第6話:「な、何?………ど、ど、ど、どうしたの?」


 時間の経過とともに、十三歳の少年・ユリウスは、年相応の明るさと無邪気さとを取り戻していった。きらめく青い瞳はとても利発そうで、弾ける笑顔はとても可愛らしく、それは幼少期のユリウスが如何に両親に愛されて育ったかを物語った。


 夜、暖房を効かせたリビングで、シャワーから出てきたユリウスがTシャツに、綿のブリーフだけの姿で、時に拳法の対してフザケて甘えかかってくる時があり、きわどく露出したツヤめく白い脚がまぶしくて、その姿態はまるで、猫のようなしなやかさと、少女のようなあでやかさと、少年だけが持つのびやかさとを、同時に合わせ持っていて、何と言うか、途轍もなく「アブな可愛い」ものだった。


 しかしそんなユリウスが、時に表情を固くし、心を閉ざす場面があった。それは、拉致されていた時の様子を訊かれた時と、拳法がユリウスが見ている前で武術の立ち稽古をしている時だった。立ち稽古、と言っても、鏡の前で行うごく簡単な動作の確認である。よく中年男性が、鏡の前でゴルフクラブを振る練習をする、あのレベル。


 拳法は、武術や格闘技について、とても複雑な感情を抱いていたが、それでもやはり「空手バカ」だった。何時いつでも「急にナイフで切り付けられたら」とか「銃を持った暴漢が侵入してきたら」とか「山の中でヒグマに出喰わしたら」とか「エイリアンを如何にして素手で殺すか」とか、そんなことばかり考えている男なのだった。


 そして、そんな拳法の姿を見かけると、ユリウスはまるで、何も書かれていない白い紙のような、そんな感情を喪失した顔になって、すぐにいなくなってしまうのだ。頬にキスしたくなるほどの笑顔と、白い紙のような無表情な顔、そのギャップに拳法は違和感を覚えない訳にはいかなかった。


 **


「拳法せんせえ」


 ユリウスは拳法をそう呼んだ。そして呼んだまま、拳法のすぐ傍らで、ただ黙って佇んでいる、そんなことがよくあった。時に、


「一緒に寝てもいい?」


 と言って自分の枕を手に、寝室にやって来ることもあった。拳法の着ていた大きなTシャツをワンピースみたいに着て、下はブリーフだけの生脚で、その少女のような柔らかな肢体に、拳法は焦りもしたが、ユリウスはそんな焦りなど知らぬ気に、一緒の布団に潜り込むと、やはりいつもと同じ様に、拳法の寝間着の裾をぎゅっと摑んで、何時までもじっとしているのだった。拳法は、分かっていた。少年はただ、―――


 親の愛を、求めているのだ。


「拳法せんせえ、………」


 布団の中、拳法の背中で、そう呟いて、黙り込むユリウス。本当は、


「とうさん、………」


 そう、呼んでみたいのかも知れない。この人は父親じゃない、そう分かっていても、「とうさん」と呼んで、親がいた時の自分を、その時の気持を、束の間でもいいから思い出して、その気持の中に浸っていたい、そうやってこの子は、心のバランスを取っているのかも知れない、そう思った。


 寝床の中で、背中のユリウスの方に向き直って、小さな子にそうするみたいに、


 その柔らかな髪を、撫でてあげたい、………


 そんな衝動に駆られる。何か、優しい言葉を掛けてあげて、その、白いおでこにキスをして、そのか弱い生き物を、そうっと、抱き締めてあげたい、………


 しかし、愛を求める美しい少年に、拳法は背を向けたままだった。向き直れば、父親なんかじゃないことが、この子にバレてしまう。異変に、気付かれてしまう。そしてそれは、この雛鳥ひなのごとく弱った少年の居場所を、奪ってしまうことを意味する。


 朝になると、しかし拳法は、この熱にうなされるような寝苦しい夜のことは忘れた。空手バカ、―――元より、武術のことしか頭にない、ごくシンプルな男なのだった。


 **


 少年は、時々夢精をした。


 身体が熱を帯び、汗ばんで甘く匂い立ち、何度も寝返りを繰り返す夜は、決まって夢精していた。少年が汚れた下着を夜中に洗う、その物音を、拳法は背中に何度か聞いた。自慰を、ユリウスはまだしていないようだった。十三歳という年齢を考えると、それは少し、不自然であるように思えた。


 例えば、リビングでTVを見ている時に、そこで扱われる性的な事柄に対する、強い嫌悪感のようなものを、ユリウスの仕草や表情に、感じることが多々あった。思春期の少年に、まあ、ありがちな事ではある。しかしユリウスの場合は、それとは少し違うようにも思えた。うまく言えないが、自分の「性」に「照れてる」という雰囲気が無いのだ。そこにあるのは、ごくごく真剣な「嫌悪感」だった。「恐怖感」に近いかも知れない。逃げ出したいほどの、そんな嫌悪感、………


 **


 入浴は、二人で一緒にしていた。戦時でもあるし、厳しいエネルギー事情、高騰する燃料費、当然ではある。


 拳法は、浴槽に浸かりながら、石鹸を泡立てて身体を洗うユリウスの姿を見る。外気温が低く、浴室は湯気が充満し、霞む視界の中で、まるで少女のような身体は、白く輝いて見えた。


 拳法は少年のおなかの下の方、濡れて光沢の浮いた二本の太腿ふとももの間を、見るとも無しに見る。ユリウスの成長が、人と比べてどうか、気になった。身体を洗う動きに合わせて、白く弾むそこは、まだ小さくて、ほんの子供のそれで、しかしまあ、年相応であると言えた。十三歳の頃の自分のがどんなだったか、拳法は思い出そうとしてみたが、もう忘れてしまっていた。


 気が付くと、揺れるそれの動きが止まっていて、はっとして顔を上げると、ユリウスと、視線が正面からブツかった。


 拳法は、浴槽のへりに腕を置き、その上に顎を乗せて、身じろぎもせずただ、じっと少年の白いそれを眺めている、という状態だったのだ。


 大きな眼だった。精密なカメラような、透明感のある、クリアな眼。本当に、ビックリしているようだった。その眼の表面に、拳法の顔が、クッキリと映り込んでいた。


 びっくりした顔が、おでこの方から見る間に赤く染まっていって、そして座ったまま、少年は身体を「パッ」と横に向けて拳法の視線をあからさまに遮った。さらに少年は、左手で股間を、そして右手で、なぜか胸を隠した。ほんとうに女の子みたいな仕草、そして、―――


「な、何?………ど、ど、ど、どうしたの?」


 普通に考えるなら、ちょっとしたピンチと言わねばならない。いや、大ピンチだ。女性の裸体を見ていたんじゃない、男の子のあそこを見ていたんだから、これはもう言い逃れようが無い、では無いか?


 しかし、拳法は武道家だった。ユリウスの揺れる視線を正面から受け止め、わざと一呼吸置くと、フッ、………と笑い。


「まだまだ子供だな」


 とからかった。


「俺のと比べてみるか?」


 ユリウスは少しの間、瞬きも忘れて拳法の顔を見ていたが、すぐに「ぎゅっ」と眼をつむり、そして力いっぱい、―――


「んべっ!!」


 と舌を出した。小さな女児が、するみたいな仕草。そしてそれが、少女のような顔のユリウスによく似合って、とても可愛らしかった。


「あははは、………」


 拳法は、思わず笑ってしまった。すると、


「うふふふ、………」


 溶けるような笑みで、ユリウスが応えた。抱き締めたくなる、そんな笑顔。含羞はにかみと、親しみと、そして少女の可憐さと、子供の可愛らしさ、すべてを含んだ魅力で、抱き寄せたくなるのを我慢するのが、キツイほどだった。


 子供ができるのって、家庭を持つのって、こういうことなのかと、拳法は思った。いや、少し違うか、………








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