第13話:武術家・塚原拳法の腕から、いかにしてユリウス少年を強奪するか、――


「ねえ大丈夫? そんなに調子が悪いなら病院行ったら?」

「いや大丈夫です、夜、眠れないだけで、……」

「精神科、受診したら? 睡眠薬くすり出してもらえるから」


連邦捜査局・公安警察隊警備局 捜査員、ニーナ・グライナーと、ギルベルト・キルヒマンは時代遅れな馬鹿でかいシヴォレーの車内で打ち合わせをしていた。シヴォレーと言っても、いかにもといった風情の、ボロくてデカい、ねずみ色の四角いセダンだ。


「いや、そんなことまでは必要ないかと、……」

「心配してるのよ、診てもらったほうがいいよ」

「すみません、……」


ゲルマニアに出自を持つ家系であることを物語る、張り出した額と、彫りの深い顔立ちを持つギルベルトは、くまに青黒く縁取られた、疲れた眼を伏せて詫びながら、――


(寝てる場合じゃねえ、……)


胸のうちでそう独り言ちた。


日中は、やはり連邦捜査官としての職務を全うさせねばならないし、しかし夜は、反政府武装組織の戦闘員としての役割を果たさなければならない。「ユリウス・ビンセント・ディラン、――この十三歳の少年を、必ず探し出して連れてこい!!」グスタフ・デリンジャーの発したこの命令を、万難を排して成し遂げる必要があった。


「具合が悪そうなのに申し訳ないんだけど、今日、夜、時間ある?」


真っ白なワイシャツに包まれた上半身を、狭い車内でギルの方に傾けて、ニーナは訊ねた。上目遣いにこちらを見る眼鏡越しのまなこがまるで子供のようで、その可愛らしさに、ギルは鼓動が速くなった。


「あの、その、どういう、でも、お、俺なら、……」

「なにどもってんの? どうしたの……?」

「いえ、あの、一緒に食事したいとか、そういうことなんじゃ、………」

「な・ワケないでしょ? こんなに忙しいのにムリ!!」

「じゃあ何なんですか?」

「今日の夜、病院の張り込みを代わって欲しいのよ、ずっとじゃなくて、二、三時間だけでいいんだけど」

「どうしたんですか?」


ギルは訊いた。夜は、少年の探索に従事しなければならない、――時間が無い。しかし、無下にも出来ない、――怪しまれてしまう。


「あなたが休んでいる間に、拳法先生が子供を保護して、……」

「あの、殺人拳の塚原拳法つかはらけんぽう、――ですか?」


ギルベルトは、瞬間、緊張に表情を引き締めた。拳法などになつくようなモノ好きは、公安警察の中でもニーナくらいで、他の捜査員にとって空手家・塚原拳法とは、死と、暴力の匂いの付きまとう、物騒極まりない固有名詞だった。痩せ干からびた瀕死の老人が介護士二名を殴り殺した事件は、まだ強いインパクトをもって人々の心の中に在った。その殺人拳を編み出した張本人である塚原拳法に会う、という行為はある意味、冬眠中の熊の巣穴に入るのと同等か、或いはそれ以上の勇気がった。


「殺人拳とか、そんなに怖がらなくても、……なんていうか、人畜無害な人だよー」

「そ、そうなんですか、……」


人畜無害な人物を、連邦捜査局がこうも長期間マークするだろうか? それも組織でなく一個人をマークするなんて、そうそうある事ではない、どれだけ凶悪なテロリストなんだ? という話だ。


「そうだよー、ユーリくんだってめっちゃ懐いてるし」

「ユーリくん?」


そう、それは、本当に他意のない、何気ない質問だった。眠そうな眼で、腕時計を見るギルベルト。早く会話を打ち切りたい。


「そう、くん、……この子が何処かから逃げてきたのを、拳法先生が保護してあげてるの」


一瞬で眠気がブッ飛んだ。何処かから逃げてきた「子」、——くん、……

腕時計を睨んだまま表情が変わらないのは、演技力があるからなのでは断じて無く、単に、驚きが大き過ぎるせいだった。


「この子の事で相談を受けてて、今日の夜会うことになってるのよ、そんなに時間取らせないから、ちょっとだけ代わってよ」


腕時計を睨んだままギルが、瞬きを完全に止めてしまっていることに、ニーナは気付かなかった。いや、気付なかった。


何時なんじに会うんですか?」


もの凄いスピードで、頭蓋の内側を思考がぐるぐると回転している。どうすればいい? どうする、……べきなのか?


「二十時、いい? だからあなたは、……」

「十九時には現場に行ってます、いいですよ」

「ありがとう、できるだけ早く戻るから」

「ゆっくり行ってきて下さい、大丈夫です」


よし、と思った。獲物が、向こうからやって来た形だった。張り込み現場の病院とは、あのアジトの廃院のことだった。


「張り込み現場の位置の詳細を教えて下さい」


ギルは言った。武術家・塚原拳法の腕から、いかにしてユリウス少年を強奪するか、――


脳裏に、そのプランが、すでに出来上っていた。





















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