させた男を押し除けて、手に持つソレをこちらに向けて、怒鳴りながら立ち上がって来る、そいつに向かって拳法は、大股で二歩歩き、三歩目でそいつの股間を、渾身のチカラで真下から蹴り上げた。


「ぐっ、———」


 そいつは短く呻くと、右手から拳銃を取り落とし、身動き出来ないまま、路上に前のめりに崩れ落ちた。口から泡を吹き、白眼を剥いて、低く唸り声を上げ続けた。


 最初の男に肩を掴まれてから、十秒。右拳をグッと握ると、突き刺さった何本かの歯が、押し出されるように自然に、ポロポロと抜け落ちた。


 錆が浮いた防弾盾と、汗染みに黒く変色した素振り用の木刀とを掴むと、拳法はガラス戸を肘で押し開け、元は病院だった筈の、その三階建てのRC造の建物に入った。


 列車強盗:グスタフ・デリンジャーのアジト、———


 そう、そこは、このローディニア合衆連邦共和国で、最も危険な場所に違いなかった。生きてそこを出られる可能性が、最も、低い場所。


 本人は、気付いていなかったかも知れない。しかし、拳法の口には、楽しげな笑みが浮かんでいた。これから起こる事が、楽しみでたまらない、といったふうな。


 拳法はエントランス・ロビーに立つと、笑ったまま大きく息を吸い込み、すぐにぎゅっと真剣な貌になると、凄まじい大音声で、呼んだ。


「ユーリッ!! ユリウス、何処だッ、迎えに来たぞ!!」


 その、自らの子供の名を。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る