第17話:辛抱するしか、我慢するしか、生きてゆく道はない


爆発の後、すぐに消防と警察、それに救急隊がやって来た。血塗れだった拳法は、そのまま救急搬送され、病院で治療を受けた。その日はそのまま入院し、翌日体調を見て警察の事情聴取、———のハズだったが、その日の夜更けにはもう、拳法の姿は廃墟と化した自宅にあった。


無傷だった道場の壁に立て掛けてあった金属製の防弾たてと、重たそうな木製の素振り棒をそれぞれ片手に引っ掴み、すぐに家を後にした。ダインスレイブの、その戦闘術の研究のために入手した物、———


他に、何か用意めいたことは、拳法は一切しなかった。時代モノのクソ重たい防弾盾と、鍛錬用にワザと重くしてある木刀を、担ぐでも無く、抱えるでも無く、ただ手に掴んで立ち去っただけ、だった。


準備なら、そう、闘う準備に限って言うなら、もう何年も前に、完全に済ませてあった。


**


「ありがとうニーナ、さすが連邦捜査官だ、助かる」


救急車に自分の足で乗り込みながら、拳法は礼を言った。デリンジャーの潜伏先についての情報に対する、感謝の言葉だった。


「でも先生、先生は病院で大人しく治療を受けててね、アジトには私たちが踏み込むから、そしてユーリくんは、絶対に保護するから、だから先生は安心して病院で待ってて」


「分かった」


そう拳法は答えたが、ニーナはもちろん、信じることができない。しかしアジトの監視拠点が襲撃を受け全滅したという連絡が入り、その対応のため、すぐにこの場を離れねばならなかった。


「ね、絶対だよ?」


「分かってるって、丸腰のオレにできることなんて、無い」


そして、その日の未明には、すでに拳法の姿は、あの病院の、正面の路上にあった。


**


「背が伸びそうだ、大きくなる」


デリンジャーは連れ戻された少年を見て、言った。遺棄された病院の、元々は院長が使っていたであろう大きな木製のデスクの前に立ち、青白い顔をして立ち竦む少年を、その眼鏡の大男が見下ろしていた。


「俺もデカいが、こいつも同じくらいになる、五年後には、そう、きっと立派な若者になっているだろう、………なあ、どうだ? オマエ、俺の所で働いてみるか?」


「ボス、そんな、………こんなオンナみたいなガキに出来ることって言ったら、………」


部屋に、手下の男達の下卑た笑い声がさざ波のように湧いた。


「それに、こんな臆病そうな奴に、オレ達の仕事なんて、………」


「子供が怯えやすいのは、弱いからじゃない、そいつの頭がいいからだ、人間が、世界が残酷だと知っていて、だけじゃなく、これから自分がどうなっていくのか、先のことが見えてしまって、色々考えてしまうから、自重して、それが楽観的で知恵の足りねえバカの目には臆病、と見えるんだ、臆病なのは、悪いことじゃない、そいつが先のことまでキッチリ考えられるアタマを持っている、という証拠なんだ」


自分の事が話題になっていても、その十三歳の少年は、何も映っていないかのようなそのうつろな眼で、下を向いたままだった。そんなユリウスを、デリンジャーは上から見下ろした。


きっと酷い目に遭って来たのだろう、そう思った。自分も家無しの孤児だった。まわりもそんな孤児ばかりだった。色んなヤツがいた。みんなそれぞれ、色んな事情があり、色んな不幸を抱え、色んな地獄を生きていた。ユリウスというこの美しい少年が、その美しさ故にどれほどの地獄を生きて来たか、想像がついた。


しかし彼は、このユリウスという少年に、何かしらの思い入れがある、という訳ではなかった。はっきり言って、どっちでもいい、どうなってもいい、という気持ちだった。もちろん同情しない、という訳でもなかったし、この永遠の少女を思わせる中性的な容姿に、まったく魅力を感じない、という訳でもなかった。


しかし彼は、忙し過ぎた。ユリウス逃亡の一件も、彼の中を音を立てて通り過ぎてゆく、雑多な案件、ありふれたトラブルの一つに過ぎなかった。


「お前を買った男は、合衆国正教会の幹部クラスの人間だ、決して、お前を悪いようにはしないだろう、勿論いろいろあるだろうが、辛抱することだ、いいか、辛抱するしか、我慢するしか、生きてゆく道はない、それは何も、お前だけって訳じゃない、俺だって同じだ、何も変わらない」


そう言って、少年から目を離した。


「スカリーゼ、―――」


「はい」


「もうここには用は無い、朝を待って撤収する、全員に周知し、ここを出る準備をさせろ、そしてギルベルト、―――」


ギルに向き直って、デリンジャーは言った。


「はい、………」


「この子に部屋に連れて行き、新しい服を用意し、シャワーを浴びさせろ、そして見張るんだ、分かったな? 大切な商品だという事を、くれぐれも忘れるな」


「分かりました、………」


ユリウスは伏せていた視線を上げて、ギルベルトの方を見た。そして瞬間、―――・・表情が凍りついた。


**


「ボリス、―――」


「はい、………」


ボリス・クルーガー、―――身長2メートルを優に超える小山を見るような巨躯の持ち主だった。この大男の肌が露出した部分、例えばくびや、腕の表面に、ニシキヘビの如くうねる筋肉は、どれだけ長い付き合いだったとしても、決して見慣れることのない、異質なものだった。


「ギルベルトと一緒に、あの小僧を見張れ、なんだか心配なんだ」


男の子供なんかに夢中になる変態がいる、というのが胸くそ悪かったが、確かにユリウスが女性のような、或いは女性よりも、男心をくすぐる容姿をしていることは確かで、心配だった。二人で見張っていれば、おかしな気は起こすまい、そう考えたのだ。


「は、………分かりました」


何が心配なのかよく分からないまま、ボリスは答えた。


(顔色が悪い、―――)


デリンジャーは思った。変な汗もかいている、体調が良くないのに違いない。あれを、―――あのクスリをやり過ぎたのかも知れなかった。それはそうだろう、あのクスリの通常の用法は、一人につき、一回のみ。大暴れをして、殺しまくって、そのままあの世行き、―――そういうクスリなのだ。


最近は強盗などの襲撃案件が少なく、休ませてやっている積りではあったが、そろそろ限界なのかも知れない、そう思った。或いは、禁断症状なのかも知れなかったが、にしても、もう長くはないだろう、そう胸のうちに思った。


**


ノックの音がした。


「誰だ?」


ベッドから降りてその個室のドアの前まで来ると、ギルベルトは不機嫌そうな声を出した。病院の3階にある、偉いさん用のただっぴろい、個室の病室だった部屋だった。


「おれだ、………」


聞き慣れた、太くて低い声。ギルはドアを開けた。


「なんだ、ボリス、どうしたんだ?」


笑顔だった。しかし、ドアの前に立ったまま、ボリスを入れる素振りは見せなかった。


「ボスに二人で小僧を見ろと言われて来た」


「あんなガキ、俺一人でたくさんだけどな、奥で大人しく休んでる」


「そうか、………でも」


「小僧はもう寝てるし、明日から頼む、明日はもうここを引き払わないといけないしな、———ところで、………おまえ」


ボリスの顔を見て、ふと何かに気付いた表情になってギルは言った。


「ひどい顔色してる、どうしたんだ? 大丈夫か?」


「あまり調子が良くない、いつものことさ」


溜め息を吐きながらボリスは言った。本当に、具合が悪そうだった。


「休んでろよ、今晩はもう大丈夫だから、明日から頼むよ、他の連中には、一緒にいたってことにしとくからさ」


そう言って、ギルは笑った。そしてそれに釣られて、ボリスも笑った。


「そうか、悪いな、………じゃあ頼む」


「ああ、任せてくれ、ゆっくり休め」


踵を返して廊下を歩み去って行くボリスの、その山のような背中を見送りながら、ギルは部屋のドアを閉め、———そして、


すぐにロックした。








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