第12話:デリンジャーが、ぼくを、さがしにきた、……


それは、突然やってきた。

大事に護り、育んできた平穏な日々は、しかし唐突に破られた。


その日は、街の通りに面したハンバーガーショップで、ユリウスと一緒に昼食を摂っていた。その店はファストフード店ではなく、出てきたのはしっかりと調理されたずっしりと重いハンバーガーだったが、ユリウスは本当にうれしそうなの笑顔で、自分の顔と同じくらいの大きさのそれを、元気よく頰張った。


やっぱり男の子だなー、と思う。最近ユリウスは、よく食べるようになっていた。まあ、年相応と言えた。十三歳の男の子ならきっとこれくらいは食べるだろう、と思うくらいの量を、最近は、ちゃんと食べれるようになっていた。


いい天気だった。初冬の風はやはり冷たかったが、陽射しは暖かで、二人はテラス席に向かい合わせに座って、楽しく食事していた。頬に風を受けながら美味しそうにハンバーガーを食べるユリウスの顔は、年相応ののんきな子供の表情かおだった。


街に出てきたのには理由があった。ローディニアに来てからできた格闘仲間がやっているキックボクシングのジムが街中にあり、そこへ行く途中だった。


ユリウスにキックを習わせる、という事ではもちろん無い。たまたまだった。時々、互いに行き来しており、何かユリウスにとっていい刺激になればと、同道したに過ぎなかった。


少年に武術を、見せたかった。


教える事に対する抵抗感はかなり根強いものがあったが、しかし一方で「教えたい」という気持ちもあった。


もちろん矛盾している。しかし、このか弱い少年に何か、この世界をしたたかに生き抜くための「牙」を授けたい、そんな気持ちを強く持っているのも事実だった。


拳法の気持ちは揺れていた。しかし、もしユリウスが武術に興味を持ち、学んでみたいと言うなら、考えてみてもいいのではないか? そんなふうに考えていた。


そして、――

そんな平穏な日々は唐突に崩れ去った。


**


何も言わず、

拳法の顔を見たまま、

子供みたいに笑いながら、

ただハンバーガーを頬張るユリウスは、

通りに視線を巡らせて、

瞬間、――

表情がした。

瞬きを止めて、ただ、一点を眺めていた。


ごく自然な流れで、

拳法は、少年の視線をたどる。

するとそこに、二人の男が歩いていた。


連邦捜査局公安捜査官:ニーナ・ジュリアンヌ・グライナーの助手、

「ギル、……」

拳法は声に出して呟いていた。―― ギルベルト・キルヒマン。

連れ立って歩くもう一人には見覚えはなかった。


偶然だった。

でも、確か、体調不良だと、—— そうニーナは言っていた筈だった。


ガタンッ!!――


硬い物音がした。

しばらく続いた穏やかな日々の中で、

あまり、聞くことの無かった、

そういう種類の音、――


ユリウスの、頭が見えた。

テーブルに、顔面を伏せていた。

何者からか、

隠れようとしているような、

そんな姿勢。


「どうした?」


食器からカタカタと小さく音がして、

拳法は、ユリウスがひどく震えていることを知った。


「ユーリ?」


拳法は不安になった。

下からユリウスの顔を覗き込むと、

彼の眼は、瞬きすることを完全に止めていた。

下を向いたまま、

宙空の一点を凝視する。


「知ってる奴でもいたのか?」

「ぼくを、……」

「なに?」


声が小さくて聞き取れない。


「デリンジャーが、ぼくを、さがしにきた、……」


今度はハッキリとそう言った。


「何だって?」


意外な固有名詞、しかし、――


それには答えず、

ユリウスは顔を下に向けたまま席を立った。


「ユーリ、……?」


そして何も言わずに、

テラスから通りへと、突然走り出した。

それは動物じみた、

本能がそうさせる走り方だった。


肉食獣から逃れる、

野生動物の走り方。


あの細い身体のどこにこれ程の力を隠していたのか?

そう眼を疑うほどの、爆発的な瞬発力だった。


「おいッ! 何処へ、……!?」


名前を呼ぶのは、

マズい気がした。

すぐにダッシュで追いかけるべきだが、

会計を済ませる必要があった。


こんな非常時に、――!!


大人というのは不便な生き物だ、

そう思った。


外に出た時、

ユリウスの姿はすでに無かった。


晴天の、

白く光る街角の路上で、

拳法は行き迷い、立ち尽くした。


ふと、隣を見る。隣を見てみる。

路面がまぶしい。そして、

十三歳の、

あの頼りなげな少年はいない。


胸騒ぎがした。

あの美しい眼をした少年など、

最初から、

いなかったような、

そんな気がした。


**


家に帰ると、

痩せた少年が、

扉の前に座っていた。

あの日と、同じだった。


拳法の顔を見ると、

一瞬、

泣きそうに表情を歪ませた。

胸が、

締め付けられるようだった。


もう夕方になっていた。


「心配した、捜したんだぞ」


髪を撫で、

そのまま、抱き寄せてしまった。

心配だった。

もう会えないと、半ば覚悟していた。


「よかった、……」


拳法は、

素直に喜んだ。

しかし、

ユリウスの表情は晴れなかった。


初めて会った頃と同じだった。

今ここには無い何かをとても怖れている、

そんな眼の色。

何かをじっと待っているかのように、

その瞳は、静止したまま動かない。


「誰がいたんだ? 知っている奴だったのか?」


訊いたが少年は答えなかった。

答えないのは、答えたくないからではなく、

単に名前を知らないだけ、なのかも知れなかった。


「デリンジャーって言っていたが、そこから逃げてきたのか?」

「おまえが店で見ていた奴は、デリンジャーの仲間なのか?」


そして、何よりも気になること、――


「ユーリ、……捕まっている間、おまえはいったい何をさせられていたんだ?」


それも訊いてみたが、結果は、いつもと同じだった。

答えなかった。

いや、答え、


ユリウスは、

出会った頃と同じように、――


外に出なくなった。

笑わなくなった。

喋らなくなった。


そして瞳は、

やはり出会った頃と同じように、

ただ静かに、青く、深く、澄んで、

そこに感情の起伏とひかりは、宿らなかった。


**


「この間、お前んとこの助手を見た」


拳法は電話でそう、ニーナに告げた。


「街中を歩いてた、誰かと連れ立って」

「私とじゃなくて?」

「違う、髪をオールバックに撫で付けたローマ人ふうの男だ」

「知らない、誰それ?」


それはそうだろう。

部下の個人的な人間関係まで、詳細に把握なんて、してる筈がない。


「見間違いなんじゃないの?」

「ああ、そうだな」


拳法は、否定しなかった。ギルベルトとは、まだ二、三回くらいしか会っていなかったし、それにお互いに知らない事について、無駄に時間を費やすべきじゃない。


「今度うちに来た時に、ちょっと相談したい事があるんだ」


拳法はあっさりと話頭を廻らした。


「すぐには行けないわ、今忙しいのよ、ものすごく」

「どうしたんだ?」

「ここだけの、ハナシなんだけど、……」


前置きして、疲れた声の女性捜査官は声を秘そめた。


「デリンジャーに動きがあって、やっぱり、誰かを捜しているみたいなの、港の岸壁にが上がって、今、関連を調べているんだけど、……」

「顔の無い遺体?」

「ライフルで至近距離から何発も撃たれてて、潰れちゃっててのよ」


拳法は息を呑んで、黙った。

そして受話器を握ったまま、見える筈のないそらを仰いだ。


(なんて事だ、……)


ユリウスは、途轍もなくヤバイ何かの渦中にいるのかも知れなかった。喋ることも出来なくなるくらいの、危険で、過酷で、非人間的な、何か、――


(デリンジャーが、ぼくを、さがしにきた、……)


「どうしたの?」


受話器の向こうから、ニーナが声をかけた。


「大丈夫? センセイ、どうかした? 何かあった?」

「ニーナ、会いたいな、……それも、できるだけ早く」

「口説いてる?」

「ユリウスの様子がおかしいんだ、もの凄く、怯えてる」


冗談はスルーして、拳法は続けた。


「…………」


そして今度は、ニーナが黙った。何か、考えているようだった。


「夜、そっちに行くわ、あと、それまでユーリくん、外には、……出さない方がいいかも」

うちにいるよ、一歩も出ない、ほんとうに、……怯えてるんだ」


ニーナは察したようだった。そう、――


列車強盗団の頭目:グスタフ・デリンジャーが、人的資源を傾注して捜しているのは、白蝋のごとき美少年――ユリウス、であるかも知れない、という可能性に。


「もし可能なら、ユリウスを、公安警察のほうで保護してほしい」

「分かったわ、スムーズに行くように手を回しておくから」

「頼む」

「でもセンセイ、………」

「何だ?」

「センセイ寂しくて泣いちゃわない?」

「そんな訳ないだろっ!!」


口調とは裏腹に、思わず笑ってしまった。

そんな訳ない、……

と、信じたい。








































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